間違い続き。
ああ、もう少しで目が覚めるな、と思った。目覚める直前の中途半端な暖かさが、優しく自分を揺り起こす。
「…………?」
…日差しに揺り起こされて、うっすらと目を開ける。ぼやけた視界をまばたきで整えると、窓から朝日が差し込んでいるのがわかった。頬を撫でた暖かさの正体は、この陽光か。
クジャはもう一度瞬きをすると、ゆっくりと身体を起こした。
「ここは…」
辺りを見渡す。そこは、こぢんまりとした木造の一室だった。
飾り気のない、住めればいいと言うような簡素な作り。見覚えはない。自宅として使っていた、トレノの屋敷やデザートエンプレスであるはずもなかった。
窓から外を見てみると、やはりこぢんまりした家々や畑があった。そして、それらを取り巻くように広がる森。家と家とを繋ぐ道には、人影もちらほら見える。その人影には見覚えがあった。
「黒魔導士…」
クジャは少し驚いたように、その種族の名前を呼ぶ。
彼が「霧」から作りだした兵器。黒魔法を自在に操る、戦争のための人形だ。量産された彼らに意思は無いはずだが、窓の外で動く彼らは、しっかりとした意思を持っているように見えた。
自我に目覚める個体が居ることは知っていた。ジタンと行動していたプロトタイプが良い例だ。確か名前は、ビビと言ったか。
「そう、だ…ジタン」
そこまで思い至った時、クジャはふと、その名前を呼んだ。
自分はどうしてこんな所に居るのだろう。確か、クリスタルワールドでジタン達と戦い、そして、暴走するイーファの樹から彼らを逃がした。なけなしの力で使ったテレポは危ういながらも成功し、ジタンと仲間達は無事、イーファの樹から脱出したはずだった。
しかし、彼は戻ってきた。わざわざ暴走の渦中に飛び込み、そして、クジャに手を差し伸べた。
『誰かを助けるのに理由がいるかい?』
そう言って、当たり前のように笑って、クジャを助けに来た。
…その後の記憶はひどく曖昧だ。きっとすぐに気を失ってしまったのだろう。そして、もう二度と目覚められない覚悟もしていた。
しかし、今、ベッドから起きあがる自分は生きているような気がしたし、目の前にかざした掌は、生者のそれであるように見えた。
「生きてる…のか。僕は」
かざした掌を自らの胸元に押し当て、もう一度確かめる。胸板の向こうで脈打つ心臓は、ちゃんと鼓動を続けていた。力強く、とは言えない。しかし、それが何よりの実感だった。
ほっとした。いきてる、ともう一度繰り返す。
「(でも)」
逆接。
思い出したくないことを思い出し、脈打っていることを確かめた心臓が、大きく跳ねる。
自分の命は、そう長くはない。ジタンの代わりとして生かされていた自分は、寿命を設定されている。作り手であるガーランドはそう言った。そしてそのタイムリミットは、そう遠くはないだろう。
「(…どうせ僕は死ぬ。それは変わらない)」
胸元で脈打つ鼓動を感じながら、苦笑した。
死など、自分には関係のないものだと思ってきた。死ぬのは死ぬ奴が弱いからだ。自分は選ばれたジェノムで、死なんて自分には無関係なもの。
…そうではなかった。今更、間違っていた自分に気付く。
みんな死ぬのだ。弱いとか強いとか、そういうことではなく、死ぬ者はただ死んでゆくのだ。今の自分のように。
そうだ、自分は、もうすぐ、死んでしまう。
「……ッ……!」
ぎゅっと、胸元の鼓動に爪を立てるように、クジャは手を握りしめる。
「もう、終わりだと…思ったのに…!」
自分はどういうわけか、生き残ってしまったのだ。何故目覚めた時、ほっとした、なんて思ったのだろう。生きていて良かった、なんて思ってしまったのだろう。
間違いにまみれたままで、自分はもうすぐ死んでしまう。それが変わるわけではないのに。
…こぢんまりとした部屋には、やはりこぢんまりとしたドアが備え付けてある。クジャはベッドを下り、そして、ドアの取っ手に手を掛けた。
何を考えたわけでもなかった。この訳の分からない感情を、どうにかしたかった。このまま一人きりで居るのでは、ただ、苦しすぎた。
***
「…嘘だろ」
ジタンは手に抱えた食料の袋を取り落とし、呆然と呟く。
部屋を空けたのは、食料を調達するために店へと向かった、本当にほんの数分の間だけだった。その数分後に買い出しから帰ってみれば、きちんと閉めていったはずのドアが、半開きになっていた。
風できしむドアを開け、部屋の中へ入る。ノックのことなど、考えている余裕はなかった。
悪い予感の通り、部屋の中はもぬけの殻だった。ベッドで眠っていたはずのクジャの姿はない。思わず血の気が引いた。
「あの身体でどこ行ったんだよアイツ…!」
ベッドに手を触れると、まだ温かい。抜け出してからそう時間は経っていないようだった。ジタンはそう確認するや否や、一目散に部屋を飛び出す。そう遠くへは行っていない。あの身体では、遠くへなど行けないはずだ。
イーファの樹で見つけた時には、クジャはもうボロボロだった。それは、本来トランス出来ない彼が無理矢理トランスした結果だったのかも知れない。それとも単に、ジタン達を逃した後、魔力が尽きてしまったからか。しかし、寿命と疲労とに苛まれ、彼が長くないのは同じだった。
黒魔導士の村へたどり着いた後も、クジャは長いこと目を覚まさなかった。誰に言われるでもなく、ジタンがクジャの看病をし始めて今日でもう数日目。いつ目を覚ますのかと思っていれば、これだ。
相変わらず自分勝手な奴だな、とぶつぶつ言いながら、ジタンの顔色は優れない。
どこかで倒れていたらどうする? 手遅れになったらどうする? …駄目だ考えるな、そうじゃない。今するべきコトを考えろ。
「どこに居るんだよあの馬鹿…! 後、探してないところって言ったら…」
一旦立ち止まって、ジタンは思考を巡らせる。広場は探した。家には居ない。ジタンの家もミコトの家も。雑貨屋、武器屋…探せる場所を消去法で消すと、残る場所は一つだった。
「墓地か」
『止まった』黒魔導士たちが眠る場所。ジタンは顔を上げ、重くなった足で地面を蹴った。
***
黒魔導士たちの墓地は、あり合わせの材料で作られた素っ気ないものばかりだ。しかし、木と藁と、止まった者達の遺留品とで構成されたその墓標は、何よりも愛情に満ちているとジタンは思っていた。
そうやって雑然と並ぶ墓標の前に、クジャは立っていた。
「クジャ!」
思わず、ジタンは大声で彼の名前を呼ぶ。クジャは一瞬驚いたような顔をして、ジタンを振り返った。
「ジタン…どうしてここに?」
「どうして、じゃないだろ! そんな身体で動き回るとか正気かよ! そんなことしてたら本当に、」
言いかけて、ジタンは思わず口を噤んだ。言いにくそうに眉間にしわが寄る。
死んでしまう。
その言葉は、クジャがあれほど怖れていた言葉だ。反射的に飲み込んだのだが、しかし、クジャは察しているように薄く微笑んだ。
「そうだね…今無理をしたら、死ぬかも知れないね」
ゆっくりとジタンから視線を外し、クジャは言った。その視線は、黒魔導士たちの墓標を辿っている。
「…でも、それでもいいかなと思ったんだ。死んでしまっても、いいかも知れないって」
一瞬、ジタンはクジャが何を言っているのか、わからなかった。驚いてクジャを見ると…クジャは苦しそうに俯いて、自分の手を見つめている。
その細く白い指先は…震えていた。
「目が覚めたとき…正直、安堵したよ。ああ、生きているって。死んでいないって。でも、それと同じくらい…怖くなったんだ」
クジャは堰を切ったように言葉を紡ぐ。何かを話していないと、耐えられないとでも言うようだった。
「僕が殺してきた黒魔導士や、人間や、ジェノムや…他のものたちも、こんな思いをしながら、死んでいったのか」
何も、特別なことなどとは思わずに、その余りある魔力を振るってきた。思うままに殺してきた。壊してきた。
その傲慢な暴力の裏で、死んでいった者達の、なんと多いことだろう。目の前に広がる墓標の群れを見れば判る。
「生き延びても…僕のやったことが、なかったことになるわけじゃない。僕の寿命が延びる訳でもない。これから、いつ死ぬかと怯えて生きてゆくんだって思ったら…本当に」
ああそうか、とクジャはようやく思う。震える自分の指を見て、この、耐え難い衝動の正体を知る。
怖かったのだ。身体が震えるくらい、それが自分でも止められないくらい、怖くて怖くて、潰れてしまいそうで、どうすればいいか分からなかった。
「僕は、こんな間違いだらけのままで…生きていても、いいのか」
もう、戻せないのに。もう、やり直せないのに。
死んでも償いきれない罪を背負いながら、それでも死ぬのがこんなにも恐ろしい自分は、どうすればいいのだろう。
ジタンは何も言えずに、佇んでいる。
何かを言いたかった。怒鳴りたいほど、言いたいことはたくさん胸に抱えていた。…しかし、怖いと震えるクジャに、怒鳴りつけることは出来なかった。
ジタンはそっと、その手を伸ばした。そして、震えるクジャの指先に自分の指を絡める。そうやって、覗き込んだクジャの表情は…心細さで、今にも泣き出しそうだった。
生きていてもいいか、なんて、そんなのは決まっている。だからこそ助け出したのだ。
「…生きてていいに決まってるだろ。間違いだらけなんてオレも一緒だ。みんな一緒なんだよ。間違えないで生きていく奴なんて、居やしないんだ」
間違えないで生きていけるのは、お芝居の中の登場人物だけだ。時には、お芝居の中の人間だって間違える。愛する人の為に死を選んだり、国を思うあまり友を裏切ったり。
小刻みに震えるクジャの指を、暖めるように包み込む。
「なあ、独りでそうやって、自分を責めるのは辛いだろ? オレもそうだったんだ、だから分かる」
ジタンはゆっくりと、言葉を慎重に選びながら言う。彼にもあったのだ。自分の生まれを知り、全てが怖くなって、仲間から逃げ出して自分を責めていたことが。
「オレたちずっと敵同士だったけど、でもさ」
ぎゅっと強く、震える手を握りしめる。そして、微笑む。
「オレたち兄弟なんだから…手を繋いで一緒に行こうぜ。それでいいんだよ。独りで背負うことないんだよ。間違ったっていいよ、オレが今度から直してやれる」
だから、なあ。
今度こそ、ジタンも泣きそうになりながら、言った。
「…死んでも良かったなんて思わないでくれ。オレは、お前が生きていてくれて良かったよ」
ぎゅっと、握りしめる手の力が強くなる。クジャがようやく、ジタンの手を握り返した。
ぽたぽたと、初めてその瞳から涙が零れるのを、ジタンは静かに見つめていた。
FIN.