からさわぎ。
ある日、ベッドの上で本を読みふけっていたら、どさりと上から紙切れが降ってきた。
「……何、これ」
思わず読みかけだった本を閉じ、クジャは不機嫌そうな顔を上げる。
上から降ってきた紙切れを一枚拾い上げると、それはどうやら芝居のチケットのようだった。降らせたのは、さっきから目の前で笑っているジタンだろう。
何十枚もの芝居のチケットが、クジャの目の前に散らばっていた。
「芝居のチケット。タンタラスのみんなに頼んで、ちょっとずつ貰ってきたんだ」
ああなるほど、とクジャはチケットの一枚を見つめながら納得した。
ジタンはこれでも劇団員だ。クジャをかくまうために身を隠している今でも、タンタラスの仲間達とは連絡を取り合っているのだろう。そのツテなら、こういうチケットも用意できるのかもしれない。…しかし、それにしたって。
「こんなにたくさん、どうやって見に行くのさ。…しかもこれ、全部悲劇じゃないか」
クジャはチケットに書かれた芝居のタイトルを一通り見て、眉を顰めた。
芝居のタイトルはどれも、名のある劇作家が書いた悲劇ばかりだ。たまに悲劇ではないなと思っても、何かしら感動を誘うものだったりする。とにかく喜劇は一つもない。
クジャはじとっとした視線でジタンを睨む。
「…嫌がらせと取った方がいいかい?」
「ひどい言われようだな…オレ、そんなに意地悪じゃないぞ」
じゃあなんだっていうんだ。クジャは心の中で毒づいて視線を逸らした。
…イーファの樹から命からがら逃げ出して、早数週間が過ぎた。黒魔導士の村に身を寄せ、静養しているクジャだが、思った以上に体の回復は遅い。
以前のように魔法を使うどころか、今では起きあがって生活することすら困難だった。
自分の体なのに、思うようにいかない。今のクジャには、それがたまらなく腹立たしいし、悔しい。
二十四年、と設定された自分の寿命は、やはりもう擦り切れてしまっているのかも知れない。どんなに足掻いても、もう無駄なのかも知れない。最近はそんなことも考える。
…口に出すとジタンがうるさいので、黙っているが。
「今は自分のことで精一杯だよ。他人の不幸な身の上なんて、聞く気分じゃない」
クジャは手にしたチケットを無造作に放り投げ、呟いた。
ジタンは、放り投げられたチケットを器用に空中でキャッチする。そして、困ったような顔をして笑った。
「いや、そう言うんじゃなくてさ…ちょっと、ミコトに良いこと教えて貰ったから」
「良いこと? …あの子がそんなに面白いことを話すとも思えないけど」
ミコトといえば、クジャとジタンの後に作られた魂あるジェノムだ。黒魔導士の村に来てから初めて出会った。
環境の変化が少ないテラで育ったせいか、ミコトの感情は希薄で、無気力な印象を受けた。それが、抜け殻のような他のジェノムにどこか似ていて…実をいうと少し苦手だ。そんな彼女が、ジタンにどんな話をしたというのか。
「人間ってさ、泣くと寿命が延びるんだって。ちゃんと証明されてるらしいんだよ。お前のこと相談したら、ミコトにそう言われたんだ」
クジャは思わず、目を見開いて、それから困惑したような表情を浮かべた。
…だからこのお芝居のチケットの雨。要するに。
「僕に泣けってこと?」
「まあ…身も蓋もなく言うとそうだけど。急には泣けないだろ。だから色々考えてこうなったわけだ」
…確かに、人間の涙はただ目を保護するだけでなく、体内の不純物を排出する働きがあると、どこかの本でクジャも読んだ。それが積み重なれば、なるほど、良く泣く人間は長生きすると言えるのかも知れない。
が、百歩譲ってそれが事実だとしても、だ。
「どのみち、僕の体力が戻って、歩けるようになってからじゃなきゃ、見に行けないじゃないか」
大きく溜息をついてそう指摘すると、ジタンは一瞬きょとん、とした。
「あ。そっか。そうだよなあ…」
そして、今思い至ったというように、そう言った。
…本当に思い当たらなかったのか。クジャはもう一度溜息を漏らした。
鋭い時はびっくりするほど鋭いのに、ジタンは時々こういう大ボケをかましてくれる。色々あったが、結局これに負けたのかと思うと、今でもほんの少しだけ釈然としない。
ジタンは残念そうに溜息を漏らすと、ベッドの上に散らばったチケットを拾い集め始めた。
「気晴らしにもなればって思ったんだけどな。…ほら、お前、ここんとこ落ち込んでただろ?」
無造作にそう言われて思わずどきりとした。…勘づかれないようにしていたつもりだったが、やはり鋭いときは鋭い。
気落ちしたその表情に倣うように、ジタンの尻尾も垂れ下がって地面すれすれを揺れていた。クジャは、ジタンがチケットを拾い集めているその手を見つめながら、目を細める。
…本当に、どうして僕はこんなヤツに負けたんだろう。
命を失うかも知れないという土壇場で、仲間を置いて敵を助けにやってきて、しかも「寿命が延びる」なんて嬉しそうに言いながら、お芝居のチケットを持ってくるヤツに。
世界を滅ぼそうとした、救いようのない自分に。手を差し伸べて、甲斐甲斐しく看病までして、こんなにたくさん…いくら劇団員だからといって、こんなにたくさんのチケットをかき集めて来るなんて。
…大変に決まっているのに。君が僕を心配する理由なんて、どこにもないはずなのに。
「本当に君って…いや、あの子もだけど…バカだよねえ」
ミコトのこともそっと付け足しながら、クジャは呟いた。
なぜだか目元が熱くて、思わず片手で目元を覆った。ジタンがムッとしたようにこちらを見たような気がしたが、手で目元を覆った視界では、よく見えない。
「クジャ?」
ジタンがなぜか、気遣わしげにクジャを呼んだ。
なんでもないよ、とクジャはなんとか答えることができた。
ただただ優しい君を見ている方が、泣きそうになる。でもこれでいいのかも知れない。
…だって、悲しみに笑うよりも、喜びに泣く方が遙かに幸せなのだから。
FIN.