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最終幕

Posted in 再録

 …マキシミリアン・ドゥ・モルビアンは、金遣いの荒い両親に先立たれ、突然伯爵の爵位を手に入れた少年伯爵だ。幼い頃から苦労を重ね、弟たちを養うために、貴族らしからぬ生活を強いられている。
 だからかどうかは知らないが、性格はどちらかというとひん曲がっていたし、親切さも足りなかった。物言いはぶっきらぼうで、人が傷付くということに鈍感だった。
 しかし、家族とこの島を守らなければ、という責任感だけはあった。

 舞台袖から現れたマキシミリアン…ジタンは、不機嫌そうに目を細めて立ち止まる。
 「伯爵、領地を見回った感想は?」
 妹のイレンヌ役、ルビィがすかさず駆け寄ってそう尋ねた。マキシミリアン(ジタン)は首を横に振る。
 「何もない」
 「…何も? ウシもニワトリも? ワラの山さえ?」
 再びイレンヌが尋ねた。しかし、断固として首を振る。

 ない。何もない。

 モルビアン島には何もない。以前は湧いて出てくるようだった銀は、ひっそりと底をついてしまった。蓄えなどあるはずもない。あったらとっくに、彼らの親が使ってしまっていることだろう。
 マキシミリアンは、今やたった一人で領民と弟たちを守らなければならないのだ。
 その兄の責任感を見越して、イレンヌはそっと、政略結婚の計画を耳打ちする。
 一も二もなく、マキシミリアンは了承した。
妻がどんな女かなど興味はない。守るべきは自分と家族、そして残された貧相な島だけだ。他はどうだっていい。

 やがて弟たちが招待状をあちこちにばらまき始めた。招待状は各国の貴族達に届き、次第にその返事が届き出す。
 …外国の貴族達は、まだモルビアン島から銀が出ると思いこんでいる。そしておまけに、若く美しい少年伯爵が手にはいるのだ。出席を断る姫君が居るわけもない。
 マキシミリアンはそんな強欲な姫君達を冷ややかに見つめている。銀などもう出ない、お前達は騙されるんだ。
 やがてマキシミリアンは、返事の中から一通の手紙を探し当てる。

 「バンドゥビル伯爵の未亡人か…あそこは随分と金を貯め込んでいたらしい。これはねらい目だ。あの夫人は若いとは言えないが、蝶のようにほっそりとしていて、実に美しいそうではないか。ついでに金の羽根が生えていればいいのだが。それを売って、しなければならないことがたくさんある」
 夫人の名はコンスタンスと言った。マキシミリアンは他の姫君の返事も一応確認したが、コンスタンス夫人ほどの金持ちはいないようだった。マキシミリアンはコンスタンス夫人の名前を心に留めつつ、計画を進めていく。

 …強欲な姫君達と、モルビアン島の住人達の思惑は食い違ったまま、やがてパーティが開催される。
 諸外国の姫君達はこぞってマキシミリアンへとアピールを始め、彼はたちまち囲まれてしまった。
 マキシミリアンは心の中では一番の金持ち…すなわちコンスタンス夫人…に狙いを定めながらも、適当に姫君達をもてなす。いちおう彼は、モルビアン島の伯爵なのだから。
 それでも、見かけを着飾って本心を隠し、群がってくる娘達にはうんざりしていた。

 照明がぱっと落ちて、マキシミリアン一人をライトが照らす。
 「どうしてオレはこんな所にいるのか」
 …ここからが、マキシミリアンの一番の長セリフだ。

 ジタンは目を閉じて、時折想像しながら演じる。
 マキシミリアンとはどんな少年だったのか。何を思い、何を感じて生きてきたのか。
 ジタンはマキシミリアンとは違う。少なくとも、ジタンは愛情を感じて育ってきたし、仲間を重荷だと感じたこともない。
 それでもジタンは役者として、マキシミリアンを理解しようと想像力を広げていく。
 …理解することは出来なくても、理解しようとすることは出来る。

 「…オレに愛なんて必要ない。この世にははじめから、そんなものなどありはしないのだ。美も慈しみも。オレはおかしいのだろうか? それなら勝手に笑えばいい。お前に理解して欲しくて、オレは生きているわけじゃない」

 フォードが描き、ジタンが演じるこの少年は、恐らくただひたすらに、孤独だったのだ。
 彼が愛されるべき両親は、彼に借金と苦労しか残さなかった。愛するべき家族は、愛しい一方で、若い彼にとって大変な重荷だった。
 マキシミリアンという名の少年は、世界に確かに存在するはずの慈しみを、信じられなくなっていった。

 「オレは甘い言葉も、愛の誓いも囁いたりはしない。失望するのなら出ていけばいい。…いつかそれでよかったと思う日が来る。今、お前のその胸が痛むことくらいは何でもない」

 長い長いセリフを終えると、落ちていた照明がぱっとまた明るくなった。
 暗くなる前に群がっていた姫君達は消え、代わりにジタンの向かいに立っているのは、一人の少女だった。
 少女は美しいとも、醜いとも言えない。何故なら、彼女の顔はフードに隠されて見えなかったからだ。

 「(マリー…役?)」
 ジタンは一瞬たじろいだ。
 そうだ。ここはヒロインのマリーと初めて出会う場所だ。今まではずっとフォードがセリフを読み上げていた。
 しかし今、目の前に立っているのはフォードではない。体付きや仕草から、女性だとわかる。
 『今夜のリハーサルには、必ずおいでになりますから』
 フォードはリハーサルの前に、そう断言した。だから目の前の彼女は、本物のマリー役に違いなかった。
 ジタンは意を決し、そのまま芝居を続けることにする。相手は初対面とはいえ、練習は積んでいるはずだ。なんとかなるだろう。
 「どうした、そんなところに突っ立って。お前もオレとのティータイムをご所望か? それとも散歩を?」
 皮肉たっぷりの口調でジタンは言う。マキシミリアンを演じる。
 すると、マリー役の女性が動いた。ゆったりとした動きで手を口元に当て、上品に微笑んで見せる。

 「いいえ、そんなものに興味はないわ」

 反射的に言葉に詰まった。その声に、マリー役の女性の声に、聞き覚えがあったからだ。
 「(この声…でも、そんなまさか?)」
 聞き間違えるはずはない。しかし、彼女がこんな所に居るわけもない。

 黙り込んでしまったジタンを見て、『マリー』は少し小首を傾げ、それから口元に小さな笑みを浮かべた。そして、やはりゆったりとした足取りでマキシミリアン(ジタン)の方へと歩み寄ると、口を開く。
 「オレに興味がないなんて、ディナーに来て食事に興味が無いというようなものだ――とでも言いたそうね」
 自分のセリフを言われて、やっと我に返った。
 そうだ、今は芝居の最中だった。ジタンは慌てて自分の頭を揺り起こして、次のセリフを紡ぎ出す。
 「…ここが誰の島か知っているんだろう。それとも他の女に嫉妬するのが忙しいのか」
 「あら、おかしなことを仰(おっしゃ)るのね。私が今でも人形に嫉妬する子供に見えるの? 綺麗に着飾った貴婦人達も、私にはみんなお人形に見えるわ。ちっとも羨ましくなんてない」
 くすくすとしきりに笑いながら、『マリー』はくるりと背を向ける。そうしておいて、軽やかに数歩ずつ歩いては、肩ごしにジタンを振り返って悪戯っぽく尋ね返すのだ。

 「栄光あるモルビアン伯爵さま。そういうあなたはいかが? 私に興味はおあり?」
 細く白い指先が、ジタンの方に差し出される。ジタンはシナリオ通りにその手を取ると、『マリー』の顔を見つめ返した。
 やはり、フードに隠れた表情は見えなかった。しかし、ライトに照らされた細い手は、とても温かかった。

 夜が更け、時間がゆっくりと流れていく。
 マキシミリアンは『マリー』と親睦を深め、やがて初めての恋を知る。
 しかし、二人の間には身分の差があった。『マリー』はコンスタンス夫人付きの侍女で、落ちぶれたとはいえ伯爵であるマキシミリアンとは、簡単に結ばれることは出来ない。
 それでも、マキシミリアンに進み始めた恋を止めることは出来ない。

 時刻が真夜中に近づいた頃、マキシミリアンは自らの島の事実を『マリー』に語り出した。
 「本当は、この島にもう銀はないんだ。溢れるようだった金も、父上と母上が残らず使って逝ってしまった。オレに残されているのは、このがらんどうの島と、そこに住む家族だけだ」
 それは本来、明かしてはならない秘密だった。彼は、どうにかして姫君達をだまくらかし、財を築こうとしていたのだから。
 しかし『マリー』はそれを聞いても、優しく微笑みマキシミリアンをいたわった。
 「あなたが私を信頼してくれたこと、それが本当に嬉しい。たとえこの島に銀がなくとも、あなたと、あなたの家族と、お父様お母様が残した島という財があるのなら、それだけで素晴らしいことよ」
 秘密を打ち明け、それを受け入れられたジタンは、安堵して『マリー』を強く抱き締める。
 ずっと胸に抱えていた重みが、彼女のお陰で随分と軽くなったような気がしていた。たとえこの先、また貧乏に苦しむことになろうとも、彼女が居ればなんとかなるような気さえしていた。

 翌日、マキシミリアンは『マリー』への恋心をコンスタンス夫人に打ち明け、なんとか彼女を島に残して欲しいと頼みに行く。
 しかし、彼はコンスタンス夫人が滞在する部屋の前で、コンスタンス夫人と『マリー』の会話を意図せずに盗み聞いてしまうのだ。
それは衝撃的な内容だった。
 「…それは本当なの、マリー。やはりモルビアン島に銀は無いと?」
 「その通りです、コンスタンス夫人。わたくしは、モルビアン伯爵の口からお聞きしました。もうモルビアン島からは銀は出ない。財は全て、彼の両親が持って逝ってしまったと」
 侍女であるはずの彼女は、コンスタンス夫人と対等の立場に立って話しているように聞こえた。ドアの隙間から伺うと、立ち振る舞いも二人きりの時とは全く違う。

 コンスタンス夫人は深い溜息を漏らして言った。
 「大陸随一の大国、トゥルア公国の姫たるあなたが、わざわざ侍女の振りをしてまで、伯爵のことを調べたい、と言った時は大袈裟だと思いました。しかし蓋を開けてみれば、あなたは正しく用心深かったということね。もしもこの島に銀があったなら、トゥルア公国にとっても、伯爵との結婚は有意義だったでしょうけど…こうなっては意味もないわ」
 マキシミリアンはあまりのことに、耳を疑う。
 『マリー』は、実は侍女などではなかった。身分を隠し、モルビアン島の伯爵がどのような人物かを確かめにきた、トゥルア公国の姫君だったのだ。
 マキシミリアンは裏切られたという気持ちで、『マリー』を激しく責め立てる。
 「あの夜、いたわりの言葉をくれたあなたさえも、偽りだったのか。オレを油断させるためだけに、あんなことを言ったのか」
 一方で、責め立てられても『マリー』は反論らしい反論をしない。やがて、マキシミリアンの態度はどんどんと冷たくなっていき、それと同時に、芝居の雰囲気もどんどんと落ち込んでいく。

 身分を明らかにした『マリー』こと、『マリー・ドゥ・トゥルア』は、コンスタンス夫人に言う。
 「彼が怒るのも当然だわ。まだ銀鉱から銀が出るのかどうかを疑って、堂々と姿を晒すことさえなく彼に近づいた…そのような策を弄したのはわたしなのですから」
 コンスタンス伯爵夫人は言う。
 「侍女の振りをしたからこそ、あの狡猾な少年伯爵の口から、銀が出ないという真実を聞くことができたのですよ。あなたの考えは正しかった。恥じる事なんてあるものですか」
 「そんなことは意味がないわ…」
 コンスタンス伯爵夫人が再び言う。
 「帰国しましょう、マリー殿下。こんなところにいても時間の無駄です」
 しかし、『マリー』は首を横に振った。
 彼女の中では、マキシミリアン(ジタン)への思いと国への思いがせめぎ合っていた。言葉に詰まるその仕草が、観客達に彼女の胸の内を雄弁に語っていた。
 「何もかも、意味はないわ。わたしは…もう彼を愛してしまった。いまさら、わたしにどんな弁明の言葉が紡げるというの? わたしが彼を傷つけてしまったのよ。そのことが苦しいの。あの人が私のせいで傷ついたことが」
 コンスタンス夫人は何度も、あんな無礼な少年伯爵に執着する必要はない、と『マリー』を説得しようとするのだが、『マリー』は言うことを聞かない。
 終盤へと近づく舞台の上で、『マリー』は嘆いた。
 「こんなに苦しい思いをするくらいなら、あなたと出会わない方がよかった。恋はもっと甘く、優しいものだと思っていたのに――」

 …二人はすれ違ったまま、時間だけが過ぎていった。
やがて、数日間のパーティはお開きとなり、『マリー』とコンスタンス夫人も帰国する日が近づいてくる。
 弟達は何かと理由を付け、『マリー』が帰ってしまうことをほのめかすのだが、マキシミリアンはがんとして、船着き場へ行こうとしない。ずっと部屋に閉じこもり、口を噤んでいる。
 ただ、時計だけはずっと気にしていた。
 …やがて時計が正午を指し、十五分ほどが過ぎた頃。マキシミリアンは思い立ったように部屋を飛び出し、城で一番高い塔へと駆け上がった。
 もう、海には一隻の船もない。『マリー』が乗っているはずの船は、もうとっくに出発した後だった。
 マキシミリアンは塔の上で立ちつくしていた。そしてふと、観客の方を振り返る。
 「…わかっていた。オレにあなたを責める権利はなかった。あなたにオレを責める権利がなかったように」
 大切な人がいなくなってしまってからしか、素直になれない。マキシミリアン(ジタン)はそんな、どうしようもなく不器用な少年だった。
 「オレが人生を売り払おうとしたのは、家族と故郷の平和のため…愛するあなたにも、その平和が訪れることを祈るしかない」
 失意のうちにマキシミリアンは塔を降りる。
 二度と彼女には会えないだろう。そのことがただ、胸に重く残っているだけだった。

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