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Posted in Persona4, and テキスト

花村×主人公。

* * * * *

 理不尽な噂に、不当な言い種に、一秒だって晒しておきたくないと思うのは、過ぎたことだろうか。

 学校帰りに立ち寄ったジュネスで、陽介を見た。
 今日もバイトらしく、エプロンをつけてあちこちを走り回っている。バックヤードに引っ込んだかと思えば売り場にやって来てタイムセールの段取り。客に商品の場所を聞かれて、愛想よく対応する。
 見ている悠の方が目が回りそうだ。手が空きそうな頃を見計らって声をかけようと思ったのだが、その隙さえなさそうだった。
 「(無理してないといいけど)」
 つい昨日もテレビの中に行ったばかりだ。学校ももちろんあるし、陽介はちゃんと休めているのか心配になってしまう。
 本当のことを言えば、せっかく会えたのだし、せめて一言くらいは話したいのだが……
 「……あくせく働いちゃって。商店街のお客取っておいて、心が痛んだりしないのかしら」
 「やだ、近いわよ、聞こえるんじゃない」
 思わず立ち止まり、声のしたほうを見た。何となくだが、見覚えのある人だ。もっとも、見覚えなんてなくても大体の察しはつく。商店街に店を構える誰かの関係者だろう。
 陽介が走り回るすぐ傍で、悪意に満ちた言葉を吐き続けている。
 本人の方はと言えば聞こえていないのか、それとも聞こえないふりをしているのか、黙々と仕事をこなしている。
 「(また)」
 こういう場面に遭遇するのは、一度目ではない。
 ジュネスがこの町に出店したせいで、元からある商店街がどれだけの影響を受けているか、知らないわけではないし、同情もする。実際、こういったことは全国的に問題視されているのだ。
 だからといって、その不満を陽介にぶつけていい理由にはならない。
 安全なところから、考えなしに悪意という名の石をぶつけるその卑劣さに、慣れることなど出来ない。
 ……ぶつけられているのが、自分の大事な人ならなおさら。
 「陽介!」
 気付いたらそう呼びかけていた。陽介が跳ねるように顔を上げ、こちらを見る。
 「あ、悠か。なんだ、来てたのか」
 「欲しいものが見つからないから、ちょっと探すの手伝ってくれ」
 「え? ちょ、おま!」
 陽介が余計なことを言う前に、悠はその手を取ってぐいぐいと引っ張っていった。陽介は従うというよりは引きずられている感じで、後ろで何事か喚きながらもその後についていく。
 「おい悠っ、待てって! どこ行くんだよ!」
 やがて人の多い売り場を離れ、客が避けて通る階段の辺りまでやってきたとき、陽介がたまらずにそう言った。
 悠は人の気配が遠ざかったのを感じて、やっとその手を離す。そして、まるで過ぎたわがままを咎められた子供のように俯いた。
 「ごめん」
 「いや、いいけどさ。で、欲しいものって?」
 ……尋ねられて、言葉に詰まった。
 欲しいものなんて、特になかった。いや、買い物に来ていたのだからあるにはあるが、ジュネスはよく来ているし、欲しいものの場所なんて聞かなくても分かる。
 ただ、あの場に陽介を一秒でも長く居させたくなくて、適当なことを言っただけで。
 「悠? どうした?」
 黙りこんだ悠に、陽介が不思議そうに首をかしげて名前を呼んだ。
 どこか気遣わしげなその声に、ああ、陽介はこんなにいい奴なのに、どうしてみんなそれがわからないのだろうとなぜだか悔しくて堪らなくなった。
 『心が痛んだりしないのかしら』
 先ほど聞いた、心無い言葉がよみがえる。
 痛まないわけないじゃないか。むしろ、他の誰かより、ずっとずっと。心を痛めて、他人の分まで悲しむような奴だ。
 だから、理不尽な噂に、不当な言い種に、一秒だって晒しておきたくない。……そう思うのは、過ぎたことだろうか。
 そう考えた瞬間、手が無意識に、陽介の両耳をそっと塞いだ。まるで、陽介がいつもしているヘッドフォンの代わりみたいに。
 「悠……?」
 陽介は驚いたようだったが、悠が相変わらず淋しげなので、また名前を呼ぶだけだった。
 半端に音が遮られた世界で、悠の表情だけが際立って見える。思いつめたような、彼らしからぬ表情だった。
 「ごめん。欲しいものなんて、ないんだ。嫌な噂が聞こえて、陽介が聞いているんじゃないかと思って、そう思ったら、我慢できなかった」
 くぐもった世界で、悠の声がかすかに聞こえた。
 陽介は一瞬言葉に詰まって、もう一度俯いてしまった悠をじっと、見つめている。
 「仕方がないって、陽介がいつも言ってるのも知ってる。本当に仕方がないってことも、分かるんだ。すぐに解決することじゃないんだって。でも、嫌だった。陽介に聞かせたくなかった。本当はあの場で、こうしたかった」
 すぐに解決できないなら。せめてその悪意が届かないように、塞いでしまえたらいいと思った。
 「……ごめん、馬鹿げてるな。仕事中なのに、本当にごめん」
 言って、悠がその手を離そうとした瞬間、その手に、陽介の手が触れた。
 驚いて陽介を見上げると、陽介が悠の手をつかんで、そっと下に下ろさせてから微笑んでいる。
 「ありがとな。……でも、俺はやっぱ、聞こえるほうがいいかも」
 悠の手のひらを見下ろして、陽介はその手を握り締める。
 「だって、お前の声が聞こえない方が嫌だし」
 人懐こい笑みでそう言う。
 嫌な噂が聞こえるたびに、いっそ音のない世界に逃げ込めたらどんなに楽かと思うこともある。でもその世界にはきっと、大事な人の声だって届かないのだ。どちらがいいかといわれれば、それなら大事な人の声が届く場所がいい。
 自分のために、自分の耳を塞ごうとしてくれるほど、想ってくれる人のいる場所がいい。
 「さってと。ちょうど休憩時間だし? フードコート行くか」
 「え、あ……い、いいのか?」
 「へーきへーき。たまにはサボんねーと。悠がせっかく来てるんだしな。ちょっとでも話してたい」
 時計を見て、今度は陽介が悠の手を引いた。悠も躊躇ったのは一瞬で、すぐにうなずいて後に続いた。

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