自宅主人公・日暮白夜。鍵介×主人公。
ウィキッド戦のとき主人公だけ飲まず食わずなんだけど、という話。
* * * * *
旧校舎一階の体育館を出て、帰宅部一同はほっと安堵のため息をついていた。
危なげなくとは行かなかったが、なんとか楽士・ウィキッドを退却させ、鳴子を取り戻すことが出来た。成果としては十分すぎる。
今は校舎そのものを出て、部室の次、これからの落ち着き先をどうするか、というところだった。
「無事に守田先輩を助けられて良かったですね」
「ほんとごめんね、みんな」
美笛が言うと、鳴子はまた申し訳なさそうに目を伏せた。それを、鈴奈が優しく肩を叩いて慰める。
「もう謝らないでください。先輩が無事でよかったです」
そうですよ、と美笛も再度後押しした。鳴子もやっと、頷いて笑顔を浮かべる。
「しっかし、監禁した上差し入れに睡眠薬って、楽士もえげつねーことする……」
たっぷり睡眠薬が入ったサンドイッチのことを思い出したのか、鼓太郎が嫌な顔をした。
「楽士が全員あんなのってわけじゃないですけどね。ウィキッドは特別と言うか、程度がひどいというか」
鍵介も重いため息をついた。
同じオスティナートの楽士として動いていた頃も、ウィキッドとはシルエットで通信したことしかない。姿は見えなくても言動で異常性を強く感じてはいたが。更に実際に敵として出会うとなれば、なかなかどうして、その恐ろしさは凄まじいものがあった。
「出来ればもう二度と相手にはしたくないな。そういうわけには行かないだろうが」
維弦もさすがに疲れを感じさせる声でそう言った。
単なる力量の話ではない。思想やそれに基づく行動、思考、嗜好が明らかに異常で、話をするだけでも疲労感を感じてしまうのだ。精神を削り取られる思いがする。
「とにかく今は新しい落ち着き場所を決めなきゃですよね。笙悟先輩と琴乃先輩が探しに行ってくれてますけど、私たちも……って、聞いてます、部長?」
美笛が部員たちを振り返る。そして、最後尾を歩いていた帰宅部部長・白夜に向かって小首を傾げた。
というのも、白夜は先ほどからずっと最後尾を俯き加減で歩いており、全く表情が見えないし、反応も薄いのだ。
元々口数が少なく、大人しい性格の彼ではあるが、今日は少し度が過ぎて静かな気がした。
「先輩? 大丈夫ですか?」
白夜の少し前を歩いていた鍵介が立ち止まり、俯いている顔を覗き込もうとする。
まさか先ほどの戦闘で、どこか怪我でも――そう続けようとしたその時、白夜の細い腕が物凄いスピードで伸びてきて、鍵介の腕を掴んだ。
「え」
鍵介はそのあまりの素早さに思わず身体を硬直させ、声を上げる。しかし、白夜はそんなことを気にもしていない様子でゆっくりと顔を上げた。
「鍵介……俺……」
透けてしまいそうなほど白い肌。そこに埋め込まれた瞳が、鍵介をじいっと見つめている。それはどこか物欲しげにうるんでいて、口はほんのりと半開いていた。ぐい、と、鍵介の腕を掴む力が強くなり、鍵介の身体が白夜の方に引き寄せられる形になる。
「えっ、ちょ、せ、先輩っ」
なんだこれは。いきなりそんな。しかもここは公共の場で、帰宅部のメンバーの前なのに!
いや、みんなの前だからなんなんだ! 僕と先輩は別にそういう関係とかじゃないし! いや、そういう関係ってなんだ! どんな関係だ!
そんなことを鍵介が考えているなどとは全く知るはずもなく、白夜はその唇をもう少しだけ開いた。
そして。
がぶり。
思いっきり、鍵介の腕に噛み付いた。
「い……っ……痛ーーーッ!?」
カウンターもままならない完全な不意打ちに、鍵介は思わず絶叫した。
「きゃあああああああああッ!?」
その絶叫に仰天し、前を歩いていた鈴奈が涙目で絶叫第二声を打ち上げる。
「せ、先輩! 何やってるんですか!」
続いて美笛が慌てて白夜を引きはがしにかかったが、白夜と来たらがっちりと鍵介にしがみついて齧りついている。
「だ、だめ。めちゃめちゃしっかり噛み付いてる」
「なんつー執念だよ!」
代われ! と、鼓太郎が美笛に代わって引きはがそうとするが、それでもなかなか離れようとしなかった。
「い、痛いです先輩本当に痛いです! あ、いたたたたッ、咀嚼しないでくださいほんとに!」
がじがじと腕をかじられ続けて、鍵介はもう恐慌状態である。
「おいやめろ、そんなものを食べたら腹を壊すぞ」
「峯沢先輩そういう問題じゃありませんよね!?」
「ツッコミはいーから! 早く引きはがさないとっ」
鳴子の再ツッコミで維弦も協力し、やっと白夜を引きはがす。すると白夜はふらり、と大きくふらついて、
「……おなか、すいた……」
やがて仰向けにぱったりと倒れてしまったのだった。
そういえば部長は睡眠薬入りサンドイッチすら食べずに戦っていたのだ、と帰宅部メンバーが思い出したのは、その直後だった。
「だからって見境なく人の腕かじらないでください!」
それからなんとか校舎内で人目が少ない教室を探し、内側からつっかえ棒するという急ごしらえの状態で、帰宅部は再始動した。
「その節はたいへんごめんなさいでした」
野菜ジュースのパックを名残惜しそうにすすった後、深々と頭を下げる白夜に、鍵介は本日何回目かの深いため息で応える。
腕のかじられた部分はとりあえず応急手当して包帯を巻いてある。まだ少しじんじんと痛みがあるが、そのうち無くなるだろう。
今新部室には鍵介と白夜の二人だけだ。
鈴奈、美笛、鼓太郎は追加の食糧調達。鳴子と維弦は部屋の前で見張り役をしてくれている。
「いえ、無理をさせたまま気が付かなかった僕らも悪いので、もうこれ以上は言いませんけどね」
すみませんでした、と鍵介も謝る。白夜は首を横に振るばかりだ。
元はと言えば、極限状態だったとはいえ、警戒なく出された食べ物を食べた自分たちが悪かったのだ。むしろ、敵の計略を見抜き、一人戦ってくれた白夜には感謝するべきなのだが。
「今回のこともそうですけど、先輩は不言実行すぎます。辛いとか、無理そうなら言わなきゃわかりませんよ」
「ごめん」
しゅん、と俯いて、白夜は言った。鍵介はまたため息をつく。
この人はわかってない。
「先輩、怒られてると思ってます?」
「……違うのか?」
ああ、やっぱりわかってない。だからこの人は厄介なのだ。
「違います」
きっぱりと否定して続ける。透けるような色白の肌と、そこに埋まった瞳に浮かぶのは――困惑。
「心配してるんです」
わかりましたか、先輩。
***
「……ねえ、笙悟」
「どうした」
二人、先行して新部室探しをしていた笙悟と琴乃だったが、ふと琴乃がスマートフォンを片手に足を止めた。
「今鳴子ちゃんからWIREが来たんだけど、なんか、鍵介君が部長に襲われたって」
「なんだそれは」
あらあら、やっぱりみんな思春期なのねえと琴乃は楽しそうに含み笑うだけだった。