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Catch me if you can.

Posted in Persona4, and テキスト

花村×主人公。
アニメ12話の話。舞台を見に行った記念に。

* * * * *

 からっぽを終わりにしてあげる。

 うつろな目と、だらりと垂れ下がった手。無気力さを体現したかのような久保の影が、特捜隊の前に立っていた。
 久保の抑圧された内面、シャドウと呼ばれる「それ」。シャドウは最初、なにやらぼそぼそと喋っていたが、唐突に顔を上げ、言う。
 その瞬間、それは起こった。
 ぶわ、と、空気が揺れて、産毛を撫でる。
 「なに!?」
 千枝が真っ先に気付いて身構えた。
 空気が揺れた大元は、久保の影が見つめていたテレビだった。何かゲーム画面のようなものが映し出されているが、遠すぎてよく見えない。そのモニターから、靄、としか形容できない何かがあふれ出したのだ。
 あるいはここはテレビの中なのだから、霧、と言うべきだろうか。しかし、普段テレビの中に広がっている霧は白いが、今広がろうとしている霧は、まるで真夜中の空のように黒い。
 「ッ!? 危ねえ鳴上!」
 陽介が叫んで警告した。テレビから溢れた霧が、一気に広がったかと思えば、悠に向かって一直線に走ってきたからである。
 直感した。これはやばい。正体が何か分からなくても、やばいことだけは分かる。
 それでもいつもなら、避けられるタイミングだった。
 「……っ……」
 「悠先輩!?」
 後方でアナライズとサポートに徹していたりせが、半ば悲鳴のような声で悠を呼んだ。
 それでも悠は動かない。カードを握るはずの手は開かれており、眼鏡の奥の瞳は揺れていた。
 「先輩!」
 「センセイ!」
 仲間達が口々に自分の名前を呼ぶが、反応はない。
 獲物が逃げないことを悟ったのか、それともそんなことは最初から関係ないのか。黒い霧はどん欲な蛇のようにうねると、無数の糸のように分かれた。
 はっ、としたときにはもう手遅れだった。
 悠が空を見上げた時には、そこには久保の深層心理が作り出した電子の風景はなく、ただただ暗い、真夜中の闇が広がっているだけだった。
 「鳴上ッ、逃げろ!」
 陽介の声。仲間の悲鳴。腕を引かれる感触。足を掴まれる感覚。空を切り、体が引きずられていく。
 霧は一切の容赦など見せず、悠を『テレビの中』へと引きずり込んだ。

 ふと気がつくと、暗闇の中にいた。そしてどこからか、声が聞こえてくる。
 ひどく意識がぼんやりとしていて、視界の焦点も合わない。まるで風邪をこじらせて熱を出した時のような感覚だった。
 ここはどこだろう。自分はどうなったのだろう。目を開いても閉じても、真っ暗闇なのは変わらなかった。何も見えない。
 ただ、誰かの声が「聞こえる」だけだ。
 『からっぽだ』
 『何もない』
 『無だ』
 それは、誰の声だっただろう。誰の言葉だっただろう。
 ……誰かを助けに来た、追いかけてきたような気がする。でも曖昧で、はっきりと思い出すことが出来ない。
 やがて声は見知らぬ少年の声から、聞き覚えのある声へと変わっていく。
 『俺には、なにもない』
 それはさっきよりもずっとはっきりと聞こえた。聞きたくなくても、響くと真っ先に耳に飛び込んでくるような気がした。
 『俺は無だ。……そうじゃなきゃいけない』
 そうじゃなきゃいけない?
 その言葉にふと疑問を覚えて、彼は、鳴上悠は顔を上げた。
 閉じていた目を開き、耳をふさいでいた手をどける。しかし、相変わらず広がっているのは果てしない黒と、無数の声だけだ。
 『俺はからっぽだ。俺の中には何もない。それが正しいんだ』
 声はさらにまくしたてるが、悠はもう耳をふさぐことは出来なかった。
 その声に聞き覚えがあったからだ。いや、本当はもっと前に気付いていた。
 この声は、俺の声だ。
 ぱっ、と。突然、辺りに光が満ちた。
 「……っ……」
 真っ暗闇からいきなり明るいところに放り出され、悠は思わず眉根を寄せた。
 部屋の明かりがついた? いや、違う。一斉に電源が点いたのだ。
 この空間に無数に置き去りにされている、テレビの。
 『俺は、誰なんだろう』
 声は、テレビの中から聞こえていた。思わず悠は、テレビ画面を注視する。
 テレビに映る画像は不鮮明で、そこに誰が映っているのか、正確にはわからなかった。
 それでも分かる。この声は、自分の声だ。
 『お前は、誰だ?』
 テレビの中の『声』は、悠に、尋ねた。
 今までずっと一方的に話していた『声』が、初めて悠を認識し、悠に答えを求めた。
 「俺、は……」
 即答できなかった。
 自分とは、誰なのか。そのテレビの中に映っているのは、誰なのか。どうしてそんな簡単なことが、答えられないのだろう。
 唇は必死に何かを答えようとするのに、震えるばかりで言葉はいっこうに出てこない。代わりに、ぞわり、とした寒気が背中からはい上がってくる。自分が何か得体の知れないものに変わっていくような心持ちがして、不安だった。

 悠が答えないでいると、テレビの中の『声』が、唐突にまた語り始める。
 『鳴上悠』
 名前を、呼ばれる。それは悠の名前だった。
 『月森孝介』
 『瀬多総司』
 また、名前。誰かの。いや、違う。誰かの? 違う、その名前は。
 「やめろ……」
 悠は無意識に拒否していた。また耳をふさごうとするのに、手はぴくりとも動かない。
 知らない。そんな名前は知らない。でも知っている。それは、俺の名前なんだから。
 『…………、…………』
 『……………、…………、…………』
 『………、…………、………』
 声は増え続ける。あらゆる名前、まったく違う名前を呼び続ける。
 しかしそのどれもが、悠の名前なのだ。
 「違うっ!」
 ついに耐えきれなくなって、叫んだ。
 その途端、どうやっても動かなかった腕も、足も、糸が切れたように動き出した。頭を抱え、聞かないように躍起になるが、声は止まらない。
 『俺は、誰にもなれない』
 『でも、俺にもなれない』
 『誰かが名付けた名前が俺の名前で』
 『誰かが呼ぶ名前が俺の名前』
 怯え、声を聞くまいとする悠を嘲笑うように、声はいっそう悠を責め立てた。たとえ声の語る内容が人を責めるものではなかったとしても、その言葉は間違いなく悠を責め立てていた。
 『本当の俺もお前も、どこにもいない。からっぽだ。そのことに、誰も気づきもしない』
 やがて、悠の正面に置いてあるテレビから、ひときわ際だつ声がそう言った。その声が他の声に比べて穏やかだったような気がして、悠は恐る恐る、顔を上げた。
 テレビには、やはり、ぼやけた虚像が映っているだけだ。
 『……でももう、そんなのは終わりにしたい。からっぽなんて、もう』
 終わりにしよう、と、虚像は言った。
 そして視界は暗転し、悠は音もなく夢を見る。

 耳障りな金切り声が空気を揺らす。全員の目の前には、巨大な赤ん坊のようなシャドウが浮かんでいた。
 久保のシャドウが暴走したのだ。ぎらついた目のシャドウは、じろりと特捜隊の面々を睨み付けると、気味の悪い声で鳴いた。
 「何なの、もう! 鳴上君を返しなさいよ!」
 千枝が焦れたように唸り、トモエと一緒に地面を蹴った。足を振り上げ、そのまま綺麗に弧を描かせてシャドウに跳び蹴りを食らわそうとする。
 「ダメ、千枝先輩! まただよ!」
 しかしその瞬間、りせが待ったをかけた。勢いに乗りかけてはいたが、千枝は冷静に蹴りの勢いを殺し、着地する。
 さっきと同じだ。全員が身構え、密かに舌打ちした。
 目の前で、久保のシャドウが変貌を始めていた。より正確に言うなら、シャドウの周りを何かが囲い始めていた。
 それは例えるならおもちゃのブロックだろうか。色とりどりの立方体がどこからか現れ、シャドウを取り囲み、別の像を結んでいく。
 「ま、またピコピコなやつになったクマー!」
 クマが言うとおり、目の前に立つシャドウは、まるでテレビゲームのキャラクターのように見えた。
 無数の立方体が色を重ねることによって結ぶ、虚像のニンゲン。実際その通りで、先ほどから何度もうち崩しているにもかかわらず、すぐに元に戻ってしまうことを繰り返しているのだった。
 もちろん、中にいる本体にも先ほどから何回かダメージは与えている。しかし焼け石に水の状態で、相手のダメージよりこちらの消耗の方が激しいように思えた。

 『からっぽ……からっぽだ、僕には、何も……』
 久保の影はずっと、何事か呟いている。それは攻撃してくる時のヒステリックな叫び声とは対照的に静か過ぎ、逆にぞっとする。
 「チクショウ、こんなことしてる暇ねえってのに……! 先輩!」
 完二が吠えた。前衛で率先して攻撃しているため、一番消耗が激しいはずだが、それでもまだ闘志は消えていない。
 悠が先ほど引きずり込まれたテレビは、シャドウと一緒にブロックに囲まれ、消えてしまっていた。何とかするには、どうしてもこのブロックを壊さなければならない。
 「(どうする)」
 陽介は燻る思考を無理矢理冷やそうと必死になりながら、考えた。
 みんなもうボロボロだ。いつもなら退く。でも鳴上は? 助けないと。でもどうればいい。
 こんな時、相棒ならどうするか。息詰まった時、危なくなった時は常にそう考えていた。その相棒が、いない。
 焦りを消化出来ずにいる陽介を、久保のシャドウが見下ろす。
 『どうせ何もない。どうだっていいんだ、全部。だから全部終わりにしてあげる。からっぽの僕も、からっぽのこいつも』
 こいつ、と指されたのが、先ほど中に飲み込まれた悠のことであると理解するまで、数瞬必要とした。だが理解した途端、かっと頭に血が上る。
 「っざけんな! お前なんかに鳴上の何が分かるんだよ! 鳴上のどこがからっぽだって言うんだ! 血も涙もない人殺しのお前なんかと一緒にするんじゃねえ!」
 そう、小西先輩を殺したやつなんかと、相棒を一緒にされたくない。しかし、久保のシャドウはそんな陽介の言葉をせせら笑った。
 『お前たちにはそう見えていても、こいつ自身が一番わかってる。自分はからっぽだって』
 底冷えのする声だった。
 『絆の力? 笑わせる。 綺麗な言葉で濁したって、「ほんとうのこと」は変わらないさ。周りに誰かが居て、誰かに関わってもらえなければ自分を満たせない、そんなやつに自分なんてあるものか。そんなのは人間じゃない、必死で人間のふりをしているだけの人形じゃないか』
 淡々と、人を、ひいては自分を卑下するような言葉を囁き続ける影。
 トモエが薙刀を振り下ろし、避けられたところを千枝が得意の足技でフォローする。さらに後方からコノハナサクヤが舞い、火炎を降らせた。しかし、高温の火炎が辺りを舐め尽くしても、久保のシャドウは平然としている。

 『何にでもなれる? 特別? そんなものに何の意味がある? ああそうだ、人形ならどんな人間にもなれる。望まれるまま何にでもなれるけど、本物にだけはなれない。そんなもの、最初から何も無いのと同じだ』
 シャドウがまくし立てる。先ほどまで久保の声だと思っていたそれは、今は微妙に違うような気がした。
 久保の声に重なって、誰かの声が無数に入り交じっているような、違和感。
 「なんなの、あれ……なんか、いっぱいいるみたいな」
 りせもその違和感を感じているらしく、こわばった声で呟いた。
 「いっぱいって、シャドウは久保のシャドウだけだろうが!」
 「わかってる! さっきはそうだった……でも、なんか、おかしい。先輩が取り込まれちゃってるからなの?」
 完二がいっこうに好転しない状況に焦れたのか、思わず声を荒げる。りせも首を横に振るばかりだ。彼女のアナライズでも、一体あの影の「中」に何が起こっているのか計りかねているのだ。
 『お前達にも分からない。からっぽじゃない奴には分からない。みんな見たいように俺たちを見る。捉えたいように捉える。俺が俺かどうかなんて、気にも留めない』
 そんなのは終わりにするんだ、と、影はもう一度吠える。
 途端に辺りが暗くなり、無数の雷撃が空から降ってきた。ばちばちと派手な音を立てて辺りに散ったそれは、過たず仲間達を直撃する。
 あちこちから悲鳴が上がった。あまりの衝撃に、一瞬意識が落ちかける。
 かはっ、とカラカラになった肺から空気を吐き出して、それでもなんとか陽介は顔を上げた。

 「(鳴上……あの中に、いんのか……)」
 だとすれば、シャドウから漏れ聞こえるあの自虐的で暴力的な言葉は、悠の言葉でもあるのだろうか。
 お前達に俺の何がわかる、と。悠はそう思っているのか。
 確かに、陽介も他のみんなも、悠のことを本当に理解しているかと言われれば、自信などなかった。そんな自分たちに、悠は傷ついていたというのか。
 そう思った瞬間、胸が焦げたように熱くなった。嫌な熱さだった。恥ずかしさのような、逃げ出したくなるような、そんな熱さ。
 悠に失望されていたかもしれない、と言う、不安。
 「……来い、ジライヤ!」
 そんな不安から目をそらすように、陽介は力の限りもう一人の自分を喚んだ。
 しかし、答えは返ってこなかった。カードも、あの開放感も、何も湧いてこない。
 「なっ」
 ペルソナが喚べない。そう理解するよりも早く、久保の影が目を見開き、金切り声を上げた。
 ハッとして空を仰いだときにはもう遅い。ばちばちっ、と、再度電撃が走る直前の、あの火花が見えた。
 「(やばい)」
 これは死ぬかも、と、本気で思った。
 雷撃が容赦なく降ってくる。遠くでやっと立とうとした仲間達が、陽介の名前を呼ぶのが聞こえた。思わず目を閉じ、顔を腕で覆う。なんの気休めにもならないが、本能というやつだった。

 しかし、覚悟していた痛みはいつまで経っても来ない。
 「…………?」
 恐る恐る目を開け、腕をどけた。まず見えたのは、黒と、すらりと伸びた刀身。黒は服の色だ。陽介達が通う、八十神高校指定の学生服を来た青年が、陽介をかばうように前に立っているのだ。そして彼の右手には、刃渡りの長い刀が握られているのだった。
 「大丈夫か、陽介」
 青年が陽介を振り返る。その精悍な顔つきは、さっきシャドウに飲み込まれたはずの悠そのもので。
 「鳴上……?」
 そんなはずない、と思う心とは裏腹に、口が勝手にその名前を呼んだ。
 しかし、薄く微笑んだその『鳴上』を見て、陽介の中の記憶が違う、と叫んだ。
 「……じゃ、ない……」
 何が違うのか。どう違うのか。それも頭では理解できず、しかし確信していた。
 「そう。やっぱりお前には分かるんだな。なんだ、思ったより大丈夫そうじゃないか」
 そして何より、目の前の鳴上、ではない鳴上悠にそっくりな男が、そう認める。男はまた陽介に背を向けると、虚空に浮かんだカードを握り、ペルソナを召喚する。
 やはりそのペルソナも、イザナギだった。
 「瀬田雄也。双子というわけでもそっくりさんというわけでもないが、今は説明している暇はない」
 雄也と名乗った男は肩越しに陽介を振り返り、言った。
 「お前達の『悠』は、まだあのシャドウの内側にいる。援護するから早く行ってやれ」
 「い、行けって言ったって……」
 まだ混乱から復帰しない頭を無理矢理動かしている陽介に、雄也は微笑む。
 「いいから。行って、呼ぶんだ。お前達の声ならきっと届く」
 そうだろう、と雄也はまた陽介に背を向け、今度は立ちはだかるシャドウに向かって言った。
 正確には、その中にいる『悠』に、だろうか。
 「からっぽなわけないだろう」
 その言葉は凛としていた。
 「その痛みと、これからお前を掴んでくれるぬくもりを忘れるな。それがお前をお前にしてくれる」
 まるで謎かけのような、それでいて全ての答えであるかのような、不思議な言葉だった。
 「イザナギ!」
 イザナギが、声に応じて剣を一振りする。空が一瞬で曇り、辺り一面にすさまじい威力の雷撃が降り注いだ。
 悠のイザナギや他のペルソナが使う雷撃とは比べものにならない。久保のシャドウが、たまらず電子音じみた悲鳴を上げて砕けた。
 「今だぁッ!」
 完二がその隙を逃さない。タケミカヅチが壊れたブロックの一部を掴み、元に戻らないよう押さえ込む。
 道が出来た。目の前に開けた視界を見て、陽介は思った。
 「行け。呼ぶんだ。力一杯。大丈夫、陽介はちゃんと分かってるよ。ちゃんと「悠」を助けられる」
 俺が言うんだから信用しろ、相棒。
 と雄也が言う。途端に心が軽くなった。目の前の男は悠ではなくても、その言葉は悠に言われたのと同じ重みがあった。
 陽介は歯を食いしばり、立ち上がる。

 そうだ。ここで諦めるということがどういうことか、自分には分かっているはずだ。相棒を置いていくということだ。そんなこと、出来るわけがない。
 例え何を避けても、何を諦めても。あいつことだけは諦められない。置いていけない。置いていきたくない。
 「分かってもらえない」なんて思わせたまま、置き去りにすることなんて絶対に出来ない。

 「ジライヤ!」
 もう一度、覚悟を込めて呼ぶ。すると、虚空からすうっと、何事もなかったかのようにカードが現れ、ばきん! と割れた。
 もう一人の自分が即座に顕現する。と同時に、地を蹴って駆け出した。
 仲間達が作ってくれた道を駆け抜けて、悠が飲み込まれたシャドウの内側へ、内側へと昇る。
 「悠!」
 そして、相棒の名前を呼んだ。
 「手を伸ばせ! 悠ーーーッ!」
 応えてくれ。頼む。
 そう思って伸ばした手は、暗闇の中、確かに悠の手に触れた。

 次の日は雨だった。ざあざあと耳障りな雨音は、予報によると数日間続くそうだ。そうして続いた後には、また霧が出るのだろう。
 タイムリミットにはギリギリ間に合ったらしい、と陽介はほっと胸を撫で下ろしていた。それでもまだ緊張感が残っているのか、今日は珍しく寝坊もせずに済んだ。自称特別捜査隊の『活動』も、時々プラスになるものだとしみじみ思う。
 「陽介」
 ふと呼ばれて、振り返る。陽介と同じように傘を差して、悠がそこに立っていた。
 「どした?」
 「いや、改めて言っておこうと思って。ありがとうって」
 「なんだよ。昨日散々言っただろ」
 神妙な顔で言う悠に、陽介は思わず破顔した。案外律儀な相棒である。
 悠は困ったような、どことなく嬉しそうな微笑みで返したが、ふと表情を曇らせた。
 「それで、その。昨日話してくれた話なんだけど。陽介を助けてくれた『俺』って……なんだったんだろうな」
 「さあな。昨日も言ったけど、気付いたらいなくなってたし。俺以外のやつは気付かなかったっていうんだから、案外俺が見た幻だったのかもな」
 幻はペルソナを喚んだりしないし、励ましてもくれないだろうけど。
 密かにそう思ったが、あえて口にはしない。
 『その痛みと、これからお前を掴んでくれるぬくもりを忘れるな。それがお前をお前にしてくれる』
 「雄也」が悠に向かって言った言葉の意味を、正直、理解することは出来ずにいた。陽介にとって悠はただ一人、目の前にいる「悠」であり、それ以外ではあり得ない。もしかしたら、陽介にはまだ理解できない何かを、悠は抱えているのかも知れない。それでも。
 ぱしゃり、と水音を踏んで、陽介は悠の前に進み出た。驚いたような悠の顔を覗き込み、満面の笑みを浮かべる。
 「ま、いいんじゃねーの、結果的に助かったわけだしさ」
 考えてもしょうがねえよ、と努めて楽観的に聞こえるよう言ったその言葉に、悠は一瞬何か言おうとしたが、結局「そうかもな」と頷いた。
 「行こうぜ、悠」
 「ああ、陽介」
 あえて名前を呼んで促すと、ぱしゃり、と今度は悠が水たまりを踏んで、歩き出す。

 真夜中の黒に染まった空間で、音もなくテレビの電源が点いた。
 羽虫が耳元を舞うような微かな音と共に、殺風景な画面が映る。かつて声だけが聞こえてきたその画面には、今度ははっきりとした映像が映っていた。
 『………………』
 色素の薄い黒髪に、精悍な顔つきのその青年は、鳴上悠であった。金色の目をしたその悠は、何か考え込むように目を伏せると、ふと視線を逸らし――
 唐突に、画面は消えた。