P4Uその後、ラビリスとシャドウラビリス。
* * * * *
目を開けると、真っ暗闇が広がっていた。まるで墨を流して染めたかのように、辺りは黒く染まっている。
「…………? どこやの、ここ」
思わず呟いて、ラビリスは辺りを見渡す。どこもかしこも真っ暗で、何も見えなかった。
ただ、自分の姿は見える。視界に入る手も足も、くっきり見えていた。いくら自分が機械の身体とはいえ、発光しているわけもないのに。だからこれは、とても不自然な暗闇だった。
確か昨日は、鳴上君たちに助けられた後、桐条さんに連れられてホテルへと戻ってきたはずだ。そして、明日に備えてベッドにもぐりこんだ……はず。
だとすれば、これは夢なのだろうか?
『あったり前でしょ? じゃなきゃ、私がいるワケないじゃない』
その声に、ラビリスは弾かれたように振り返った。
聞き覚えがないはずがない。それは自分と全く同じ声なのだから。そして振り返った先に見た姿も、自分と全く同じ姿。機械の身体に、着込んでいるのは八十神高校の制服だ。だた一つ違うのは、瞳が目の覚めるような金色をしていること。
シャドウラビリス。ラビリスの影だ。
「アンタ……ウチのペルソナになったんやと」
『確かにそうね。今の私はアンタのペルソナよ。でも、だから? だからって私が消えるわけじゃない。私はアンタ。アンタは私。私はいつもアンタの心にいるし、いつもアンタを見てる』
これからもね、とシャドウラビリスは不適な微笑で告げた。自分と同じ顔、同じ笑い方なのに、どこかが違う。
『よかったね? 仲間が出来て。よかったね? 一人じゃないって言って貰えて。嬉しいよね? 今は』
「今、は……?」
微笑に似つかわしい……あまりに似つかわしくて、張り付いたような印象さえ受ける明るい声で、シャドウラビリスは言う。
ラビリスがその違和感に怯えたように言葉を返すと、彼女の表情からすっと色が抜け落ちた。
『そう、今は。楽しい思い出は始まりが一番楽しい。でもね、これからどうなるかなんて誰にも分からない』
底冷えのする声に変わったシャドウラビリスの声が、ラビリスを射抜く。
『ねえ。まだ何にも終わってないんだよ? 私を受け入れたって、あの『みんな』が戻ってくるわけじゃないじゃない。私たちがやったことが、なかったことになるわけじゃないでしょ? 私たちがあの子たちを壊した……ううん、殺したことに変わりはないんだ!』
「ちがっ、」
違う、と言い掛けて、言葉に詰まる。
何が違うというのか。何も違わない。彼女の言うことは、何一つ間違ってはいないのだ。自分は確かに同型機である仲間たちを何体もこの手にかけたし、そのことがなかったことになるわけがない。たとえ、ラビリス自身が望んだことではなかったにしてもだ。
『稲羽で会った人たちが優しいのは、その目で私たちがしてきたことを見たわけじゃないから。本当のことを知ったら、どうなるかなんてわかんないよね? ねえ、そうでしょ『私』!」
シャドウラビリスが語尾を強めて、半ば叫ぶように言った。もうラビリスは反論できない。
『ねえ、答えなさいよ。夢見てたんじゃないの? そんな『人殺し』でも幸せになれるんじゃないかって! 仲間が出来るんじゃないかって! あはは、バッカじゃないの!? ほんと可笑しい、笑えるわ、馬鹿馬鹿しいわ! 自分が何をしてきたのか、それを考えてみなさいよ、思い出して御覧なさいよ! それをちゃあんと覚えてるなら、そんな願望抱けるわけ無いじゃない! ううん願望なんかじゃない、幻想妄想よ!』
シャドウラビリスは暗闇に哄笑を響かせながら、ラビリスに暴言の雨を降らせる。そしておもむろに、その背に掛かった戦斧を振り上げてラビリスのほうへと向けた。
戦意が、殺意が、ラビリスに向かって噴出していた。
『そもそも私たちはね、人じゃない、機械なのよ? 人に造られて人のために動く兵器! あのテレビの中で自分の力を確信したでしょ? その気になれば人間なんて、私たち、簡単に壊しちゃえるのよ! そんな危ない存在を、本気で友達だとか仲間だとか言って迎え入れてくれると思ってるの? 思ってる? あは、だとしたら重症だわ!』
「…………、ウチ、は……」
戦斧を眼前に突きつけられ、ラビリスはか細い声で呻く。
シャドウラビリスはそれだけで、艶美に微笑う。ラビリスの答えなど分かっている、とでも言うように。もう彼女とラビリスは別個の存在ではない。彼女はラビリスで、ラビリスは彼女。だから何を言わなくても、ラビリスの本心を彼女は感じ取る。
「ウチは、それでも、みんなと……一緒にいてたい……」
しかしラビリスは、自分の言葉でそれを彼女に伝える。
シャドウラビリスが言う言葉に、今は反論が出来ない。それでも、諦められないのだ。友達や、仲間や、もしかしたら幸せになれるかも知れないという希望を、そう簡単に捨てることなんて出来ない。
シャドウラビリスは、やはり表情を変えなかった。その答えを予め予想していたからだ。
『そうよね、諦められないよね……ずうっと一人だったんだもんね。だからね、私が諦めさせてあげる。苦しいのは、終わりにしてあげる』
その刹那、眼前の戦斧が凄い勢いで振り上げられた。ラビリスは反射的に危険を察知し、その場を大きく後ろに跳び退く。
ずしん! と凄い地響きがあたりに響く。さっきまでラビリスが立っていたその場所が、シャドウラビリスの戦斧で大きくひび割れていた。
「ちょっ……何すんの!」
『何って? 言って分からない、諦められないなら、これしかないじゃない。苦しいのも辛いのも、心があるから。だから、いっそ苦しくないようにそんなもの消してあげる。ほら、アンタもその気にならないと死ぬよ?』
くすくす、と不気味な笑い声が耳に届く。
この真っ暗闇の空間がどこかはわからない。シャドウラビリスが具現化しているのだから、ラビリスの夢の中か精神世界か、はたまた全く別のどこかなのか。
しかしここラビリスが「死ぬ」ことが、現実世界で良い方向に働くとは到底思えなかった。心を殺されることでどうなるのか。感情の無い、無機物の兵器になり果てるのか。それとも、兵器としてすら終わりを迎えるのか。
「やるしか、ないんやね」
ラビリスはきゅっと唇を結んでから、背中の戦斧を同じように振り上げ、構えた。シャドウラビリスはその姿に、すっと笑みを消してまた斧を構えなおす。
戦闘開始の合図は無い。誰の声も、影もない。あるのは黒い空間と、その中でなぜかハッキリと姿の見えるラビリスと、彼女の影の姿だけ。
『アステリオス!』
高らかにシャドウラビリスが言い放つと、彼女の背中側の地面が赤く迸り、鎖に半分つながれた巨大なシャドウが顕現する。巨頭をもたげるそれは、出現するだけで相手を圧倒した。
ラビリスもペルソナを呼ぼうとし、そして、止めた。
アステリオスが目の前にいるということは、表裏一体であるラビリスのペルソナ、アリアドネは存在できないはずだ。なら、ラビリスは自分の力だけで戦うしかない。
「(いきなり不公平やないの……でも、負けられへん)」
僅かに苦笑をもらしてから、ラビリスはきっと鋭い視線でアステリオスを睨み付けた。
膨らんだ互いの戦意を切り裂くように、先に動いたのはシャドウラビリスだった。ラビリスが飛び退いた分だけ距離をつめるべく、大きく跳躍してきた。
『ほォら!』
機械の身体ならではの動作で、戦斧ごと回転して踊りかかる。避けようとしたが、僅かに遅い。ラビリスは慌てて戦斧を前に構えそれを防ぐ。
ガキンと金属が噛み合う音がして、二人の刃がお互いの獲物に食いついた。
しかし攻め込んでいるのはシャドウラビリスの方だ。彼女はにやりと不適に笑むと、息をつく間も与えずに、斧の重みに身を任せてしゃがむと足元に向かってその柄を打ち付ける。
『死んどきな!』
ラビリスがしまった、という声を上げるが遅い。ぐらりと傾いだラビリスの隙を逃さず、シャドウラビリスは獲物をバットのように後ろに引くと、大きく横になぎ払う。
ラビリスの装甲が刃を受け止め、耳障りな金属音が響き渡る。しかし、これくらいでは吹き飛ばない。彼女は戦闘用に作られた対シャドウ用兵器なのだから。
しかしそれは、シャドウラビリスだって分かっている。
『あっはは! やれぇッ! アステリオス!』
間髪入れず、シャドウラビリスの背中から飛び出してきたのはアステリオスの巨大な拳だった。横なぎに払われた斧の攻撃で、大きく体勢の崩れているラビリスには、到底避けることは出来ないスピードだった。
「きゃあぁ!?」
絹を裂くような悲鳴を上げて、ラビリスの身体が空中に投げ出される。激しい衝撃。装甲を持って尚響く痛みはすさまじく、空中で身体が一回転して、地面にうつぶせに叩きつけられた。
がりがりがり! と、自分の身体が地面を引きずられる嫌な音。しかし、意識を失うわけにはいかない。即座に跳ね起きたその背には、例の「見えない壁」を感じた。P-1グランプリ……いや、今はラビリスとシャドウラビリス、二人の決闘場か。
目の前には、追い討ちをかけようと走りこんでくるシャドウラビリスが見える。ラビリスは自分を奮い立たせた。
「はぁっ!」
シャドウラビリスが新たな戦闘体勢に入る前に、戦斧の切っ先を振るう。今度はシャドウラビリスが受けた。そのまま切り返す隙を与えず、斧を下から振り上げ、さらに強引に片手を離し、残った片手だけでぐるりと一回転させる。
「痛いでっ!」
機械の身体だからこそ出来る、強力な攻撃。片手で大きく振り上げた斧を、もう片手を添え、重力と腕力を乗せて垂直に振り下ろす! シャドウラビリスが苦悶の表情で、それでもその攻撃を防ぎ続ける。ぶつかるたび、斧と斧が、悲鳴のような音を上げる。
だが崩せない。だからラビリスは再度斧を振り上げて、力いっぱい叩きつけて、
『そんなの、当たんないよ!』
シャドウラビリスが再びそれを嘲笑った。身を起こしてラビリスの攻撃を防ぐと、両手で斧を低く構えると、ラビリスの足元を横に凪いだ。足元をすくわれる形となったラビリスは、自分の身が軽く宙に浮くのを感じる。
『燃え尽きろ!』
低い声が、アステリオスに命じる。声に呼応するように、アステリオスの二本の角から紅い炎が噴出し、ラビリスの装甲を焼いた。その熱気に悲鳴すら掻き消える。そのまま空中に釘付けられた彼女を、シャドウラビリス本体がなおも追う。そして二度三度と斧でその装甲を切り刻み、最後にその斧を、ギロチンのように振り下ろした。
悲鳴。金属音。身体が暗闇の中の跳ねる音。
かはっ、とかろうじて息を吐けることに気付いて、まだ自分が生きていることを知る。身体のあちこちは痛むが、まだやれる。まだ戦える。
「うっ……ごほっ、ごほっ……まだ、やれるで……」
『なぁに? まだやるの? 止めときなさいよ、勝敗なんて決まってるじゃない。もしアンタが勝ったとして、どうするわけ? なんにもならないじゃない。傷つくだけよ?』
シャドウラビリスはせせら笑う。立ち上がるラビリスを見下して、意地の悪い笑みで言う。
すぐに攻撃を加えないのは、もう勝ちを確信しているからだろうか。少しくらい手心を加えたところで、もう彼女の勝利が揺らがないから?
『ねえ、本当は怖いんでしょ? 仲間だって言ってくれた人たちが、本当のことを知って離れていくのが。人の姿をしている兵器っていうのが、本当はどんなものなのか、知られるのが怖いんでしょう?』
疲労と痛みにさいなまれ、ぼんやりとした意識の中で、ラビリスはああ、そうかもしれないと考えた。
正直、自分は助からないと思っていた。壊されるのでなければ、封印される。だから、仲間だと言ってくれた稲羽の人たちの笑顔に、正直に答えられた。
俺たちじゃダメか、と気遣わしげに尋ねてくれた。
私たちは友達だよねと言って笑ってくれた。
わかって欲しかったんだよねと、一緒に泣いてくれた。
利用されていたラビリスのために、声を張り上げて怒ってくれた。
その全てが、今だけの幸せだと思っていたからだ。そんな幸せと笑顔を抱いて眠れるのなら、何も怖くないと思った。眠ってしまえるのなら、その笑顔は一生自分を裏切らない。
でも、現実は違った。桐条美鶴はラビリスを破壊するつもりも、封印するつもりもないと言って、人間たちの中で暮らすことを許してくれた。
閉じていたと思っていた未来が、彼女の言葉で一気に開いた。だから、嬉しい反面、戸惑う。
先を考えることを許された、人とは違う機械の少女は、迷ってしまった。欲を出した。
その笑顔とずっと一緒にいたい、繋がっていたい。
『大人しくしてなよ? 一瞬で終わるから』
ああ、だから彼女が現れたのかとラビリスは確信する。自分が抱いた、彼らと繋がっていたいという欲の裏側に潜む、不安を連れてきた。彼女が先ほどラビリスにぶつけた暴言の全てが、ラビリスが不安に思うことなのだ。
彼女の影が、ラビリスの代わりに今も直面している、本心。
「ずっと、一人で、耐えとったんやね」
ラビリスの唇から、ふと、その声は柔らかく紡がれた。シャドウラビリスがその場違いな声音に、眉をひそめる。
「見とうないこと、見ないまんまにしとく方が、怖かったんやね……アンタらはみんなそうや。ウチらが怖がって、不安で、見いひんようにしてることと、ずうっと向き合っとるんやね」
人の心はなんて弱い。いつかは向き合わなければならないことを、怖がって、嫌がって、目をそらす。きっと、その時シャドウは、本体の代わりにその不安を見つめ続けるのだ。だから、嫌なことから目を背けるとき、人は罪悪感を覚える。
シャドウは、心の中に一人しかいない。だから、主が一緒に不安に向き合ってやらなければ、ずっと独りだ。
「ごめんな。分かったはずやったのに、ずっとアンタを独りにしてたって、あの時ちゃんと分かったはずやったのに。また間違うてしまうところやったわ」
ラビリスの表情に、笑みが戻る。それは晴れやかな、美しい微笑だった。
「アンタは、ウチや。ウチの、仲間が出来て嬉しい気持ち。その分だけ、苦しい気持ち」
驚きに目を見開いて、ラビリスを見つめる彼女の影を、優しく一瞥する。心の奥から暖かいものがあふれるのが分かる。
「もう独りにはならん。アンタも、ウチも」
その言葉に、シャドウラビリスはしかし、激昂した。
『そんなの、誰にも分からないじゃない!』
叫んで、彼女はまた斧を振り上げ駆けてくる。ラビリスは怯まない。その声に耳を傾けながら、その斧の強襲を防いでいく。
再び始まる金属音と斬撃の応酬の合間を縫って、シャドウラビリスの叫びが木霊した。
『どうしてそう言い切れる! 私たちをあんな目に合わせたのだって、同じ人間なのに! 私たちを兵器としか思ってない奴らだったじゃない! あいつらがそうじゃないって、どうして言い切れるってのよ! また利用されるだけかも知れないよ!? 戦いに駆り出されるだけかも知れない!』
それでもいいのか、と叫ぶ影の言葉を、ラビリスは最後まで聞いた。そして、シャドウラビリスの攻撃が途切れた一瞬を狙い、大きく斧を後ろに引いて、言った。
「ええよ」
ぐっ、と斧を強く握る。最大出力を駆動に命じる。シャドウラビリスが、今度はしまったという顔をした。後ろに引いた斧を思いっきり、両腕を使って振り上げる。
『うああぁッ!?』
シャドウラビリスが大きく吹き飛ばされ、そのまま「見えない壁」に激突する。そして激突したところから、闇が大きく「割れた」。
まるで薄いガラスが叩き割られるように、闇に亀裂が入り、ばらばらと崩れ落ちていく。そしてはがれたところから、向こう側の景色が姿を現す。
そこは、最早闇の中ではなかった。見覚えのある、あの研究所の実験施設。たくさんの仲間をこの手にかけ、そしてラビリスが最後に独りで残った、あの場所だ。
あまりの力で激突したせいで、シャドウラビリスの身体は大きくバウンドし、ラビリスのところまで戻ってくる。ラビリスはそれを見逃さず、すかさず身をかがめて受け止めるように斧を振り上げた。
再びシャドウラビリスの身体が跳ね上がる。ラビリスは足の駆動にも出力を上げさせ、後を追って大きく跳躍した。空中で、斧を弧を描くように回して、そのままシャドウラビリスごと振り下ろす。
ずしん、とあたりの景色も一緒に地響きを立てるほどの、衝撃。
シャドウラビリスが脳震盪でも起こしたように、頭を揺らして上体を起こす。ラビリスはその眼前に堂々と立っていた。
「ウチが戦わなあかんのやったら、それでもええ。あの桐条さんがそう判断しはるんやったら、戦わなあかんのやと思う。ウチは、あの人を信じる」
憎々しげにラビリスを見上げるシャドウラビリスとは、まるで鏡合わせのように、ラビリスの表情は穏やかだった。
シャドウラビリスが自問してくれたお陰で、彼女の中の答えはやっと、明確になる。
「ウチは、対シャドウ特別制圧兵器、五式・ラビリス。ウチはみんなの盾やから。それでいい。機械でええの」
そう言い終わった時、不意にシャドウラビリスの背で、ばきんと何かが爆ぜる音がした。アステリオスが悲鳴を上げ、その暗い姿がゆらりと揺らいで掻き消えた。
そして代わりに、ラビリスの背に淡い銀の光が現れる。
『アンタは、馬鹿だ』
シャドウラビリスが吐き捨てる。ラビリスは答えない。
やがて、ラビリスの後ろでまばゆく優雅なペルソナが顕現した。形成は逆転したようだ。シャドウラビリスは疲れたような笑みのまま、その美しい姿を見つめていた。
ラビリスはアリアドネを引き連れ、ゆっくりとシャドウラビリスに近づくと、その前に跪いて肩を抱く。
「ほんまに、ありがとう」
ウチの代わりに苦しんでくれて。
「でも、これからはずっと一緒やから」
抱きしめた腕の中で、彼女の影は、小さくうなずいたような気がした。