自宅主人公・日暮白夜。
鍵介×主人公。エンディング後、現実世界でデートする話。
* * * * *
現実の世界に戻り、一緒に出かけようと誘ってきたのは、白夜からだった。正直に言えば、大人しく自己主張に乏しい彼女の方から誘いが来ることは、予想していなかった。
「服を、買いに行きたい、から」
実際、電話越しに言った白夜の声は遠慮がちで、最後の方は消えかかっている。鍵介が何か言えば「やっぱりいい」とその言葉を引っ込めてしまいそうだった。だから二つ返事でOKしたら、心の底からほっとしたようにため息が聞こえたのを覚えている。
待ち合わせはショッピングモールのエントランス。鍵介も、早めに到着したつもりだったが、白夜はさらに早く来ていて、人混みの中小さくなっていた。
「先輩」
現実では鍵介の方が三つも年上なのだが、この方が聞き慣れているだろうと思ったからこう呼んだ。案の定、白夜はすぐに顔を上げて、鍵介を見つけるなり明らかに安堵したように駆け寄ってきた。
「待ちましたか?」
「ううん。……買い物に出るの、久しぶりだったから……早めに出たんだ。人が多くて、びっくりした」
久々の外出は、思った以上に心細かったのだろう。鍵介の服の裾を小さく握って、深呼吸とため息、半々の吐息を漏らす。
最初、鍵介に会うたび緊張していた白夜が、今は鍵介を見つけて安心するのだ。そのことがむずがゆくて、たまらなく可愛く思った。
「はぐれなかったら大丈夫ですよ」
鍵介の服の裾からそうっと手を離し、自然に手をつないだ。白夜は恥ずかしげにうつむいて、でもそのまま手を握り返してくる。
「特に見たいものとか、ありますか? 服って言ってましたけど」
「……スカート」
歩き出し、ショウウィンドウを横目に見ながら話す。白夜は言いにくそうに口ごもったが、やがて思い切ったように言った。その視線は、自分の服装に向かっている。
白夜は暗い色のシャツにジーンズというシンプルな格好だ。歩きながら、ぽつぽつと、デートに着ていけそうなのがこれくらいしかなかったのだと、恥ずかしそうに言った。
「ごめん、こんな格好で。女の子の服は、探したんだけど。……なくて」
きゅっと身を縮めて顔を赤らめる。じくり、と針が刺されたように鍵介の胸が痛んだ。なんと言えばいいのかわからず、一瞬言葉に詰まると、白夜が鍵介を見上げて言う。
「だから新しいのを、買おうと思ったんだ。鍵介にも、選んでほしいな、と思って」
だめかな、と不安げな声で尋ねられる。
……好きな人にそう言われて、だめ、とここで言えるやつなんているのだろうか。
「いいえ、むしろ光栄です。行きましょう」
だって、鍵介がそう答えるだけで、白夜はほっと胸をなで下ろし、花が開くように笑うのだ。
それから二人で数件、白夜くらいの年の子が好みそうな店を回った。
「これ、にする」
白夜が最終的に決めたのは、ふんわりと裾の広がったロングのフレアスカート。明らかに気に入っていそうで、何度も眺めていたので、「似合うだろうから試着してみたら」と一押ししてみた。案の定、離せなくなったらしい。
「鍵介が、似合うって言ってくれたやつがいい」
「そ、そうですか……ありがとうございます」
スカートを目の高さに上げて、あんまり嬉しそうにそう言うものだから、鍵介の方が顔が熱くなった。
白夜は次のデートで、律儀にそれを着てきた。
「可愛いですね」
それがいじらしくて可愛くて、自然とそんな言葉が飛び出す。今度は白夜は真っ赤になり、「ありがとう」と消え入りそうな声で言った。
白夜はやはり、感情を表情にするのが苦手なままだ。けれど、その日は鍵介の言葉がよほど嬉しかったのか、終始表情が柔らかかった気がする。
鍵介と少し離れたところで、白夜がガラスに映る自分を見て嬉しそうに微笑んでいるのを見てしまった時は、胸の辺りがぎゅっと切なくなるような感覚がした。
愛おしい、なんて気持ちを論じられるほど大人ではないけれど、たぶんそれはこんな気持ちの延長線上にあるのだろう、と思う。
やがて白夜が家を出て、一人暮らしを始めることになった。
「ちょっと大変だったけど、押し切った」
鍵介の家までやってきてそう報告した白夜は、目に見えて興奮していた。自分の決意が形になったのだ。無理もない。
「よかった。頑張りましたね」
「うん。……鍵介と、みんなのおかげ」
そう言って笑う白夜は、ずいぶんと自然に自分の感情を表現できるようになった気がする。
話は自然と一人暮らしの話題になった。一人暮らしなどもちろん初めての白夜は、喜びながらも不安も小さくないように思えた。
「何かあったら、僕にも相談してくれていいんですよ」
鍵介も一人暮らしの経験が長い方では無いが、少なくとも白夜よりは知っていることも多い。
「ありがとう。でも、一人暮らしの本とかを読んで、勉強するのも楽しいんだ。この間は、いろんなものを冷凍しておくと便利につかえますっていう記事だったんだけどね。ご飯とか、一度に炊いて冷凍するといいって。冷蔵庫をこの間買ったから、早速そうしてみた」
元々好奇心が旺盛な白夜は、わからないことにぶつかって知るのも楽しいようだった。
自分で必要を感じて、自分で得た知識が自分の生活になっていく。その実感そのものも嬉しいのだろう。
「ああ、たしかに。で、電子レンジは買ったんですか?」
「あ、え……あ」
こうして、一人暮らしを始めて最初の買い物は、電子レンジになった。
「ごめん、ごめんね、せっかく鍵介お休みだったのに」
「いいですよ別に。……ふふ」
「うう、笑わないでよ」
「すみません、だって。まさか冷蔵庫買ったのに電子レンジがないって」
「言わないで! もう本当にごめんってば!」
けっきょく、電子レンジを買うまでその話を蒸し返しながら、その日は笑い通しだった。
それから白夜はスカートをはくようになり、自分で家事をするようになった。失敗を重ねて、たまに半泣きになりながら鍵介に電話をかけてくるようなこともあった。
セーターが縮んだとか、お風呂のお湯が溢れたとか、包丁の研ぎ方がわからないとか。そんな小さな失敗談を重ねながら、白夜は少しずつ一人で生き始める。そうして春が冬に変わる頃には、そんな電話や泣き言も激減していた。
……彼は。いや、現実に戻って「彼女」に戻った白夜は、少しずつ、一人で歩けるようになっていく。
「髪、伸びてきましたね」
吐く息が白くなる時期だ。もうクリスマスも過ぎて、世の中は年末ムードになっている。
最近白夜はアルバイトを始め、鍵介はそんな白夜を迎えに行くのが習慣になりつつあった。
鍵介の少し前を歩く白夜が振り返ると、白いコートの上で濡れたような黒髪が翻る。
「うん。そうだね」
小さく髪先をつまんでから離し、白夜が踵を返すと、真っ白な肌がすだれに隠れた雪のように映えた。
「そろそろ切ろうかな。でも、伸ばしてみてもいいかも知れない。鍵介はどう思う?」
再び白夜が振り返り、桜色の唇で鍵介を呼ぶ。灰色の瞳がまっすぐに鍵介を見つめて、駆け寄って来た拍子に、また肩にかかる黒髪がさらりと揺れた。
綺麗になったなぁ、と、思う。
「……そうですね」
白夜の髪を撫でて、その手触りを確かめた。
男として生きることを強制されてきた白夜は、髪の長さも自由にならなかったのだろう。だが、今の彼女は違う。髪を伸ばしたいのならそれが出来るし、好きな服を着て、好きなものを探し、それを好きだと口にすることが出来る。
それは彼女がずっと望んできたことで、やっと叶った願いでもある。
なのに。
「(そんなにすぐに、綺麗にならないで)」
そう思うのは、鍵介のひどいわがままだ。
白夜の質問に答えず、その白いうなじにマフラーを巻いた。
「鍵介?」
不思議そうに鍵介を見上げて、白夜がまた名前を呼ぶ。じっとこちらを見上げている仕草が可愛くて、思わず微笑む。
たぶんこれから、白夜はもっと可愛くなっていくし、綺麗になっていくのだろう。今は、それを鍵介しか知らないだけだ。
「僕は、短いのも好きでしたよ」
子供じみた独占欲。そんなことはわかっている。けれど口をついて出たその言葉は取り消せない。
白夜は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を戻した。
「そっか」
それ以上、白夜はその話をしなかったし、鍵介からも出来なかった。
次に会った白夜の髪は、メビウスに居た頃くらい短くなっていた。
「髪、切ったんですか」
「うん。さっぱりした」
髪先に触れながら、白夜がにっこりと笑う。
「あの。僕のせいですか」
思わずそう尋ねたら、白夜は少し押し黙ってから、困ったように笑って見せた。
「せいっていうか、鍵介が短いのも好きだったって言ってくれたから。……だったら、変わっていくのも、ゆっくりでもいいかなって」
そこで一度言葉を切った白夜は、どことなく寂しげにも思える。
昔を思い出しているのか、それともこれからのことを考えているのか。どちらにも取れそうな表情だった。
「長い間男の子だったから。すぐに女の子に戻るのも、一人暮らしも、けっこう大変だなって思う。でも、鍵介が前の「俺」も好きって言ってくれるから。この間、ちょっとほっとした」
どっちのわたしも、鍵介は好きでいてくれるんだなって。そう続けながら、花が開くような笑顔を鍵介に向ける。
「「俺」、ゆっくり「わたし」になることにする。鍵介がいてくれれば、少しずつでも、頑張れるから」
ねえ、だから、ずっとこれからもよろしくね。
「当たり前じゃないですか、そんなの」
思わず笑ってしまった。もちろん、嬉しくて、だ。
来年も、再来年も。少しずつ綺麗になっていくキミを見せて。