自宅主人公・日暮白夜。
鍵介×主人公。シーパライソでデートする話。
* * * * *
やってきたその場所は美しい海色の世界だった。
「綺麗」
淡い声でそう呟いて、白夜がゆっくりとその海色へと歩み寄る。分厚いアクリル硝子の向こうは、海に見立てた巨大な水槽だ。
シーパライソ、水族館エリア。巨大なドーム状の水槽が売りのこの施設は、現実で訪れればさぞかし美しい場所だろう。しかし、メビウス内でその異変に気付いた帰宅部にとっては、水槽はいびつなノイズが泳ぐガラスケースでしかなくなっている。
「これが本物なら、もっと良かったんですが」
「ううん。今はここで十分。ありがとう、鍵介」
白夜の隣に立って鍵介が苦笑すると、白夜は首を横に振り微笑んだ。
「……現実に戻ったら。本物を見に行こう」
再び水槽に視線を戻した白夜が、少しだけそれを言うのをためらってから、しかし結局口にした。鍵介は驚いたように目を見開いたが、何も言わずに「はい」とだけ応える。
――最近、白夜はよく未来を語るようになった。明日は。明後日は。現実に戻ったら。たったそれだけの、しかしそのことが、鍵介には嬉しく思えた。そして、彼が描く未来に自分が当たり前に存在していることも。
「それに、水の中を見ているのが好きだから、これでも楽しいよ」
「へえ、そうなんですね。じゃあ水族館と言わず、海に行く方がよくありませんか? ほら、スキューバダイビングとか、海に潜れるツアーもあるじゃないですか」
最近は初心者でも参加できるものもあるらしい。水族館もいいが、そんなに好きなら本物を見た方が臨場感があるだろう。
……水着着用イベントを狙っているわけではない、と言えば嘘になるが、その辺りは健全な青少年として見逃してほしい。
「本物は、見たいけど……その、俺、カナヅチで……」
しかし、白夜は眉尻を下げて肩を落とす。泳げないから水族館で我慢なのだと、心の底から残念そうに言った。
「全く、ですか?」
「全くです……昔、体育の先生に『日暮は泳いでもいないし潜ってもいない。沈んでる』って言われたのが今でもショックだ」
白夜はアクリル硝子に手を当てて、広大な海の世界を見上げる。
昔から海は大好きで、外へ出られなくなってからも、海の写真や画像はよく見ていたという。けれど水との相性は最悪で、実際に自分が入るとか、潜るとか、泳ぐとかになると叶わない。人生は本当にままならない。
「本で読んだ。くじらも潜水艦も、『沈む』っていうのはもう最悪の状態で、二度と上がってこない時に使うんだって。先生には、俺が二度とプールから上がってこないように思えたってこと。そ、そこまで酷いとは……自分でも思ってなかった……って、鍵介、そんなに笑わないで」
「ああいえ、すみません。あんまり先輩が深刻そうなので、つい」
指摘され、小さく声をあげて笑ってしまったことを謝る。……そんな、アクリル硝子が吐息で白く濁るほど大きなため息をついて語られると、可笑しくて。
「じゃあ、海は少し先延ばしにしましょう。現実に帰って最初のデートは、本物の水族館に行くってことで」
そう言って微笑みかけると、白夜は暗がりでも分かるくらい顔を赤らめ、嬉しそうに鍵介を見つめ返した。
「うん……あ、シーパライソでもいいけど、もっと大きな水族館もいいな。くじらが見られるくらい、大きなところ」
「はい。いいですよ」
おずおずと、そんな可愛らしいわがままを付け加える白夜に、鍵介も表情を綻ばせる。
二人で未来を描くのが、今は楽しかった。