自宅主人公・日暮白夜。
鍵介×主人公
白夜の誕生日記念。もう一つ思いついたので。
君と傘を借りて の別バージョンです。
それは、夏の入り口をくぐったばかりの六月のこと。
「先輩の誕生日って、そういえばいつなんです?」
ふとそんなことを聞いた。聞かれた白夜の方は、相変わらず表情に乏しい顔を鍵介の方に向けて、「誕生日……」とオウム返しに呟いた。
しばらく考え込むように黙り込み、やがて真っ白な肌に添えられた桜色の唇が動く。
「七月七日」
思った以上に近い日付に、少し驚いた。それに七月七日と言えば。
「七夕じゃないですか。なんかいいですね、そういうの」
「そう?」
「まあ、自分の誕生日が何の記念日でもイベント日でもない僕からしたら、ちょっといいなと思います。それに、ロマンチックじゃないですか?」
「ロマンチックで……女の子にも覚えてもらいやすいから?」
「べ、別にそんなことは言ってないでしょう」
珍しく、含みのある言い方で返された。なんだか軽い男扱いされたような気がして、あからさまに不満げな顔をしてしまう。
どうしてかは深く考えないことにするが、この部長に「いい加減」だとか「ちゃらちゃらしている」だとか思われるのは良い気がしない。そうでなくとも、「不良」扱いを受けていた前科がある。
「……冗談」
そんな鍵介を見て、何故か白夜は少し嬉しそうに微笑んで見せた。
「(冗談なのか……というか、部長も冗談なんか言うのか)」
つまりはからかわれたのだ、ということに思い至るまで、たっぷり五秒はかかった。いや、がちがちに緊張されて避けられるよりは全然マシだが。
「確かにロマンチックではあるけど、七月七日は日本じゃたいてい梅雨だから。二人は、会えない日の方が多いんだ」
「雨が降ると、会えないんですか?」
初耳だったので尋ね帰すと、白夜は頷く。
「雨が降ると天の川が増水してしまって、織姫が橋を渡れなくなるんだって。だから二人とも対岸で涙を流すんだとか」
物語の話になると饒舌になる白夜は、この日も同じだった。
話の流れで、思わず窓の外を見る。空は夕暮れだ。六月も下旬、現実ではもう梅雨入りした頃だろうか。
「メビウスじゃ関係ないけどね」
そんな鍵介の心を読んだかのように、白夜が呟く。
この理想の世界では、四季はあってないようなもの。夏と言われても特別暑い日は無い。もちろん梅雨もやってこない。
だから、この世界にももし七夕伝説があったとしたら、織姫も彦星も毎年間違いなく再会できるわけだ。いや、そもそもメビウスでは愛する二人が引き離される、なんてこと自体がないのだろう。
「っていうか、織姫が会いに行くんですか」
「そうだよ。彦星は対岸で待ってる」
「……なんか、思ったよりドライというか、なんというか。会いに行こうとくらいしたらいいのに、と思うんですけど」
男女平等を刷り込まれた現代っ子の一人としては、「こういうときは気合で男が会いに行くべき」とまでは言わない。が、とりあえず会いに行こうとしてみるくらいはしたらどうなんだ、彦星。諦めるのが早すぎやしないか。
白夜は鍵介の感想が意外だったのか、驚いたように鍵介を見た。そして、うっすらと微笑む。
「大丈夫だよ、メビウスだったら雨は絶対に降らないし、織姫だって橋を渡れるんだから」
だから心配なんていらないのだと、微笑んだまま白夜は続けた。
きっと明日も晴れだ。そう確信させるほど、美しい夕暮れを映す窓。それを見つめる白夜の視線は、どこか甘さを含んでいる。
七夕伝説に入れ込んで、織姫と彦星が出会うところでも想像しているのだろうか。それは憧れからくる、淡い甘さだ。
「先輩も、会いたい人でもいるんですか?」
何の気なしにそう尋ねた。先ほどからかわれたお返しのつもりで、白夜が「そんなんじゃない」と少しむくれればいい、くらいの気持ちだった。
「…………え、そ、それは……」
しかし、白夜はあからさまに顔を真っ赤にして、うろたえるものだから。鍵介の方が固まってしまう。
……まさかこれはいる? いるのか? 七夕伝説に重ねるような、「会いたい人」が。つまりそれは、白夜にも好きな人が――――
そう思った瞬間、胸の奥になにか「もやっ」としたものが湧いて出てきて、言葉も表情も凍り付く。それとほぼ同時に、鍵介の隣で、ガタン! とあまりに不自然な挙動で白夜が立ち上がった。
「俺、もう帰る。じゃ、じゃあ!」
そのまま、椅子やらドアの端やらにぶつかりながら、白夜は逃げるように部室から出て行ってしまうのだった。
不可思議な胸の「もやっ」を抱えたまま、鍵介は呆然と、その騒がしい足音を聞いていたのである。
* * *
「雨。降らないかな」
そして七月六日。時は七夕前夜である。
自室のド真ん中で、鍵介は大きくため息をついて恨み言を呟いた。例え伝説上の恋人たちとはいえ、こんなことを言ったら馬に蹴られてしまうだろうか。
窓の外は暗いながらも良く晴れていて、星が綺麗に見えた。当たり前だ。メビウスで雨が降ったことなどない。今夜も晴れだし、明日の夜も晴れだ。
きっと織姫と彦星は感動の再会をするし、白夜も「会いたい誰か」を想ってご機嫌なのだろう。
いや、「想う」などという奥ゆかしいものではなく。もしかしたら白夜は「その相手」と実際に会うのかも知れない。よくよく考えてみれば、あの部長に色恋沙汰が全くあり得ないわけではないのだ。
「(見た目は文句なしに整ってるし、ちょっとわかりにくいけど性格も悪くないし、聞き上手だし、真面目で、言葉は少ないけど行動力はあるし、一途そうだし……いわゆる「モテそう」ではあるんだよな)」
白夜の方がそう言ったことに疎いので、勝手に「部長に恋愛のあれこれなどないだろう」と安心していたが。白夜にその気さえあるなら、その辺の女子といい感じになることなど容易いはずだ。
「……なんでこんなくだらないこと考えてるんだ」
そこまで考えてから、ハッとしてかぶりを振った。羞恥からか何からか、頭と顔が熱い。
これじゃまるで、白夜に彼女が出来たら困るみたいじゃないか。困る――困る? なんで僕が。いや、よしんば困るのだとしても、それは自分だけが置いて行かれるような気になって釈然としないだけであって。
ああもう面倒くさい。何が面倒くさいって、自分が一番面倒だ。胸にわだかまったもやもやは、あの日から一向に消えないし、どうしろというのだろう。
「雨が降ったほうがいいの?」
「……そうですね、明日だけでもいいんで、いっそ土砂降りになってくれれば清々しく過ごせます――って」
唐突に聞こえた声に、弾かれた様に顔を上げた。
そこには、真っ白な天使を思わせる少女が立っていたのである。
このメビウスにいる人間なら、絶対に一度は見たことのある少女――μだ。
「み、μ!?」
思わず後ずさってまじまじと見つめた。何度見ても同じだ。
「久しぶりだね~! 元気そうでよかったぁ」
本来なら、帰宅部はメビウスを脱出するために彼女を探している。しかし、間が悪いのか楽士たちの妨害なのか、なかなか会えずにいた。その本人がいきなり目の前に現れたのだ。
本当は、仲間に連絡するなりなんなりするべきなのだろうが、あまりにも突然すぎて、鍵介は凍り付いていた。
「そっかー、雨もいいよね! お天気もいいけど、夏だし、たまには涼しげになものも必要なのかな。カギPは土砂降りがいいの? あっ、私知ってるよ、ゲリラ豪雨っていうんだよね~」
「いや、μ、それはいいですから、ちょっと話を」
「カギPの久々のお願いだし、遠慮しなくて大丈夫だよ! 今叶えてあげる!」
いやそうじゃなくて話を――と重ねて止めようとしたが、μは止まる気配がない。相変わらず思い込みの激しい性質らしい。そして止まらないのだから、このメビウスの全てを決める彼女の行動は早かった。
鍵介の目から見て彼女が何をどうしたのかは分からないが。窓の外はあっという間に暗さを増し、鍵介が願った通りの土砂降りが降り始めたのである。
「はい! 雨だよー。明日一日だけど、もう日付変わるからいいよね! じゃあね!」
「ちょっ……μ! 待ってくださいまだ話は」
……終わっていないのだが、彼女は来たときと同じく一瞬で外へ飛び出して行ってしまった。
あとには、呆然と窓の外を眺める鍵介が残されるのみである。彼女の言う通り、窓の外はごうごうと音が立つほどの豪雨になった。夜中であるからほとんどの人間は家の中にいるだろうが、運悪く外にいた人間は仰天したことだろう。
やはりメビウスにおけるμの力は絶対だ。これなら帰宅部を現実に返すことも出来るはず。いや、今はそれも大事だが、それよりも重要な問題がある。
「どうするんだよ、これ……」
まもなく日付が変わる。今年の七夕がやって来る。
『メビウスなら絶対に会える、心配いらない』と笑っていた白夜の横顔が、脳裏に浮かんだ。
とにかく部屋を出て階段を降り、玄関まで出てくると、やはり、外ではごうごうと唸る雨音。真っ暗な空。
「明日一日土砂降りになってくれれば清々しい」? 叶うはずもないと思って、もしかして自分はとんでもないことをしたのでは。確かに白夜が誰かと会うつもりで、それを楽しみにしていたことに、苛立ったのは認める。しかし、それが叶わなくなって白夜が悲しむのは――
視線が頼りなげに泳ぎ、やがて、その視界に傘が映りこんだ。
***
窓から見える空は暗かった。真夜中だからだけではない。重い雨雲のせいだった。
「(どうして、メビウスなのに……今日に限って)」
日付変更線を越えてから五分。もう七月七日を迎えていた。白夜は時計から目を離し、膝を抱えて顔を埋める。
居たたまれなくなって、自分のベッドに腰掛けて、窓から背を向けた。しかし、背中側から聞こえる雨音はごうごうとうなりを上げるほどで、当然だが止む気配すらない。
「やっぱり、無理なものは、無理なのかな」
誰も聞いていないのをわかっていて、独り言を零す。
所詮、七夕伝説は伝説であり、現実ではない。織姫も彦星も本当はいないし、再会出来ずに涙する恋人は存在しない。だから雨が降ったってどうということはない。
……そんなことはわかっている。けれど――
「(晴れたら、鍵介と、遊びに行こうって、言おうと思ってたんだけど)」
七夕だけに、願掛けのような、自分の背中を押す言い訳にはしようと思っていた。
臆病だと言われればそれまでだが、これではまるで神様に「無駄だ」と言われたようで。白夜はため息をついて、ベッドの上から動かずにいた。
微かに呼び鈴の音がしたのは、しばらくしてからだった。
「…………?」
白夜の部屋は二階で、玄関はもちろん一階だ。メビウスの家には白夜以外に誰もいないので、誰かが来たのなら白夜が出迎える必要がある。
「(誰だろう)」
不思議に思いながらも、ベッドから降りて部屋を出る。階段をそっと降りて、玄関の前に立った。
やはり、呼び鈴が鳴っている。暗いので、ガラス越しには人影が見えるだけで、誰がいるのか判別がつかなかった。
そのままスコープに目を近づけて、来客の顔を覗き込み――
「鍵介!?」
その姿を見るなり、弾かれるように玄関のドアを開けた。
「……すみません、こんな夜遅くに」
日暮家の玄関に立った後輩は、ずぶ濡れになって気まずそうにそこに立っていた。本当に、これが「濡れ鼠」というものかというくらい、頭から足までびしょ濡れだ。
「傘」
「え?」
「傘、どうしてさしてないんだ」
そう言うと、鍵介は今気づいたようで、「ああ」とため息交じりに言った。
「途中までさしてました。……飛んでいきましたけど」
嵐にしろとは言ってないはずなんですけどね、と鍵介が苦笑したはずみに、髪先から雫が零れる。それを見て、白夜は一目散に踵を返して部屋の中に戻った。
「あっ、ちょっと先輩!」
呼び止められたが、無視して廊下を走り、バスルームに飛び込む。洗って畳んで合ってバスタオルを二枚ほど抱えると、また走って玄関に戻った。
そして、何故かびっくりした顔の鍵介を、バスタオルを広げて包み込む。
「うわ!?」
「入って。風邪をひくから」
そして、鍵介の服の裾を引っ張って、なんとか玄関に入れた。ドアを閉め、そのまま玄関で出来るだけ鍵介の身体を拭く。必死でごしごしとやっていると、途中で「ちょ」とか「待っ」とか言葉の断片が色々聞こえたが、白夜には聞いている余裕がなかった。
触れた鍵介の手も肌も、驚くほど冷たい。どうしてこんなになってまで白夜のところに来たのかは気になるが、今はどうでもよかった。
「(ええと、どうすればいいんだろう。お風呂? いや、お湯がたまるまで時間がかかるから、暖房? 早くしないと鍵介が風邪をひいてしまう)」
ごうごうと鳴り響く雨音と一緒に、心臓もどくどくと脈打っているのがわかった。
「と、とりあえず、暖房を入れるから――」
「先輩!」
バスタオルの間から、大きめの声で呼ばれて、思わずびくりと制止した。ぽたり、とまた雫が落ちる。
「あの、今日は謝りたくて来たんです」
「謝る……? 鍵介が? 俺に?」
「はい、まあ、その、説明すると色々あるんですけど、雨にしてしまったので……七夕に晴れるの、先輩、楽しみにしてたみたいですし」
すみません、と小さく呟くように言って、鍵介は俯いた。
「何言ってるんだ? 雨になるのは、別に、鍵介のせいじゃ……そ、それに、雨でも、会えたから……七夕は、もう」
μでもあるまいし、いくら元楽士でも、鍵介が天候をどうにかできるとは思えない。確かに、この間七夕の話をしたとき、少し不機嫌そうだったが――それを気にしてわざわざ謝りに来てくれたのだろうか? だとしたら悪いことをしてしまったのは白夜の方だ。
それに、七夕を、誕生日を理由に会いたかった人は目の前にいるのに。
「……先輩が七夕に会いたい人って、僕なんですか」
鍵介もさすがに気付いたらしく、目を見開いた。思わず顔が熱くなる。
「明日……晴れたら。鍵介に、どこかに行こうって、言おうと思っていて。でも、雨だったから、無理だなと思ったんだけど」
彦星の方が会いに来てくれた、と思ったのだと言ったら、鍵介はどんな顔をするだろう。また、「先輩はロマンチストですね」と呆れたように言うだろうか。
「っくしゅ!」
思い出したようにくしゃみが出た。
「ああ、もう、先輩まで濡れてるじゃないですか! 僕の心配してる場合じゃないです、このままだと二人で風邪っぴきですよ!」
「本当だ」
そういうなり、鍵介もくしゃみをする。もう、ロマンチックも何もない。思わず笑いながら、バスルームのドアを開けた。
「バスタオル、足りなければ使って。すぐにお風呂を用意するから。先に鍵介が入っていいよ」
「それだと先輩が風邪ひきますよ。なんなら二人で入ります?」
男同士ですし、と付け加えた鍵介の顔をまじまじと見て、白夜はしばらく固まったが……
「…………それは、その、ダメ、かな」
自分でもなぜか分からないまま、そう言ったのだった。