自宅主人公・日暮白夜。
カギP×主人公。
三題噺。「曇天」「教科書」「カッター」。
窓の外から見える空は、相変わらずの綺麗な夕焼けだ。
このメビウスでは雨も曇りもない。今日も、明日も、明後日も。この世界が続く限り、理想的な晴天が続くことだろう。
「……やめた」
鍵介は、宿題をやりかけて開いた教科書を放り投げた。ばさりと音を立てて落ちるのは、数学の教科書だ。
「止めるの」
それを見咎めるような声のトーンで、白夜が言った。彼は控えめだが、生真面目で頑固だ。
宿題をやらない、という暴挙(彼にとっては)に出た鍵介を、諭そうとしているのだろう。
「だって、意味ないでしょ」
このメビウスでは、授業も先生も宿題も――もちろん、それに付随する教科書だって、全部張りぼてだ。
学校の勉強なんて社会に出たら役に立たない。訳知り顔でそう言う輩はいくらでもいるが、鍵介は、別にそれをうのみにしているわけではない。
このメビウスでは本当に無意味なのだ。この世界には進学も、卒業もない。「社会に出る」ことそのものがないのだから。
鍵介は、カギPとして……このメビウスを非現実と認識しているからこそ、それが分かるし、張りぼてを放り出せるのだ。
「そんなこと言っちゃダメだろ」
しかし、白夜にはそれは認識できない。きっと鍵介が、単に宿題が嫌だからさぼろうとしているように見えるのだろう。だから、小さな子供を優しく叱るように、鍵介の教科書を拾い上げ、埃を払う。
差し出された教科書をぼんやりと見てから、鍵介は白夜を見上げた。
鍵介を見つめる、濁った灰色の瞳。外の夕焼けとは対照的な、曇天の色。現実を忘れて、この理想の世界に毒された意識。
そうしたのは鍵介自身だ。
「いいじゃないですか、別に。怒らないでくださいよ。悲しいなあ」
ねえ、と。わざと、駄々をこねる子供のような口調で、その白い頬に手を伸ばす。そしてそのまま口付けた。
白夜は抵抗しない。するはずもない。
あなたは僕のものなのだと、心に刻み付けたから。まるで、真っ白い紙を鋭い刃で裂くように。
体重をかけ、ゆっくりと、裂いて、都合のいい価値観を植え付けて、従わせた。彼の、傷をつけてはいけないものまで、傷をつけた。
それが、正しいことだなんて思ってはいない。だが――
「……怒ってない」
「そうですか。それはよかった」
ぼんやりとそう返す白夜を、鍵介が優しく撫でて抱きしめる。
僕のせいで傷ついた君が、君の心が、やはり愛しいと思うのだ。