自宅主人公・日暮白夜。
鍵介×主人公。
「……もうちょっと、傍にいても、いい?」
そう声をかけるだけのこと、それだけのことに、これだけ緊張する。
白夜は蚊の鳴くような声でそう言って、結局、それっきり言葉が続かなかった。ベンチに腰掛けた鍵介の正面で、そのまま逃げることも出来ず固まってしまう。
そういえば、鍵介が帰宅部に入ってすぐ、鍵介から同じようなことを言われた気がする。鍵介もそのとき、同じように緊張していたのだろうか?
いや、それはないか。あのときと今では、二人の関係性はまるで違ってしまったのだから。
……二人がなんとかお互いに想いを口にして、正式に「お付き合い」をしてから数日後のことである。
思い切って言葉に出してみたはいいものの、すぐに後悔がやってくる。今日は一日、鍵介と二人で過ごした後だ。もうちょっと、なんて贅沢だっただろうか。やっぱり言わなければ良かったか。
「や、やっぱり、」
「いいですよ」
やっぱりいい、と言いかけた白夜を遮るように、鍵介が言った。どこか可笑しそうに、しかし柔らかく微笑む鍵介の表情に、何故か頬が熱くなる。
「……ありがとう」
なんとかそう言って、隣に座る。すると、鍵介は「いいえ」とまた可笑しそうに笑ってくれた。
鍵介が笑う、その表情が好きだ、と白夜は瞬間的に思う。
もっと笑ってほしい。もっとその顔を近くで見たい。……ずっと一緒にいられたらいいのに。
けれど、同時に今すぐ逃げ出したいような気にもなる。
友達の距離を越えて、恋人の距離で過ごすということ。視線を少し動かすだけで、白夜の視界には鍵介がいる。こちらを見て、目が合えば微笑んでくれる。手と手はいつ触れ合ってもおかしくない距離にあって、もしかしたら、触れたら繋いでもらえるかもしれない。そんな妄想さえ脳裏に浮かぶ。
逃げ出したい、と思うのは、そんな自分が恥ずかしいから、なのかもしれない。
こっちを向いてほしい。好きだと伝えたい。好きになってほしい。傍にいたい。どうしようもないそんなワガママの数々を、鍵介は毎回許してくれる。
「ていうか、それワガママじゃないですよ」
そう言ってくれたことさえあった。
白夜が世間知らずで、周りの子たちとはだいぶズレた感性を持っていることは、自覚している。けれど、それを馬鹿にしたり、怒ったりすることもない。白夜が記憶を失くしていることを知っているからだろうが、そのことについて深く追求したりもしない。
「そうかな」
不安げに白夜が尋ね帰すと、鍵介は頷いた。
「ええ。その……僕ら、もう付き合ってるんですし」
そういうのは、もうワガママじゃないと思いますよ、と。
そう言ってもらえたとき、胸の奥が温かくなったこと。同時に、もっとずっとこの人といたい、ずっといるにはどうしたらいいのだろう、と焦りのような気持ちが過ぎったこと。
それがきっと「焦がれる」という気持ちなのだ、と直感した。物語の中で、憧れた登場人物たちが抱えていた想いだったのだ、と。
「鍵介」
小さく、名前を呼ぶ。はい、と答える声がする。それだけで、胸の奥が焦がれる。
俺はこの人がすきだと、今日も実感する。
「手を、繋いでもいい?」
「いいですよ」
そして今日も、そんなワガママをひとつ許し合う。
そうっと伸ばした指先に、鍵介の指が絡むのを感じて、白夜はまた胸が温かくなるのを感じていた。