自宅主人公が卒業してから数日後の話。
多少の暴力表現があります。
あの桜が舞う日、俺の『日常生活』はその幕を引いた。
ならば、本当に『終わらせ』なければいけないと思ったのだ。
「どうしたの? 蒔苗くん、顔が怖いよ」
目の前の少女が戸惑った様子で言った。
たぶん、少女で合っていると思う。彼女は俺と同じ学校の制服を着た、いわゆるクラスメイトというやつだった。
でも、もう顔もわからない。
彼女の顔面は……いや、顔面だけではない、彼女の全身が壊れたテレビのようなノイズに包まれ、かろうじてその輪郭だけが存在している。
明らかに異様だった。
しかも彼女一人だけではない。この学校のいたるところに、彼女のようなノイズ人間……NPCは存在している。
今でこそ冷静な顔をしていられている俺自身も、最初にこの光景を直視したときはさすがに狼狽し、恐慌状態に陥った。
「そうだ、昨日蒔苗くんがおいしそうって言ってたお菓子ね、見つけたから買ってきたんだよ。一緒に食べよう?」
彼女は俺の機嫌を取ろうとするように言葉を続ける。
それが役目だからだ。そう動くようにプログラムされたからだ。
『入学式を迎える前の俺』がきっと、彼女にそう望んだから。
「ごめん、もういいんだ」
俺は一言だけ、不要なはずの声をかけた。
「え? そうな……」
言葉が終わる前に意識を集中させ、力を発動する。
瞬く間に鋭い痛みが胸に走り、力の具現化である杭と銃が出現した。
パァン、と。
笑えるほどあっけない銃声が教室にこだましたかと思うと、彼女はゆっくりと後ろへ向かって倒れていく。
重い音とともに床に投げ出されたノイズまみれの少女からは、もちろん血なんて流れたりしない。
痛いと泣き喚くことも、許さないと憎悪の言葉を俺に投げつけたりもしない。
ただ、もう役目はおわったのかと言わんばかりに、輪郭が歪み、崩れ、跡形もなく消えていくだけだ。
NPCはその役割を終えると、別の人間のために別の役割を与えられて新たに誕生する。
その仕組みを知ったのはついこの間のことだ。
きっとこの少女も、近いうちに別の誰かの家族や友人として生まれ変わるのだろう。
0と1の世界に意味を与えるのは、いつだって人間の役割だ。
プログラムは彼らの想像力と執着心を掻き立てるため『それらしい』動作を行う。
そうしているだけだし、そうすることしかできない。
あと、それしかたぶん望まれていない。
「……俺にはもう、きみは必要ないから。だから、休んで」
なぜそんなふうに声をかけたのかは、自分でもよくわからなかった。
もう聞こえていないだろうと思っていたが、しかしNPCの少女はまだ完全にその役目を終えたわけではなかったらしい。
ノイズがかった声で一つだけ、言葉を発した。
「あなたは?」
ひどく無邪気な声だったように感じた。
そのたった4文字の質問では、本当はなにを彼女が訊こうとしていたのかはわからない。
けれど俺は答えた。
「俺はまだ、やらなきゃいけないことがあるから」
その答えに、彼女は満足したのだろうか。
それはわからなかったが、最期に少女は笑ったような気がした。
「……」
ゆっくりと、俺は振り返る。
背後には、同じようなNPCたちが少なくとも十数名は倒れていた。
少年も、少女も、担任らしき人間もいた。
先ほどまではもう少し数がいたような気がしたが、すでに何人かは完全に消失してしまったのだろう。残されたクラスメイトたちも、一人ずつ消えていくのが見えた。
ずくり、と胸のあたりが鈍い痛みを発した気がする。
「?」
胸に手を当てた。そこにはカタルシスエフェクトで生じた杭の先端があって、俺の指をちくりと刺しただけだった。
この力は発動時に痛みを伴うが、一度発動してしまえばそれが持続したりはしないはずだ。
なら、先ほどの痛みは何だったのだろうか。
「……いかなきゃ。部活だ」
結局、答えは出なかった。
俺は消えていくNPCたちを見送ったあと、教室の戸を開けて廊下へ出る。
きっと、もうこの教室へやってくることは二度とないだろう。
そう思ったときだけ、またあのずくりとした痛みが胸に走った気がした。