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夕星

Posted in Caligula-カリギュラ-, and テキスト

自宅主人公・神谷奏太。
主人公×鍵介。
残滓のカギPを倒した直後のお話。

 

 

 

 断末魔も悲鳴も無く、「それ」は消えて行った。最初から無かったかのように、瞬きするたびに失せていく夢のように、その輪郭を崩し、黒いノイズとしていなくなる。
 亜麻色をした柔らかそうな髪も、眼鏡をかけた向こうに覗く、甘い瞳も。全部同じ。
 確かにそれは鍵介だったのだけれど、今はもう鍵介ではない、不思議な何か。
 「――――」
 「自分の残滓」と言われたそれを。鍵介は、ただじいっと、何も言わずに見つめていた。息を吐き、自分の武器を手放してもなお、その黒い欠片が最後の一つになるまで、見送っていた。
 どう声をかけようかと迷い、結局、「行こうか」と無難に声をかける。鍵介は、そのとき初めて奏太の存在に気付いたかのように、「はっ」となった。
 「……ええ、そうですね」
 そして、やはり無難な言葉でそう答え、やっとその「残滓」がいた場所から目を離した。

 

* * *

 

 「疲れた?」
 ソファに座り、ぼんやりと虚空を見つめる鍵介の視界を遮るように、前に立つ。鍵介はのろのろと顔を上げた。
 「いえ、別に。大丈夫です」
 「そう? ……そっか」
 奏太は微笑んで、鍵介の隣にそっと腰掛けた。そして、鍵介の肩に手を回し、その頭をぐい、と自分の方に抱き寄せて、寄りかからせる。鍵介は何も言わず、抵抗もせず、されるがままだった。
 自分の肩に寄りかかる鍵介の頭に、奏太も頬を寄せる。シャンプーのいい香りが鼻をくすぐった。
 何を話すわけでもなく、二人、そこに座っていた。鍵介はしばらく居心地悪そうに微かに身じろぎしていたが、奏太が離さないでいると、観念したのかゆっくりと体重をかけてくる。心地いい重さだった。
 「先輩」
 「うん?」
 「僕に、気を遣ってます?」
 奏太はその質問に、うーん、と少し唸った。どう答えるのが一番正確だろう。
 「少し心配してるかな。鍵介が苦しいんじゃないか、悲しいんじゃないか。そうだとしたら、僕に何が出来るだろうって」
 鍵介の頭を優しく撫でながら、奏太は言う。
 力になりたい。けれどそれは、鍵介の一番心地がいいと思う方法で、一番、鍵介の心に効く方法でがいい。だから、まずは鍵介の心が知りたいのだと思った。
 鍵介は、短くため息をついたようだった。
 「……自分の、というか、カギPの、ですけど。残滓、ってやつと戦って……なんかこう、色々思うことはあったんです」
 ぽつり、と鍵介が話し始めたので、奏太は相槌だけ打った。
 「正直、けっこうキツかったし、まあ、恥ずかしかったし……昔の自分を見てるってそういうもんじゃないですか」
 でも、と逆説をつなげながら、鍵介は苦笑する。
 「戦ってるうちに、やっぱり僕だなあって、わかるんですよ。顔が一緒とか、声が一緒とか、そういう表面の話じゃなくて、中身っていうか。それを倒して、消えていくのを見てた。不思議な気分でした」
 恨み言も言わず、涙も流さず、ただ鍵介を見つめながら、消えて行った彼の残滓。それを、奏太も思い出す。
 鍵介は瞼を閉じて、寒がるように奏太に身を寄せる。
 「あの僕は、どこへ行ったんでしょうね。どこへ、行くんでしょうね」
 奏太は鍵介の言葉を聞きながら、同じように目を伏せる。そして考えた。
 「……帰ったんじゃないかな」
 そう言って、奏太は鍵介の方へ視線を動かし、鍵介の右胸の辺りに手を当てた。肩にかかる重みが少しだけ軽くなる。鍵介が目を開いて、自分の胸元に当てられた奏太の掌を、見下ろしている。
 「帰った?」
 「うん。僕らがそうしたがっているのと同じようにさ。家に帰ったんじゃないかな。子供だって、一番星が出たらお母さんの所へ帰るじゃないか」
 だからさ、と奏太は、鍵介の胸元に当てた手はそのままに、頭を撫でていた手で、鍵介をぎゅっと抱き寄せる。
 「ここにいるんじゃないかな」
 迷わずに、もう帰ってきた。
 それはたぶん詭弁なのだろうし、感傷的かつ、希望的観測なのかも知れない。
 それでも、あの彼が、鍵介が思うように、やはり鍵介自身なのだとしたら、奏太にはそう思えてならなかった。どんなに認めたくない自分の一面も、自分の過去も、やっぱり自分なのだ。
 自分のしたことには責任を取らなくてはならない。課されたものには、応えなくてはならない。
 それは厳しい言葉に見えて、その実、過去から連綿と続く「自分」に、帰るべき家を失わせないためのものなのではないか。
 そして鍵介は、「あれは僕だった」と言った。
 「ここにいる、か」
 鍵介は力のない声で言って、奏太の手に自分の手を重ねた。奏太の掌の下でぬくもる、自分の右胸に手を当てた。呼びかけるような仕草と声だった。
 うん、と奏太はまた、相槌を打つ。
 「あんな僕も、僕なんですね。僕で、いいんですね」
 「うん。今までの鍵介のこと、僕も覚えてる」
 あれは確かに君だった。そして、今の君も、これからの君も。
 鍵介の手が、奏太の手を握りしめた。強く強く、ぎゅっと握った。奏太もそれを握り返し、また鍵介の頭を撫でる。

 「好きだよ、鍵介」

 

 

 ――――おかえり。