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有機生命体進化論02

Posted in Caligula-カリギュラ-, and テキスト

第2話。
蒔苗くんが楽士と戦うようです。
主+鍵な感じ。

 

 

 

 

 

 違和感に気付いたのは、戦闘が始まってしばらくしてだ。
 彼の前に立ちはだかったのは4人だった。それぞれ手には、見たことのない武器を持っている。
 異形。まるでデジヘッドの四肢の一部だけを人体に移植したような化け物だ。
 「帰宅部」を名乗り、この電子の楽園メビウスから脱しようとする反逆者の集団がいるということは前々から把握していた。
 そしてその反乱分子を早急に始末せよ、と上から依頼されたのも記憶に新しい。
 正念場だった。ここで帰宅部をつぶせるかどうかが、この仕事の結果に直結する。
 彼はそう考え、その大剣の柄を握りなおした。
 対する自分はたったひとりで、援軍は見込めない。
 だが、それは彼にとって……オスティナートの楽士・カギPにとって絶望的でも何でもない状況だった。
 基本的に楽士たちは個人主義だ。たとえ共通の敵である帰宅部……ローグが相手だろうが共闘することはまずない。
 それどころか、勝手に潰しあってライバルが減ってくれれば僥倖、くらいは考えていてもおかしくない。
 このメビウスにあって、創造主であるμの恩恵を受けるオスティナートの楽士は、特別な力を与えられている。
 才能を持つ者の集団。今カギPがいるのは、補いあうためではなく、互いに削りあうことで高みを目指すための群れだ。
 外圧はない。むしろ、その場所で研鑽を積めることがこれ以上ないくらい誇らしい。
 未知の武器がなんだ。反逆者がどうした。
 むしろこの仕事を一手に引き受けたことは、これからの自分の立場をさらに向上させるいい礎になるだろう。
 しかし、結論から言ってそれは完全な誤算だった。
 目の前で武器を構えた少年が見えた。
 回想から現在へ。
 思考が引き戻される。銃口がふたつ、こちらのこめかみを狙っている。
 変わった形をしているが、かろうじて判る。二丁拳銃というやつだ。
「くっ!」
 とっさに右手を正面に突き出した。氷が張るような音がして、目の前に半透明の障壁が出現する。
 カギPの得意とする戦法はカウンターだ。
 相手の攻撃を受け、倍にして返す。この戦法の利点は、相手の出方をじっくり見てから行動を開始できるところだ。
 敢えて攻撃を受けるリスクの代わりに、読み合いが格段に簡単になる。
 カギPはこの戦い方に自信があった。どんな攻撃であろうとも、予測ができればまず防いでみせるし、彼の盾はほぼ思考時間との誤差ゼロで形成される。
 相手が後戻りできないくらい攻勢に出たのを確認してから発動させても十分に間に合ってしまうのだ。
「蒔苗!」
 低い声が誰かの名前を呼ぶ。
 おそらくそれは、今自分の目の前で銃を構えている黒髪の少年のことだろう。
 にやり、と意地の悪い形に唇が持ち上がる。
 あれは警告の呼びかけだ。しかし、僅かに遅い。
 読み通り、既に攻撃態勢に入っている少年の銃口が光り、その弾丸がカギPの張った障壁に弾かれる。
 …………はずだった。
「…………」
 『まかなえ』と呼ばれた少年はおもむろに銃を降ろすと、高く高くその場で跳躍する。
 出方を変えた? いや、そんな馬鹿な。
 障壁を張ったときには、既に攻撃態勢に入っていたはずだ。本気で撃つつもりなら、攻撃を中断するという判断から行動までにタイムラグが発生するはず。
 人間は単純な生き物だ。急に指針を変えるとどうしても動きが鈍るはず。
 だが、少年はまゆ一つ動かさなかった。まるで最初からそうするつもりだったかのように涼しい顔で一連の戦闘をこなしていた。
 残る答えは一つだ。
 タン、と背後に軽やかな着地音がした。急な指針変更についていけなかったのはカギPのほうだ。
(フェイント)
 その数秒があれば、彼には十分。
 もうとっくに手遅れのタイミングで、カギPは振り返った。
 目が合う。銃口が眼前にある。
 その瞳の色の異常さに、その時はじめて気づいた。
 ぞっとするほど美しい朝焼け色の目が、自分を責めるようにまっすぐ見つめていた。
 死ね、と。
 視線が語った気がした。
 「アンタ……」
 そして、その言葉が紡がれるより先に、けたたましい銃声が鳴り響く。
 正確に、確実に撃ち込まれたその弾丸はカギPを軽く吹き飛ばし、一撃の下に戦闘不能にした。
「う、ぐ……っ」
 呻き、思考に靄がかかるのを理解する。
 どうしてだ。なんで僕は地面に転がっている。
 そこまで考えたところで、一旦思考は停止する。
 横倒しになった視界に、だん! と音を立てて何者かの足が突き立てられたのだ。
「っ!?」
 慌てて視線を戻すと、あの「蒔苗」と呼ばれていた少年が自分にまたがるようにして銃口を再び突きつけていた。
 撃鉄は既に降ろされ、指は既に引き金に掛かっている。
 ちょっと指に力を入れるだけで、あの必殺の弾丸がもう一度、今度はカギPの額に撃ち込まれる位置。
 殺される。
 とどめを刺される。
 逃げられない。
「ひ……っ」
 やがてその喉から悲鳴のなりそこないのようなものが漏れ……しかしその銃弾は放たれなかった。
「なにしてんだ、馬鹿!」
 別の声が割って入り、あの少年の腕を掴んでそれを阻止したのだ。
「放してくれ笙悟。まだ戦闘中だ」
「もう終わっただろうが! 戦意喪失した人間に……!」
「人間?」
 そう短く返して、蒔苗が再びカギPを見下ろす。
 その無機質な瞳の奥から読みとれる感情は、強い強い軽蔑だった。
 軽視し、蔑視するこころ。
 それはオスティナートの楽士となってからのカギPが、おおよそ味わったことのない感情ばかりで。
「……わかった。部長がそういうなら従おう」
 長い沈黙のあと、少年がそう言って銃口を放したとたん、どっと安堵感が襲い、そのままカギPは意識を手放した。

***

 その日の授業中、ずっとあのときのことを考えていた。
 理想の世界であるここでは、たとえ授業中によそ見をしていようが昼寝をしていようが叱る教師はいない。
 だから鍵介も思う存分上の空でいろいろなことに思いを馳せられる。
 たとえば、まだ彼が楽士だったころ、危うく殺されそうになった帰宅部の部長のことなどを。
(あれ、本気だったよな)
 あれが殺気というモノなのだと、知らずとも本能で理解した。
 鍵介の命が絶えることを、あの目はただ望んでいた。
 戦争などとは無縁の国と時代に生まれた鍵介は、現実でもそしてこのメビウスでも命の危機を感じたことはないし、きっと一生ないと思っていた。
 それと同じように、この国に誰かを本気で殺そうと思って銃を抜いたことのある人間はほとんどいないだろう。
 けれど、あの目は違っていた。当たり前のように鍵介を殺そうとした。
 非現実。
 現実に帰ることが目的であるはずの帰宅部の、そのトップには似つかわしくない単語だった。
(蒔苗実理……あなたはいったい何者なんです?)
 窓の外には温かい日差しの降り注いでいる。きっと今日も明日もメビウスは晴天で、寒さとも暑さとも無縁だろう。
 最近の帰宅部の活動はおおよそ順調だった。
 鍵介が入ったことで楽士の情報が入るようになったし、もともとあったデジヘッドへの具体的な対抗手段……カタルシスエフェクトという切り札もあり、「現実に帰る」という目的もそうそう夢物語でもなくなってきたといえる。
 問題なのは、その帰宅部の新しい部長というのが、くだんの蒔苗実理だということだ。
 これは鍵介的には非常にやりづらい、といえる。
 はあ、と思わずため息が出たと同時にチャイムが鳴った。
 ガタガタと生徒達が椅子を立つ音がして、教室はいっきに密度を減らした。
 どうせ授業なんて聞いている人間、ここには一人もいないのにどうしてこんな無意味なことをしているのだろう。
(苦手なんだよなあ)
 なんといってもこっちは殺されかけたのだ。トラウマにならない方がおかしい。

 ――――人間?

 あのとき、彼は鍵介を人間だとは思っていなかった。
 だから、引き留めた男……笙悟の言葉にそう問い返した。
(あの人にとって、楽士は人間じゃないって言うのか?)
 だから、殺そうとした?
 殺しても構わなかった?
 そんなふうに、割り切れるモノなのだろうか。
 そこまで考えてまた背筋が寒くなった。これ以上深みにはまると、今日の部活に参加できなくなりそうだ。
 鍵介はそこで思考をうち切って自分も席を立った。
 帰宅部の部室は音楽準備室だ。鍵介の教室からはそう遠くない。
 集合の時間にはギリギリだが、少し急げば間に合うだろう。
 そんなことを考えながら、鍵介は足早に廊下を曲がった。
「そんなに急いでどこへ行くのかしら。カギP……いえ、響鍵介?」
 その角で、ふと声を掛けられる。
 意味を理解するより先に、その声の温度の低さに身がすくんだ。
 聞き慣れた声だ。
 か弱そうな女性の声なのに、聞いたものを絶対に服従させる得体の知れなさを持つ声。
「あ……」
 一方、自分の喉から出たのはそんな間抜けな声だけだった。
 艶やかなその黒髪越しに、音楽準備室が見える。
 その廊下の真ん中で、その少女は……オスティナートの楽士・ソーンは艶やかに微笑んでいた。

「一緒に来て貰うわ」

***

 次に意識が浮上したとき、目に飛び込んできたのは灰色の床と自分の爪先だった。
「あ、れ……」
 喉の奥に絡まった声を促しながら視線を上げると、そこはどうやらただっ広いホールのようだった。
 ここはどこだろう。そう心の中で言いながら立ち上がろうとする。
 が、それは敵わなかった。
「!?」
 ぎち、と椅子に身体が引き戻された。
 動けない。
 はっとして違和感の正体を確かめると、鍵介の両手首がしっかりと椅子に固定されているのがわかった。
「目が醒めたようね。気分はどう?」
 かつん、と固い靴音がして、視界にあの黒髪が入り込む。
 ゆっくりと顔を上げると、そこには自分を見下ろす女がひとり。
「ソーン……」
 名前を呼ぶ。しかし、彼女はそれに対して小さくため息をついただけだった。
 何度か楽士の会合でその顔を見たことはあった。病的に白い肌に、真っ赤な瞳。
 その表情はいつも能面のような無表情で、声からも感情が非常に読みとりづらい。
 それは、直接対面した今もさして変わらないようだった。
「これから自分の身になにが起こるか、察しているわよね」
 その細く白い指が、さらに細い何かを握ってこちらへ向ける。
 それが指揮棒だと気付くのに時間は掛からない。
 オーケストラを導く杖。
 オスティナートの楽士を実質取り仕切っているといって良い彼女の持ち物として相応しいだろう。
 それが鍵介のうつむき加減の顎にかかり、こちらを向けといわんばかりに軽く持ち上げる。
 逆らうことができない力ではない。
 だが、それに従わなければならない不可視のなにかを感じ、鍵介はされるがままに顔を上げた。
「感謝しなさい。楽士でありながらμとメビウスを裏切るという重罪を犯しても、この世界では命までは奪われないのだから」
 氷のように冷たい声でそう言われ、ぞくりと背中が寒くなる。
 感謝しろ、だと? とんでもない。と鍵介は心の中で毒づく。
 確かに命は取られないだろう。この世界では、μを信奉する人間の数は一人でも多い方が良い。
 だから、彼らはそうではない人間の心を変えてしまうのだ。
 それは確かに慈悲のようにも思えるかもしれない。
 だが、鍵介は知っている。元楽士だからこそその残酷さを理解できる。
 命を奪わず、心をねじ曲げ利用する。
 資源として、労働力として、あらゆるものを絞り尽くして奪い尽くす。
 それが幸せと呼べるのなら、そんなものは歪みきっていると。
「今更こんなことをしても、もう手遅れなんじゃないですか?」
「……」
 不敵な笑みが浮かぶ。
 脳裏に浮かんだのは、帰宅部の面々だった。
 彼らは今や、楽士やデジヘッドから逃げ回るだけの存在ではなくなった。
 カタルシスエフェクトという手段を手に入れ、急激に成長している。自分が倒され正気に戻ったのがなによりの証拠だ。
 メビウスは変わろうとしている。
 それはおそらく、鍵介だけではなくオスティナートの楽士全員がどんな形であれ感じ取っていることだろう。
 しかし、ソーンは憐れむような目を向けただけだった。
「今の状況が、必ずしも帰宅部に有利だとは限らないわ」
 その血のように赤い瞳は、まっすぐに鍵介を見つめ続けている。
 彼女に迷いの色はない。ずっと見つめ返していると、吸い込まれそうな錯覚に陥ってしまう。
「たとえば……帰宅部は、ほんとうにあなたを受け入れてくれたのかしら。元・オスティナートの楽士であるあなたを」
 反射的に肩が震えたのがわかった。そして、目の前の少女はその動揺を見逃さない。
「私たちは、μと彼女の歌を愛し尊ぶべきという絶対的な価値観と、そこから生まれる絆で結ばれているわ。けれど、あなたたち帰宅部はどう?」
 小さな唇が、ゆっくりとやわらかい微笑の形を作り上げる。それはまるで絵画の中の人物を見ているような、完璧な笑顔だった。
「『現実へ帰る』……その目的だけがあなたたちを結びつけている。その他には何の根拠も保証も情も執着もない。互いを利用し合うだけの関係」
 可哀相に、と、か細い声で彼女は最後に付け足した。
「楽士の情報を全て帰宅部に与えれば、きっとその時点であなたは捨てられるわ」
「そんなこと……!」
 ありません、と続けられないことに鍵介は自分で驚いた。
 脳裏に浮かんだのは、蒔苗実理のあの視線だった。
 朝焼けの光をそのまま落とし込んだような、硝子球のような美しく、虚ろな目だった。
 あの無感動で無感情な目が、自分を人間だとも思っていない目が、フラッシュバックのように蘇る。
 そんなことを考えている場合ではない。
 ソーンの言葉に耳を傾けるべきではないとわかっている。
 それでも、鍵介にはその言葉をはね除けるだけの自信がなかった。
 ほんとうはずっとそんなものなかったのだ。
 目が泳ぐ。それを、ソーンが満足そうに見ているのが分かる。
 せめてそんな胸の内を知られないように振る舞えればよかったのに。
「……さあ、もう忘れなさい。これからはまた、何にも悩まなくていいのよ」
 数秒間を空け、鍵介がなにも言い返せないことを確認したあと、ソーンは静かにそう言った。
 それを待っていたかのように、どこからともなくデジヘッドが現れ、一歩また一歩と鍵介へ詰め寄る。
 身体が硬直する。
 心がそれを近づけるなと恐れおののく。
 その手には、鍵介もよく知るものが握られていた。
 一見、なんの変哲もないヘッドフォンだ。しかしそれはかぶれば脳を侵し、思想を塗り替える恐ろしい兵器でもある。
 かつて楽士だったころの鍵介も、それを何の迷いもためらいもなく人にかぶせていた。
 なら、それを拒絶する権利など果たして今の自分にあるのだろうか。

 ――――人間?

 ああ。そういうことか。
 自然と、鍵介の口は自嘲的な笑みを作っていた。
 ひとでなしには、それなりの報いを。
 これは罰だ。
 ゆっくりと、まるで王冠をかぶせようとするようにマインドホンが鍵介の頭上に掲げられる。
(これも……ずっと逃げてきた報いってことなのか)
 誰に言われるでもなく目を閉じる。
 なぜか、やめろと拒否することはできなかった。
 耳元で、聞き覚えのある歌が流れている。
 楽士随一の技術とカリスマを誇るソーンが作るのは、ハイテンポで熱狂的な、ラブソング。
 病的なほどに熱烈な愛の言葉がすさまじく早いスピードで鼓膜を刺激し、人はそれを無意識に追いかけるうちに虜となる。
 それはきっと、恋愛には今のところ無縁な鍵介であっても例外ではないだろう。
 次に目を醒ましたとき、きっともう自分は自分ではなくなっている。
 きっと、そっちの自分の方が多くの人に望まれているのかもしれない。
 それでも……それでも。
 そんな資格はないとどれだけ自分を叱咤しても、一度取り戻した自我を再び失うことは酷く恐ろしかった。
「なに?」
 そのとき、自分にかぶせられようとしていたマインドホンが、ごろりとデジヘッドの手からこぼれ落ちた。
 がしゃん、と無機質な音を立てて地面にぶつかり、その衝撃でコードが外れる。
「え」
 つづいて、ゆっくりとデジヘッドの身体も傾いでいく。
 無表情な生徒は、そのまま先に落ちたマインドホンの上に倒れ込み、今度こそ洗脳装置は粉々に潰されてしまった。
 目を開ける。
 少しにじんだ視界に映るソーンは、珍しく焦ったような表情をしていた。
 その視線を辿る。
 そして、入り口らしき場所の前に、ひとりの少年が立っているのが見えた。
 黒い髪を無造作に流し、朝焼け色の目でまっすぐこちらを見ている彼は。
「せん、ぱい……」
 その声が聞こえたのかどうかはわからないが、黒髪の少年は……帰宅部の部長・蒔苗実理は弾かれたように飛び出し、鍵介のほうへと一目散に走ってきた。
 それを阻止しようと、ソーンの周りにいたデジヘッドが一斉に動く。
 無茶だ、と鍵介は思った。
 なぜか、実理は一人だったのだ。いつも一緒にいるはずの帰宅部員は誰も連れていない。
 このままでは、多勢に無勢だ。
 いくらカタルシスエフェクトを持っていたところで、捌き切れなければ負ける。
 何か声を掛けようと息を吸い込んだところで、もう交戦は始まってしまった。
 ひとり、またひとりと双銃から放たれる弾丸にデジヘッドが倒れ、しかしそれを乗り越えるようにさらなるデジヘッドが押し寄せる。
 やがてじわじわと距離を詰められ、ついに肉薄した敵の一人と、実理の銃が鍔競り合った。
「……あなたは……例の『裏口入学生』ね」
 そこで、ソーンがようやく口を開いた。
 押し殺すような、相手を値踏みするかのような声だ。
(裏口入学生……?)
 なんだそれ、と聞き慣れない言葉に首を傾げる。
 しかし、それに対し彼女は説明するつもりはないようだった。そして、実理もまたなにも言い返さない。
「ほかの生徒は騙せても、私やμの目をごまかせるとは思わないことね。このメビウスは、居場所を失った者だけに与えられる理想郷……資格のない者には容赦しないわ」
 不機嫌そうな声でソーンが続ける。
 それに呼応するように、防御に集中する実理の背中にさらにもうひとりのデジヘッドが殴りかかった。
「先輩!」
 叫び暴れるが、念入りな拘束はまったくほどける気配がない。カタルシスエフェクトを展開しても、これでは意味がないだろう。
「鍵介を、放せ」
 しかし、実理はただ一言、端的にそう言っただけだった。
 そして先ほどまで全力で鍔競りあっていたその銃を、いきなり手放す。
 すると当たり前に全体重を掛けていたデジヘッドの体勢が崩れ、実理はそれとぶつかる前にするりとその場から離脱する。
 結果として、実理の背中を狙っていたデジヘッドの拳は、最初に彼と組み合っていたデジヘッドに思い切り振り抜かれ、そこには気絶するふたりのデジヘッドが転がることとなった。
 息を呑んだのは、鍵介だったのか。それともソーンだったのか。
 その間にも、実理は次の行動を開始する。
 一瞬動揺の波が広がったものの、気を取り直して襲いかかるデジヘッドの集団を確実に捌き、的確に処理する。
 地の利も味方もないこの状況で、眉ひとつ動かさず、四方八方から迫り来る攻撃を受け流し、迎撃し、時に仕掛けられる前に潰す。
 それが背後であっても頭上であっても関係はなかった。まるで全方位に目があるように、その動きには迷いがなかった。
(あれは違う)
 その光景に見入りながら、鍵介はふと思った。
 あれは違う。予想とか予測とか、まして動体視力とかそういうものではない。実理はそんな不確かなものを根拠に動いていない。
 あれは、未来予知だ。
 直感的にそう察した。
 彼の目には、未来が見えているのだ。
 そしてついに最後となったデジヘッドをもなぎ倒し、馬乗りになった実理がその銃口をこめかみに突きつける。
 そのシルエットに、鍵介は見覚えがある気がした。
 デジヘッドの喉から『ひっ!』という呼吸になりかけた悲鳴が漏れる。
 彼には今、まるで小型カメラのように無機質に動く、あの朝焼け色の瞳がよく見えているのだろう。
「…………」
 あの日とひとつだけ違ったのは、実理が躊躇うことなく引き金を引き、それを止める人間も他にいなかったことだった。
 パァン、と破裂音がして、デジヘッドが動かなくなる。
 たった十数分で静寂が戻った空間に、もう動いている影は三つしかない。実理と、鍵介と、ソーンだけだ。
「……やはり、彼らでは相手にならないわね。でもいいわ。蒔苗実理。あなたが案外愚かな人間だと言うことがわかったもの」
 かつん、と靴音が響いて、それに弾かれるように実理が銃口をソーンに向ける。
 生体反応に呼応して動くロボット。そんな表現がぴったりな、精密で、生命を感じさせない動きだった。
 凶器を突きつけられて尚、しかし幽霊のような少女は動じない。
「響鍵介ひとりを助けるために単騎で突入してくるなんて考えられなかったけど……お陰でその不可解な力もこの目でしかと見ることができたわ。次に会うときは、同じようにはいかないとおもいなさい」
 そう言うと、彼女はくるりと背を向け、別の扉からホールを出ようとする。
 実理は何故か、そのがら空きの背中を撃たなかった。
「……私を撃てる未来は見つかった?」
「!」
 くす、と鼻で笑って、ソーンはそのまま扉の向こうへ姿を消した。
 それを確認して、実理がため息と共に銃を下ろす。
 さきほどはまるで機械のように見えた彼も、僅かながら緊張していたことが伺えた。
「アンタ……一体、何者なんですか……?」
 とうとうふたりだけになった敵地の真ん中で、鍵介の声がこだまする。
 実理はその言葉に視線を泳がせる。そして結局こう答えた。
「それは、ごめん。言えない」
 彼は申し訳なさそうに彼の縄を解くと、そのままおもむろに右手を差し出した。
 もうその手にはカタルシスエフェクトの銃は握られていなかった。
「肩、貸そうか」
 ぶっきらぼうに、しかし少し遠慮がちにそう言われて、鍵介は一瞬ぽかんと口を開けて硬直してしまった。
 そして条件反射的にその手を取ってしまう。
「ありがとうございます……助かりました」
 自然とそんな言葉が零れた。
 まさか先輩が助けに来てくれるとは思いませんでした、とはさすがに言わないが、実理の鋭い目は心を見透かせるように複雑そうな表情を作る。
「ごめん、怖い思いをさせた」
「いや、大丈夫ですよ。洗脳されそうでギリギリ大丈夫でしたし」
 しかし、実理は小さく首を横に振る。
「そうじゃなくて、最初のときのこと。酷いこと言ったし……謝ってなかったな、と思って」
 また、フラッシュバックのようにあの記憶が蘇った。
 しかし今はあの背筋が凍るような恐怖までは思い出せない。
 ただただ、目の前で申し訳なさそうにしている実理に、なんだかむず痒いような感情が浮かんでくるだけだ。
「はは。本当ですね。そういえばそうでした。だからなのかな」
「?」
 要領を得ない答えに、朝焼け色の目の少年は首を傾げる。だが、鍵介はそれ以上胸の内を語るつもりはなかった。
 きちんと終わらなかった喧嘩だからずっと引っかかっていた……なんて生易しいものではない。
 それでも、今目の前であの時のことを誤った蒔苗実理は、もう以前の彼とは違う気がしたから。
「良いですよ。謝って貰ったらスッキリしました。もう大丈夫です」
 笑みがこぼれたのは本当に無意識だった。
 それを見て、実理は珍しくほんのすこしだけ表情を和らげる。
「……そうか。よかった」
 わだかまりが完全に解けた……と言いきるには、まだこの少年には謎が多すぎる。
 結局どこまでも悲観的で現実主義な鍵介には、この新しい部長を無条件で受け入れることはまだできない。
 だがそれでいい気がした。実理もまた、鍵介という人間にそれを望んでいる気がしたからだ。
 互いを信頼するのはいい。ただ自分たちはそのうえで、観察し、される関係でいるべきだ。
 この少年の謎がなんであれ、それはいつか日の目をみるだろう。
 そのときが来るまでに、自分はこの蒔苗実理という人間を見極める。
 それはもしかしたら、ほかでもない彼のためになるかもしれない、と。
 そんな根拠のない予感を覚えながら、鍵介はゆっくりと椅子から立ち上がった。