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Nearly Equal

Posted in Caligula-カリギュラ-, and テキスト

琵琶主♀。「#恋する琵琶坂永至」というタグに滾ったので書いてみました。
琵琶坂先輩のキャラシナリオネタバレ注意&死ネタ注意。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先輩が何をしたのか、全部知っています」
 呼び出して早々に、彼女は思いつめた表情でそう告げた。
「お願いです、現実に戻ったら、罪を認めてください」
 それだけで悟った。今まで重ねてきた罪も嘘も、すべて明らかにされてしまったのだろう。そしてそれを知ったこの少女は、自分にそれを問いただしに来たのだ。
 舌打ちが漏れた。頭のなかで、使えそうなカードを探す。
 琵琶坂先輩が好きです、と、ジュブナイル小説さながらに告白されたのはいつのことだったか。とにかく、この少女が自分に好意を抱いていることをふと思い出した。
 情に訴えるというのは美しくない。けれど、特に女には絶大な効果を発揮するということを、琵琶坂はよく知っていた。
 愛情も恋情も、人を容易に動かせる実に低コストなエネルギー。もしかすると、楽士たちのふりかざすマインドホンよりも質の悪いものかもしれない。
「君は僕のことを好きなんじゃなかったかな」
 にこやかに微笑み、優しい言葉でもって話かける。彼女の心が少しでもぐらつけばいいと思いながら。
 案の定、少女はその声色に動揺したように一度視線をそらし……しかし、それだけだった。
「好きです。でも、許せません。許してはいけないと思ったんです」
 呆れるほどまっすぐな声で、そう言い放つ。逸らした視線はまた琵琶坂をとらえなおし、先ほどより強い意志すら秘めてこちらを見つめていた。
 苛立ちが募る。相手を威嚇するように、わざと大きなため息をついて見せた。
「がっかりだよ部長くん。所詮君のいう『好き』なんてそんなものか。ほんとうの愛情というのはね、そいつのためならなんでもやる、どうにでもなってやるという覚悟を持つ者にのみ宿る感情なのさ」
 後学のために覚えておくといい。もっとも、君にこの後はないのだけど、と付け加え、返事を待たずに心の闇を解放する。
 カタルシスエフェクト。世界でただ一つだけの精神のカタチをした凶器。
 すべての秘密を明らかにした今、きっとその禍々しさはいつもより数段跳ね上がっていただろう。
「君は僕の正体を知ったとたん手のひらを返す、その程度の愛情しか持っていなかったということだ」
「違う……先輩、それは違います!」
 ひどく傷ついたような顔をして、部長は琵琶坂に一歩詰め寄った。それを、線を引くように地面へ鞭をふるって阻止する。
「うるさい、黙れ」
 殺すぞ、と底冷えする声を浴びせて、琵琶坂は今度こそ、少女に向かって再度その凶器を振るった。

***

 イライラする。イライラする。イライラする。
 歩きながら、心の中を整理しようとひっくり返したものの、見つかる言葉はそればかりだった。
 片付かない。片付くものではない。琵琶坂永至のプランは白紙に戻ってしまった。もうおしまいだとは言わないが、そう叫びたくなるくらいには手詰まりだった。
 結論から言うと、彼は部長にあと一歩のところで敗北した。すべての罪を暴いた彼女の口を封じられなかった以上、もう帰宅部には戻れない。行く当てを失い、彼は怒りに駆られながらランドマークタワー周辺を歩いていた。
『違う……先輩、それは違います!』
「違わないだろうがッ」
 フラッシュバックのように脳裏によみがえる声に激昂して、振り払おうと近くにあったゴミ箱を蹴りつける。
 彼女は自分を裏切った。琵琶坂を愛しているというなら寄り添い遂げるべきなのに、くだらない良心の呵責に唆され、いまさら怖気付いたのだ。
 つまらない、くだらない。なのにまだ頭の中にこびりついて琵琶坂を苛立たせ続ける忌々しい小娘。
「僕を好きだというなら、自分の感情や都合など踏み潰してみせろよ。それもできないくせに、あの女……!」
 その時、空がふと翳った。まだ日は高いはずなのに、今度はなんだと訝しんで振り返る。その瞬間、もう全ては終わった後だった。

 ひどく、ひどく澄んだ音がした。

 時間が引き延ばされる。一瞬はコマ送りの動画のように動きを鈍くして、まるで最期の手向けのように琵琶坂の思考を恐ろしいほど研ぎ澄ませた。
 ガラス。そう、ガラスが割れていた。ナイフのように鋭く尖ったものが、一斉にこちらへ降り注ごうとしていた。
 そして理解する。もうどうしようもないということを理解する。
 鈍くなる時間の中で、ふと考えた。
 琵琶坂永至の思い描いていた未来は白紙に還り、そして今、きっと過去も現在もすべてが喪われようとしているのだろう。
 手の届かなくなったその未来がどんなものだったのか、今さら回想する。過去を振り返るのではないから、走馬燈とは少し違うのだろうか。
『せんぱい』
 このメビウスでずっととなりにあの少女が、現実でも琵琶坂の隣で笑っていた。名前を呼べば頰を染め、はたらきを褒めればほがらかに笑う、よく懐いた犬のようにひたむきなその姿を想像することに、一切の違和感などなかった。
 だからもしもあの決別がなければ、この瞬間もきっと彼女は隣にいたのだろう。
 けれど、もうどこにもいない。きっともう会うこともない。
『好きです。でも、許せません。許してはいけないと思ったんです』
 だからこそ、と彼女は言っていた。スカートをぎゅっと握り締める手は震えていて、押し殺したような重い声で。
 部長が琵琶坂の機嫌を取り、愛されたいだけの犬だったなら、あれは間違いなく悪手だ。別段頭が悪いわけでもない女だったのに、どうしてあの時だけはあんなにかたくなだったのか。
『ほんとうの愛情というのはね、そいつのためならなんでもやる、どうにでもなってやるという覚悟を持つ者にのみ宿る感情なのさ』
 そして同時に、自分で言った言葉がよみがえる。それが答えを指しているような気がして、最期に自嘲の笑みを浮かべた。
 ああ、我ながら頭の回転がにぶいな、と自らを叱咤する。
 彼女はきっと、彼女自身が考える最良の未来を示そうとした。たとえ琵琶坂にとってそれが最良でなくても、そうすることで琵琶坂と決別することになったとしてもだ。

 そのひとのためなら、どうなってもいい。

 琵琶坂永至のためならば、嫌われても憎まれても構わないと、彼女は言ってのけたのだ。
 だから琵琶坂の隣で笑う未来よりも、軽蔑され殺しあってでも罪を償わせる道を指し示そうとした。
 それが押し付けがましくとも、どれほど的外れでも、きっと琵琶坂が提示した愛情の定義とは矛盾しない。

 なら、愛していなかったのは、ほんとうはどちらだったのか。

 だから、その一瞬。無数のガラスの破片を前に琵琶坂が考えたのは、どうしようとかどうすればとかいう具体的なことではなく。
(ああ、嘘だろ。なんで僕はよりにもよってこんなことを考えた?)
 陳腐で呑気な、ただの独白だ。

(あいつが今ここにいなくてよかったなんて)

 まるで啓示のように。死の直前になにかの階段を上るように、琵琶坂永至はその結論にたどり着いた。
 きっと気の迷いだ。あまりに無念なこの結末に、頭がおかしくなってしまったに違いなかった。

 それでも間違いなく、いま琵琶坂の頭の中を占めているのは、自分に訪れる死についてではなかった。
 ただあの不器用な少女の姿だけが、陽炎のように佇んで、泣きそうな顔でこちらを見ていた。

 ほんとうの愛情というのものは。
 自らが定義したそれに、これは当てはまったことになってしまうのだろうか。

 だとしてもきっと、この結末にたどり着いたことを彼女は知らないままこの先も生きていくのだろう。
 それでいい。琵琶坂が最期なにを考えていたかなんて、彼女が知っても知らなくてもさほど違いはない。
 でも、と言い残すように独白を続ける。
(僕の覚悟では、せいぜい恋というところだな)
 これでいい、というつぶやきをかき消すように、天罰のようなガラスの破片たちが、無数に降り注いだ。