琵琶主♀。「#恋する琵琶坂永至」というタグに滾ったので私も書いてみました。
琵琶坂先輩にめちゃくちゃ恋している部長ちゃんのお話です。
前後編に分かれています。後編は明日更新予定。
「琵琶坂先輩、好きです!」
柔らかそうな茶色の髪を揺らして、少女が魅力的な笑顔でそう言った。
時刻はうららかな昼下がり。どういう仕組みか、年中咲き続ける鮮やかな桜並木の下、桜吹雪を背景に、祈るように手を組んで見上げる少女。
……なるほど、まるで一枚の絵のように可愛らしい。もし絵になるなら、タイトルはやはり「告白」だろうか。
長い睫毛の向こうにある少女の瞳は恋をしていて、まっすぐに青年を見上げている。
年の頃は十六、七。必死で背伸びをするような同年代の少女たちとは少し違って、この少女はまだほんのりと幼さを残したまま。あどけない仕草と声が、なんとも愛らしい。
が。
「ありがとう。きっぱりお断りするよ」
そんな少女の告白を、琵琶坂永至は絶対零度の笑顔で斬って捨てた。
しかし少女の方は笑顔を全く崩さず、たじろぐどころかもう一歩琵琶坂に詰め寄って続けた。
「わかりましたっ、今は諦めます! ところで先輩、いつもそんなにこにこしていて、ほっぺ引きつりませんか?」
「大丈夫だよ。心配をどうも」
琵琶坂は少女の言葉を適当に受け流しつつ、さっさと踵を返して歩き出した。
「今は」諦める、だの、頬の筋肉へのズレた心配だの、色々突っ込んでやりたいが、この少女に突っ込んだら終わりだ。反応を返したらつけあがる。そして、つけあがったら大変なことになる。琵琶坂はそれを身に染みて理解していた。
しかし少女はその後ろを、まるでカルガモの仔のようによちよちとついてくる。
「先輩、もしかして、寝ているときも微笑んでいたりしませんか?」
「はは、面白い冗談だね」
「……先輩、愛してますっ」
「ありがとう。気持ちだけ受け取っておくよ。時間差で言っても無駄だからね」
「では今晩、お付き合いいただけませんか?」
「せっかくだけど先約があるんだ」
少女の背後からの猛口撃にもめげず、琵琶坂は歩き続け、ようやく音楽準備室……帰宅部の部室へとたどり着く。中からは微かに人の声がして、他の部員たちが来ていることが窺えた。
琵琶坂が扉の前で足を止めると、背後によちよちと着いてきた少女も足を止める。
「ではっ! 今ここで服を脱ぎます!!!」
そして自分の衣服……肩にかけた制服のジャケットに手をかけ、颯爽と脱ぎ捨てた。
ばさり、という衣服が廊下に落ちる音を聞きながら、しかし琵琶坂は動じず、振り返って少女の首根っこを捕まえた。
「ふえ?」
「ああそうかい、じゃあ僕は席を外そう。女同士裸にでもなんでもなって涼みたまえ」
そして音楽準備室の扉をがらりと開けると、少女をぽい、と室内に放り込んで扉を閉めた。
閉めた扉の向こうから、「ぎゃあ!」だの「わあ!」だの悲鳴が上がるが、琵琶坂の知ったことでは無い。廊下に落ちていたジャケットに気付いて拾い上げ、それも扉を開けて中に放り込んだら終了だ。
「あああぁぁっ! 琵琶坂先輩のいけずぅ! そこが好きなんですけど!」
あとは恨み言なんだか告白なんだか分からない叫びを無視しつつ、琵琶坂はそこから立ち去る。
一方、部室の中では、琵琶坂の足音が遠ざかっていく音を聞きながら、談笑していた女子部員三人……琴乃、鈴奈、美笛が固まっていた。
もちろん、原因は突然放り込まれた部長の存在である。
「……あの、部長……大丈夫ですか?」
「ううっ、鈴奈ちゃん……」
意を決して、鈴奈がおずおずと、床に放り出された部長を見て声をかける。鈴奈の声に反応して顔を上げた少女は、その愛らしい顔立ちを涙に濡らし――てはいなかった。
「聞いて聞いてっ! 今日は琵琶坂先輩が口をきいてくれたの!」
「そ、そ、そうなんですね、その、それは……」
むしろ満面の笑みである。
しかし、よかったですね、と言っていいものか。鈴奈は一瞬迷って固まった。そして助けを求めるように、後ろの琴乃と美笛を振り返る。
琴乃と美笛は鈴奈の意図を察して、顔を見合わせる。
「部長」
「……部長、あの、私が言うのも何ですけど」
「なあに?」
ため息交じりに言いながら、琴乃が部長の左肩、美笛が右肩に手を置く。当の部長だけが、場違いなほど「きょとん」と楽観的な様子だ。
「いっそすがすがしいくらいに、脈なしです、あれは!」
美笛は空いた手で握り拳を作りつつ、力一杯そう断言した。
帰宅部部長の彼女は、ご覧の通り琵琶坂永至に恋をしている。
本人曰く「一目惚れ」だそうで、それはもう、彼が帰宅部に入部したときから、人目もはばからずあんな調子でアタックし続けているのだ。
しかし残念なことに、確定的に、致命的に、「この恋」には脈が無い。
部長に魅力が無いというわけではないが、あの琵琶坂とのやりとりを一度でも目の当たりにすれば、普通「これは脈なし。解散」と両手を挙げるだろう。
「えー? 何それ? 脈はあるよ?」
「ないですっ! どこにあるんですか、逆に!」
しかし、そこはこの帰宅部部長、前向きすぎるのである。一途が過ぎるのである。
諦めるどころか、何度琵琶坂にこっぴどく振られ、避けられ、あるいははっきりと「未来永劫、君と付き合うことはない」と言われても懲りない。
「何事も挑戦、チャレンジだよ! 今日頑張ってダメなときは、明日また頑張ればいいんだから!」
「あ、明日ダメだったら、どうするんですか……?」
「そのときは、明後日また頑張るんだよ、鈴奈ちゃん!」
鈴奈の疑問にも、部長は迷い無くそう断言した。
……確かに、諦めたらそこで試合終了、という名言もあるが。この場合、相手が試合放棄をしそうなものだ。いや、実際している気がする。
もはやここまで来ると、止めるとか説得するとかそういう段階の話ではない。
「私、琵琶坂先輩を追っかけてくるね! またね、みんな!」
そしてまた清々しいほどの笑顔で、部長は踵を返して部室を飛び出していった。
後に残された女子たちは、呆然とそれを見送るのみである。琵琶坂を思えば止めるべきだったのだろうが、そんなくらいで止まる部長なら、苦労はしていない。
「……ほっときましょ」
そして琴乃が毎回出す結論はこれだった。
「い、いいんですか?」
「恋に恋するお年頃なんだろうし……今のところ、部活に支障は出てないし。本当に支障が出そうになったら、私が止めるわ」
ため息交じりに琴乃が加えると、ようやく鈴奈は口をつぐんだ。
部長だって、琵琶坂が本気で断っていることくらい気付いているだろう。けれど、それでもいっこうにめげる様子は無い。
強いなあ、と鈴奈は思う。鈴奈だったら、あんな風にきっぱりはっきりと断られたら、どんなに好きだって諦めてしまうかも知れない。
しかし、部長なら。琵琶坂に想いを伝えるためなら彼女はどこまでも走るだろうし、いつまでだって笑顔で主張し続けるだろう。
文学ではよく「恋は盲目」などというものだが。今の彼女はまさにその通りだ。
***
部室のある旧校舎を飛び出し、部長は石畳を蹴って走っていた。
息と声を弾ませながら、髪と同じく、色素の薄く透き通った瞳で、きょろきょろと辺りを見渡す。そして目当ての人を見つけると、いっそう嬉しそうに目を輝かせた。
「せんぱーい! 琵琶坂せんぱーーいっ!」
声を張り上げ、片手をぶんぶんと振りながら、部長は一目散に琵琶坂の元へと駆け寄ってくる。
琵琶坂はそんな光景を目の当たりにして、スマートフォンを片手にため息をついた。
どうやら、こんな人気の無い校舎裏にまでやって来て、やっとの事で得た自由時間は、もう終わりらしい。
「会いたかったです~! こんなところにいたんですね!」
「見つけないでくれ。僕は君にはもう会いたくない」
琵琶坂は今度はさっきの絶対零度の態度から笑顔まで差し引いて、なるべく冷たい声で言ってみた。
しかし、少女は全く意に介した様子も無く、やはり愛らしい表情をくるくると変えてはしゃいでいる。
「つれないですね~。でも、真実の愛に障害はつきものだから、私は全然大丈夫ですよ! それに、つれないクールな先輩も、愛してます!」
僕は全然大丈夫なんかじゃ無いけどね、と、琵琶坂は心の中で吐き捨てた。
そうしてから、琵琶坂は今日初めて、部長に正面から向き直る。しかしそれは、部長からの告白を真摯に受け止めるためではない。
「僕は君が嫌いだよ」
何度目かも知れない、拒絶を彼女に投げるためだ。憧れと甘さの籠もった、琵琶坂に恋をする少女を、正面から否定するためだった。
少女を睨み付けるその態度からは、「もしかして」なんて要素は微塵も無い。普通の人間なら、まず望みなど無いのだと確信して、一目散に逃げるだろう。
しかし、部長はけろりとしたものだ。
「うーん。そうなんですよね、つらいです。悲しいです。もう泣きそうです」
「……そんなこと言って、君が涙を流したところなんて一度も見たことがないがね」
口ではそう言いながらも、部長は涙を流す素振りも、嘘泣きさえしない。
いつもそうだ。部長は、泣かない。
表情はくるくると変わるし、ときに落ち込むし、悲しみ、怒る。相談に乗った相手に共感するあまり、まるで自分のことのように憤ったりもする。
けれど琵琶坂は――いや、きっと部員の誰も、部長が泣いたところを見たことだけは無いだろう。
『明日また、頑張ればいいもんね』
と、どんなに悲しんでも怒っても、最後は笑う。
……気持ち悪い、と琵琶坂は端的に思っていた。
こんな人間がいるわけがない。いたとしても、メビウスに堕ちてくるはずがないのだ。だとしたら、残る可能性はひとつ。
「何を企んでる」
そう言うと、部長は一瞬またあの「きょとん」とした顔になった。それから、また、春の日差しのような笑顔を浮かべる。
「なんにも。私は、琵琶坂先輩が好きなだけです」
また迷い無く、無邪気に部長は答えた。そんなわけがあるか、と琵琶坂の心が反論する。
「ふん。どうだか……何せよ、これ以上僕の邪魔をしたら殺すぞ」
違和感。あまりの気持ちの悪さに、つい本性が漏れ出した。まずかったか、と直後に思うが、もう遅い。
いや、まずかったとしてもそれがどうした。それなら「本当に殺せばいい」。
明日、明日と能天気に笑うばかりのこの女から、「明日」を奪ってやればいい。
「殺す、ですか?」
琵琶坂先輩が、私を?
部長は今度は、ぽかん、と間の抜けた表情で、口を開けたまま琵琶坂を見上げた。
言われた言葉を理解出来ていない……わけではないだろう。あまりに予想外の言葉が出たので、放心している。そんなところか。いかにも平和ボケしていそうな彼女らしい。
琵琶坂はそう思ったが、次の瞬間、彼女はまた、あの春の日差しのような温かな笑みを浮かべ、こう言った。
「先輩には私は殺せませんよ」
彼女の声は、慈しむような声だった。幼い子に言って聞かせるような、普段の彼女から思うと異質な、大人びた物言いだった。
「……ほぉ。大きく出るじゃないか」
「はい。だって、先輩は帰宅部がなくなると困るでしょう?」
「メビウスではね。現実に戻れば話は別だぞ」
主導権を握らせまい、と琵琶坂は努めて冷静な口調でそう畳みかける。
何のつもりかは知らないが、こと交渉ごとで琵琶坂を出し抜けると思っているのなら、それは大きな間違いだ。
けれど、なおも彼女は揺らがない。焦る素振りすら見せない。
「でも、現実ではもっと無理ですよ」
じわり、とまた琵琶坂の心の奥で違和感が、あの気持ち悪さが這い上がってくる。
「だって、先輩は私に追いつけないから」
琵琶坂の前で、少女は笑う。無垢で無邪気で、汚れなどひとつも知らないというような、温かな笑顔を向ける。
なんなんだ、この女は。底が知れない。気持ち悪い。こんな女、いるはずがない。
琵琶坂は感情のまま、少女を睨み付ける。少女はいつも通り、ただ微笑んでいた。
表層トラウマ:恋愛至上主義(ラブ・イズ・ブラインド)
緩和条件:恋する相手を見つける(緩和済み)
彼女の心に踏み込みますか?