琵琶主♀。「#恋する琵琶坂永至」というタグに滾ったので私も書いてみました。
琵琶坂先輩にめちゃくちゃ恋している部長ちゃんのお話です。
後編です。前編はこちら→「CLEAR(前編)」
彼女の心の奥に、本当に踏み込みますか?
思えば、彼女のことは苦手だった。
春の日差しを思い出させるような、朗らかな笑み。風にさざめく花のように、賑やかな声。笑顔を絶やさず、人を疑わず、敵を憎まず、絶望を知らない。
不満と怨嗟をわめく人間から堕ちてくるこの世界で、彼女は間違いなく異質で、異様な存在だった。
僕には決して理解できないもの。
……だからたぶん、彼女のことは、嫌いだった。
***
「話がある。来い」
そう琵琶坂が部長に言ったとき、部長は目をまん丸にして、驚いていた。
まさか琵琶坂から話しかけてくるとは思わなかったのだろう。完全に虚を突かれて、口を半開きにしながら琵琶坂を見上げているその姿は、なんとも間抜けだった。
返事が無いので、琵琶坂は部長をひと睨みしてから、その細い手首を掴み、ぐいと引き上げて立たせた。
うわ、だの、なんですか、だのと言っていたが、無視してそのまま彼女を引きずるように連れて行く。
到着した場所は、あの日、部長が「先輩に私は殺せない」とのたまった、あの校舎裏だ。
ようやく手を離し、琵琶坂は部長に向き直る。部長はまだ状況が把握出来ていないようで、きょろきょろと辺りを見渡してから、琵琶坂を見つめ返した。
そして、またいつも通り、柔らかく開いた花弁のように笑う。
「突然どうしたんですか~? ……あっ! 先輩、告白なら屋上とかもっと雰囲気のあるところで是非」
「お前は何なんだ」
その笑顔を、明るい声を遮って、そう言った。春の日差しのような彼女の笑みとは正反対の、凍てついた琵琶坂の視線。
しかしその内心は、苛立ちと、腹の底から這い上がるような不快感で煮えたぎっていた。
「……言ってる意味が、わかりません。私は帰宅部の部長で」
「そんなことはわかってる! しらを切りやがって、いい加減にしろ!」
部長の声が、その今にも焼け、焦げ付きそうな神経を逆なでする。わかっているくせに、誤魔化す気か。琵琶坂は思わず声を荒げた。
すると部長は、一瞬言葉を切って、じっと琵琶坂を見上げた。何かを考え込んでいるようにも見えるし、戸惑っているようにも見える。
そして一瞬の沈黙の後、その小さな唇が、淡く開いた。
「先輩。私は先輩が行くなと言えば行きませんし、答えろといえば答えます。だって先輩が好きですからね。好きな人の願いは叶えたいんです。だから、先輩が私に聞きたいこと、ちゃんと教えてくれませんか」
ね、と。言い聞かせるように、少女はまた柔らかく微笑みかける。
二人の間に再び沈黙が落ちる。そして琵琶坂が軽く舌打ちし、口を開いた。
「…………調べさせてもらった。現実でのお前のことを」
「ああ、なるほど。アリアが協力しちゃったのかな」
琵琶坂の言葉に、部長は妙に納得したような様子だった。半ば独り言のような部長の言葉には、琵琶坂は答えない。アリアが協力していようがどうしていようが、今は問題では無いのだ。
問題はそこではなく、現実での部長のことだ。
「お前は――」
琵琶坂は言う。しかし、その言葉を部長自身が遮った。
「はい。現実の私はもうすぐ死にます。たぶん、もう何ヶ月も生きられたら良い方でしょう。お医者さんもそう言ってました」
そして、琵琶坂が知ったその事実を、あっさりと認めて見せる。
……帰宅部部長である彼女は、もうすぐ死ぬ。
生まれつき身体が弱く、加えて心臓にも病を抱えているらしい。日常生活も通学もままならない状態で、現在も入院中。現代医学では根治不可能で、薬による延命治療を施すしかない段階にある。
命に関わることなので、μが情報にロックをかけているのか。単に病院のセキュリティが厳しいのか。さすがに病名や詳しい病状までは、メビウスから調べることはできなかった。
「僕がお前に追いつけない、というのは」
「先輩が……うーん。例えばですよ? 例えば凄い殺し屋さんだとしても、病院の私の個室まで乗り込んで、殺すのは難しいでしょう? それに何より、先輩が私を殺すより……病気が私を殺す方がきっと早いから」
追いつけない、と。
琵琶坂永至が生きる速度より、彼女が生きる速度の方が、圧倒的に早い。そして、生き終えるのも。
何かの奇跡でも無い限り、確実に彼女は琵琶坂を置いていくだろう。そして琵琶坂は追いつけない。そう言う意味だった。
琵琶坂はひとつひとつ、取り返しのつかない彼女の秘密を暴いていく。
彼女が隠していたこと。現実での彼女。それらを答え合わせしていくように。
人の秘密を明かし、突きつけてやるのは嫌いでは無い。むしろ好きだ。職業柄必要でもあるし、情報を持っているというアドバンテージを示し、相手を服従させる有効な手段でもある。
けれど今は、不思議と全く楽しいとは思わなかった。代わりに、腹の底にわだかまる違和感と不快感だけが、募っていく。
「じゃあなぜ帰ろうとする。お前は帰っても帰らなくても、どうせ……」
死ぬのに。
彼女には、現実へ帰っても、より苦しい病苦が待っているだけだ。メビウスでは感じることの無い病気やその治療による痛み、苦しみも、帰ってしまえばまた彼女を苛むだろう。それならまだ、この世界で安穏と暮らしているほうがいいはずだ。
守田鳴子が言っていたような、「死ぬのは嫌だから帰りたい」という理由は、部長に限っては理由にならない。
帰っても、帰らなくても、彼女は死ぬ。
「μは私の願いを叶えてくれたし、それに私は満足しました。でも、最後のお願いは、メビウスではどうしても叶わないから、帰らないと」
しかし部長は微笑んだまま、まだ帰るのだと言い切った。その表情にも声にも、揺らぎも迷いも感じられない。
そんなこと、あるはずがない。琵琶坂は吐き捨てた。
「願い? いったいあのポンコツがどんな願いを叶えたって? さすがに寿命までは延ばせないんだろう」
「いえ。高校生になりたかったんです。たぶんなる前に死んじゃうだろうって言われてたから。それは来たときに叶えてもらったし……だから、あとは最後の願いを叶えるだけです」
目の前の少女が高校生未満だったことには少々驚いたが、琵琶坂は何も言わなかった。妙に大人びているのは、通常とはあまりにかけ離れた人生を生きてきたせいか。
では、少女の最期の願いは。
「……お父さんとお母さんに、死ぬ前にありがとうって。言わないといけませんから」
感謝を伝えること。生まれたときからの病苦を強いた両親に、それでも生んでくれてありがとう、幸せだったと伝えたいのだと、少女は言った。
いよいよ、苛立ちが募りに募ってきた。
気持ち悪い。信じられない。目の前に化け物がいるかのようにさえ錯覚する。
「馬鹿げてる。本当に馬鹿か、お前は」
「ダメですよー先輩。先輩ってば、私のことすぐ馬鹿女、馬鹿女って言いますけど、馬鹿って言ったほうが馬鹿なんですからね」
「うるさい黙れ!」
琵琶坂は声を張り上げ部長を怒鳴りつけた。部長は琵琶坂が言った通り黙って、そしてまた微笑んだ。
その顔が許せない。理解できない。聖女でも気取っているつもりなのか。
「気持ち悪いんだよ、お前は!」
理解が出来なさすぎる。琵琶坂から一番遠いところにいる少女。純粋で、いっそ透明なほどだ。
どんなに手ひどく罵倒されても、拒絶されても、どんな絶望的な道の前に立たされても、一度だって弱音を吐いたことはない。
帰宅部の部長として過ごすときも、こうやって、一人の少女として、琵琶坂の前に立つときもだ。
『明日また頑張ろう』
『わかりました、今日は一度諦めます! 先輩、おやすみなさい。また明日!』
そして言葉通りに、次の日懲りずにやって来る。
彼女が口癖のように繰り返す『明日』は、もうすぐ彼女の元にはやって来なくなるのに。
そんな人間を琵琶坂は信じない。認めない。いるとすれば、何か目的があって「そう見せている」だけで、裏で何か企んでいるに違いない。
気に入られて利益を得たい。信じさせて利用したい、陥れたい。目的はなんだっていい。
人は、人を騙すために笑うものだ。琵琶坂がそうであるように!
少なくとも琵琶坂の世界では、そういうものだった。だから部長もそうだろうと思って、部長に探りを入れたのだ。
しかし、この女はまるで違った。
確かに琵琶坂に告白してくるし、好かれたいとは思っているだろう。けれど、そこに媚びたものは一切感じられない。
本当に、心の底から、この少女は琵琶坂に「恋をしているだけ」なのだ。
「……はい。ごめんなさい。でも、私は先輩が好きになってしまったんです。それだけで本当に幸せです。先輩がそれで迷惑なのも、ちゃんと分かってます。ごめんなさい。でもあと少しだけ、許してください」
彼女は琵琶坂には見返りを求めない。
いや、求めたって無意味なのだ。彼女に残された時間はもう、終わりかけているのだから。
何を与えても、何を求められても、じきに彼女の命と共になくなってしまう。
自分に好意を向けてくる女は利用価値がある。それなのに彼女を利用しなかった、出来なかったのは、つまりはそういうことなのだ。
「先輩。私ね、実は高校生になるのと、もう一つ願い事があったんです。それを叶えてくれたのは先輩なんですよ」
琵琶坂が怒鳴った後に黙り込むと、部長がまた、笑顔のままそう言った。
琵琶坂は、その言葉に眉を寄せた。
何も求めなかったように見えた少女は、しかし、すでに求めて得たあとなのだと言う。
大好きです、と少女は変わらない声で琵琶坂にまた告白してみせた。
「琵琶坂先輩は、きっと悪い人なんですよね。本当に地獄っていう場所があるのなら、きっといつか、先輩は地獄に堕ちると思います」
それは、琵琶坂の過去や現実での状態について知っている、という意味にも取れたし、単に彼女の推測にも取れた。
部長は続ける。
「でも、やっぱり私は先輩が好きです。この世界で一番、大好きです。私に人を好きになる喜びをくれたのは、琵琶坂先輩なんです」
あなたが初恋だった。少女はそう言う。甘さでいっぱいの眼差しを琵琶坂に向け、幸せそうに笑う。
恋を、出来るはずも無かった恋を教えてくれてありがとう。と。
部長は一歩、琵琶坂に近づいた。
「だから先輩がいつか――いつか、私に追いついたときには」
彼女に追いつくとき。そのときは、人生の最期のときだ。
「先輩の地獄が少しでも軽くなるように、一生懸命、神様にお願いしますね。……大丈夫。私は先輩と違って、とっても良い子だったので。きっと聞いて貰えます」
えへん、と言うように、部長は少しだけ胸を反らして得意げにしてみせる。そしてまた、とても大人びた瞳で琵琶坂を見上げた。
琵琶坂はもう一度、何か言ってやろうと思っていた。この一度も泣かなかった少女を泣かせてやるくらい、酷い言葉を浴びせてやろうとさえ考えていた。
けれど、一歩も動けないし、言葉も出てこない。彼女のような人間を止める術を、琵琶坂は知らない。
部長がゆっくりと、琵琶坂の正面で、つま先立ちした。
柔らかく小さな唇が重なる感触を感じながら、琵琶坂は、そこに立ち尽くすことしか出来ない。
……ねえ先輩、大好きです。愛しています。
その言葉に応える術も、そのときは、わからなかった。
深層トラウマ:諦観(ノー・モア・クライ)
秘密:生まれつきの病気により入院中。根治の見込みなし。余命残り数か月。
本性:恋と高校生活に憧れる、中学生。
実年齢:14歳
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