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命の所有権(ソーン×Lucid)

Posted in Caligula-カリギュラ-, and テキスト

ソン主(ソンルシ)。
新人楽士にソーンさんが釘を刺しに来たようです。

「君の目的は現実を壊すことなんだろう」
 自分と対峙したその少年は、彼女の目をまっすぐ見てそう問いかけた。
 彼のその淡い色の瞳は意志に満ちており、そのあまりの熱さに狂気の色すら含んでいるように感じた。
 そして見つめ返す彼女の瞳もまた、逢魔が時の陽を映したような異様な紅色だった。
「だったら、君と俺の目的は同じだ」
 思えば、手を差し伸べたのは彼のほうからだった。
「……そう。それがあなたの結論なら、歓迎するわ」
 そう答えて握り返した手のひらは、氷のように冷たかった。

* * *

「そういえば、理由を聞いていなかったわ」
 はらりと視界を遮った髪をひとふさ耳にかけなおす。
 そんな仕草も絵になるような美少女が、ぽつんと椅子に座っていた。
「なんの?」
 そこに淹れたての紅茶を差し出しつつ問い返したのは、黒を基調とした服に身を包んだ少年だ。
 Lucid。「光」を意味する名前を頂いたこの少年は、少女……ソーンの部下と言える存在だった。
 ソーン率いるオスティナートの楽士は、メビウスの秩序を守るために構成された、この世界で最も重要な組織だ。
 そのなかで彼は一番の新参になるのだが、その自覚があるとはまだお世辞にも言えない。
 つまるところ、今はリーダーであるソーンがこまめに様子をうかがいに来る必要があるのだった。
「あなたが現実を壊したいと願う理由よ」
 紅茶の水面に映る自分と目が合って、すぐに視線を逸らす。
 Lucidは一見無表情のように思えた。だがソーンには彼の変化がかろうじて読み取れた。
 ほんの少し、痛みにもならないような小さな違和感に耐えるような、そんな間があった。
「言いたくないなら構わないけれど」
「いいや。問題ないよ」
 そういうと彼はそっと帽子をとって見せた。
 少し乱れた髪を適当に直すと、Lucidの瞳にあの日のような熱がほんのりこもったような気がした。
「愛する人を、振り向かせるためだ」
 それはとてもシンプルな答えだった。
 だから、当然のようにその場に短くない沈黙が下りる。
 その間も、Lucidはただただ優しいまなざしでソーンを見つめ続けていた。
「繋がらないわ。どうして現実が壊れると、あなたの愛する人とやらが振り向いてくれるのかしら」
 指をかけたままのカップは、まるでソーサーに張り付いているかのように動かない。
 ゆっくりと冷めていく紅茶のぬくもりを感じながら、ソーンは彼の言葉を待った。
「あの人は現実を心から愛している。現実での成功。未来。出会い。すべてに希望を持っていて、たとえ挫折したとしても決して憎んだりはしない」
 つまり、と黒づくめの男は続けた。
「俺は現実に嫉妬しているんだ。あの人を捕まえてやまない現実という世界を」
 それだけで痛いほど理解した。彼が『あの人』とやらを心から愛し、敬い、そして憎らしく思っていることを。
 ほんの少し心が動いたのは、自分と彼が似ていると感じた共感なのか。それとも全く別の感情だったのだろうか。
「だからソーン。俺の命は好きに使ってもらって構わない。君の目的は俺の目的だ。君なら俺よりずっとうまく現実を壊せるだろうから」
 信頼のにじむ声だった。まだ出会って間もないというのに、ずいぶんな買いかぶりだと思った。
 口当たりの良い言葉をもらったはずなのに、くすぶるような不快感がぬぐえない。
 こちらをまっすぐ見ているくせに、まるでソーンを透過してさらに向こう側の景色を見ているような視線が腹立たしかった。
「……ひとつ勘違いをしているようだから訂正するわ」
 また零れ落ちてきた髪を掬い上げ、整える。
 持ち上げようとしたまま止まっていた手をカップからほどき、そのままLucidに向かって伸ばした。
 細く透き通るように白い指が音もなく彼のマフラーにかかり、乱暴に引き寄せる。
「あなたの命がまだあなたのものだと思っていたなら、それは傲慢」
 吐息がかかるほど近くなったその端正な顔に向かって、冷たく言い放つ。
 Lucidはひどく驚いた顔をしていた。
 それがなんとも間抜けで、ほんのすこしだけ胸がすく思いがした。
「言われなくともうまく使ってあげましょう」
 たとえ擦り切れてもボロボロになっても、解放などないことをいつかこの男は知るだろう。
 そしていつか、あの日みずから手を差し伸べたことを後悔するのだ。
 仲間たちを裏切ったことを嘆き、愛する人とやらの居場所である現実も壊しつくしたあとで、自分の手に残ったものは、悪魔との契約だけだったと思い知るのだ。
 そのときはその顔を真っ先に、そして一番近くで眺めてみたいと思った。