笙悟さんと部長のにゃーんな話。
「蒔苗。このあとちょっと話したいことがあるんだが」
「わかった。どこか座れる場所にいく?」
「ああ」
そんなやり取りをしたのは今日の昼休みのことだった。
帰宅部の活動はこの頃軌道に乗っているといってよかった。
アリアと部長の蒔苗実理の入部を機に、今まで後手に回らざるを得なかった事柄がゆっくりと、しかし確実に前に進んでいる。
ここで気を抜かず、できるだけ連絡を密にして足場を固めるべきだ。それは新旧の部長である笙悟と実理双方の意見だった。
笙悟は最近、この時間を気に入っている自分がいることにもう気づいていた。
最初こそとっつきにくい態度で部員たちを困らせていた実理も、最近はだんだんと打ち解け始めている。
なんだかんだ、その努力と変化を一番身近で見てきたのが笙悟だった。
たがいに心の深い部分には踏み込まないほうがいい。そんなことを嘯いていたころの自分からは想像もつかない。
「じゃあ、部室でいい?」
「ああ」
そういって足早に向かった部室とは、もう使われなくなって久しい音楽準備室のことだ。
扉を開け、お気に入りのソファをみやると、そこにはすでに先客が座っていた。
「あ。笙悟先輩に部長」
「おつかれさまです」
1年女子の美笛と鈴奈だった。同学年である二人はよく一緒にいることが多いが、今日も一緒に昼食をとっているようだった。
「あ、部長、この間はありがとうございました!」
他愛ない世間話を2~3挟んだ後、美笛がふと実理に声をかける。
「いや、美笛の悩みが解決したならよかった」
話を振られたほうもなんの話題かすぐに察したらしく、うすく微笑みを浮かべて言葉を返す。
美笛はすこし照れたように微笑み返すと、もういちど「ありがとうございます」と言って見せる。
なんの話題かわからないが、こういうことは最近よくあるのだ。
実理は笙悟と、そして帰宅部とのやり取りを通じてだんだんと柔らかい性格になってきている。
それに合わせて、こうして笙悟の知らないところでも輪を広げ、最近は帰宅部以外の生徒との交流も頻繁らしいと聞いていた。
こういう時、ほんのすこし誇らしい気持ちになるのは傲慢だろうか。
「ちょっとした話し合いのつもりだったんだが……昼飯食べながらする話じゃないし、場所を変えるか」
「わかった」
今後の方針決め、などという小難しい話をするのに楽しい昼食を邪魔するのは悪い。
そんな考えから、ふたりは部室を後にすることにした。
* * *
そうして次にやってきたのは中庭だった……が、ここでも別の人間とばったり出くわすこととなった。
「アンタか。珍しいなこんな場所に」
2年生でやはり帰宅部の、峯沢維弦だ。近寄りがたい美形の青年で、実理の次に活動外で何をしているかわからないという印象があった。
だが、こちらも最近だんだんと雰囲気が柔和になったと思う。そしてそれはきっと笙悟だけの感想ではないだろうとも。
「部室で笙悟と話し合おうと思ったんだけど、美笛たちがお昼してたから。維弦もここでお昼?」
「ああ。ここはあまり人が来ないし静かだからな」
笙悟が声をかける前に実理が進んで話しかける。
どうやら彼が変わった理由にも、実理が一枚かんでいるようだった。
「そうか。あ、お弁当おいしそうだね」
「近くの店に売っていた」
そういう維弦の手には、よくあるチェーン店で売っているような、小さめの弁当がちょこんと乗っている。
それが落ち着いた美青年という印象の維弦とはちぐはぐで、なんというか、ほほえましいという言葉がふと浮かんだ。
だが、やはりここも話し合いには使えそうにない。
「……別のとこ、いくか」
気まずそうに頭を掻いてそういうと、実理がまたまん丸な目をこちらに向けて小さくうなづいた。
* * *
おかしい。
そう思い始めたのはそんなことが3度も4度も繰り返されたあとだった。
結論として、話し合いの場所はいまだに見つかっていない。
なぜなら、行く先々で帰宅部の連中や実理の知り合いと出くわしてしまうのだ。
実理はそのたびに機嫌よく世間話などしていたが、笙悟はだんだんと戸惑いのほうが深くなっていくのを感じていた。
(……いくらなんでも、成長しすぎじゃないか?)
確かに自分は実理が周りの心を汲まなさすぎることを気に病んではいた。
これから一緒に活動していくうえで、せめて帰宅部とくらい折り合いをよくしなければ、部長としてもやりにくいのではと感じて、それでいろいろ世話を焼いたりはしていた。
そして今、実理が朗らかに周りの仲間と過ごしているのはとてもいいことのはずだ。それは間違いないのだ。
なら、どうして今自分はこんなにももやもやしているんだろうか。
「笙悟どうしたの。眉間のしわが通常時の2倍濃くなってるよ」
「あのなあ……」
ついには、思考に耽っているところにきょとんとした顔で水を差された。
お前のことを考えているんだろうが、と言おうとして、それを慌てて飲み込む。
とにかく今は、落ち着いて二人きりになれる場所を探さなくてはいけなかった。
「あら部長。それに笙悟。どうしたのこんなところで」
そして切り替えた瞬間、背後から鈴のなるような声で話しかけられる。
振り返ると、そこには長い髪を優雅に流した同級生……柏木琴乃が立っていた。
手にはやはり弁当箱が乗っていたが、どうやらもう昼食は終わっているようだ。
目に付く時計の文字盤を見ると、もうお昼休みも終わりかけだということに気づいた。
「はあ……」
思わず、ため息が漏れる。
「む。人の顔見るなりため息とは失礼ね」
当然だが、琴乃が気を悪くしたように腰に手を当て眉根を寄せた。
そんな少しあざとい仕草も、学園でも話題の美人がやると本当にさまになるのだ。
「お前のことじゃねえよ……」
「?」
言葉足らずにフォローしたが、残ったのは微妙な空気だけだった。
そこに、思わぬ爆弾が投下された。
「じゃあ笙悟、笙悟の家にいこう」
は? と声が裏返った。
え? と琴乃の声も一緒にひっくり返るが、実理は柔らかく微笑んで続ける。
「だって、まだ話できてないし。笙悟の家ならゆっくり話ができるだろう?」
近頃表情が豊かになったせいで、実理の雰囲気は初めて出会った時よりずいぶん幼い印象になった。
最初こそロボットを連想させるようだったあのまんまるで透き通った瞳も、今では好奇心に輝く少年のそれにしか見えない。
そのあまりの無邪気さに反応が鈍った。
「あら、そういうこと? ごめんなさいね私ったら」
「は? いや、これは」
「お構いなくよ。私は授業があるから戻るわね、それじゃ」
そういうと、琴乃は悠々と手を振って歩いて行ってしまう。
なんだか盛大に誤解を与えたような気がするが、弁解するにはもうその背中は遠すぎた。
油が刺されていない機械のように、ぎぎぎ、と首を実理のほうへ向ける。
「じゃ、行こう笙悟」
そこにはやはり、無邪気に笑う帰宅部の部長の顔があった。
どきりと心臓がひときわ大きく鼓動を打つ。
今度は彼の背中を見つめながら、落ち着いた心の中にふと疑問が浮かび上がった。
(そういえば、別に二人きりじゃないといけない理由はなかったような……)
また思案に耽ってしまった笙悟に、実理が不思議そうな顔で振り向く。
「笙悟? また考え事?」
そのとき、その疑問をそのまま話題にしてしまってもよかった。
だが、なんとなく笙悟にはそれができなかった。
「いや、なんでもねえよ。俺の家だろ、いくぞ」
言ってしまったら、せっかく二人きりになれるチャンスを棒に振るような気がしたからだ。
* * *
「どうしたんですか琴乃先輩。なんかすごいほほえましそうな顔してますけど」
校舎に戻って教室へ向かっていると、ばったり鳴子に出くわした。
お互いに昼食を終えたわけだが、このメビウスでは授業をサボることなど誰でも気軽にやってしまう。
別に部員同士が話に花を咲かせても全く問題はない。
「大したことじゃないわよ。ちょっとかわいいものをみちゃったの」
「かわいいもの?」
オレンジ色の眼鏡の向こうから、小動物のそれを思わせる瞳が好奇心に揺れた。
「なんていうか、そう……あれよ、子猫を隠す場所を探してるんだけど見つからなくて、首をくわまえたままウロウロしてる親猫……みたいな?」
「???」
鳴子にはなんのことやらわかるまいとは思ったが、この「いいものをみてしまった」気持ちは口に出さずにはいられなかった。
こういうものは、自分のような偶然居合わせた人間が一番得をするものだと思う。
幸せとか温かさとかは、当事者よりも第三者のほうがよく知覚できるものだ。
でも、と琴乃はその感覚に浸りながら苦笑する。
(最終的には親猫じゃなくて、ちゃんと恋人になりなさいね)