2011年発行。ジタン×クジャ短編集。
崩落のキス
願うから届けと叫んだ。
祈るから叶えろと叫んだ。
理由なんてなかった。いや、理由はあったのかも知れない。しかしそれは、その確かな願いの前では、あまりにどうでもいいことだっただけだ。
「死ぬな、死ぬなよ」
こんなところで。こんな暗く狭く、そしてさびしい場所で、独りで死ぬなんてこと、しないでくれ。
ガラガラと、背中から地面から、崩落の音が迫っている。襲ってくる木の根を避けながら、腕の中で微かに息をするクジャを抱えながら、ジタンはただ、祈るように呟いていた。
テラの楔を失ったイーファの樹が、暴走を始めていた。頭の中で響くクジャの声を振り切って、ジタンはイーファの樹へ飛び込んだのだ。
クジャは、大して時間をかけず見つけることが出来た。そればかりは幸運という他ない。しかし、クジャの元へ辿り着いたときには、彼の体力も気力も見るからに限界に近かった。
『僕はもう、世界にとって要らない存在だ』。
そう呟いて、クジャが目を閉じた後。すぐさま襲ってきた根からは、かろうじて身を守ることが出来た。普通の人間だったら、絶対にオダブツだっただろう。このときばかりは、超人じみたジェノムの身体能力に感謝する。
しかしそれで終わるほど、この暴走も甘くは無いらしい。
「しつこいな! 根っこのくせに!」
苛立ちを隠そうともせず、ジタンはうねる根を足場にし、時折危なげに避け、ダガーを片手に切り落とす。両手を使えればもっと楽なのだろうが、左手はぐったりとしたままのクジャを抱きかかえていた。
こいつを離すわけにはいかない。無論、この攻撃に晒すことだって出来ない。
…それでは、助からない。
「どけぇっ!」
自分で思い浮かべたその言葉を、振り払うかのように。ジタンはがむしゃらに叫び、ダガーを振るう。一斉に向かってきていた根が、その一閃で斬り飛ばされた。そのぶん、一瞬視界が開ける。今しかないと断ずるには十分だった。左手に抱えた重さを、しっかりと抱き直す。そして、ジタンはその先へと飛び込んでいく。
その先には樹のうろがあった。根はまだ這っていない、僅かな空間。
「(あそこまで行けば!)」
利き足に力を込めて、地面を蹴ろうとしたその時だった。固く、何かが巻き付くような感覚が左足を捕らえる。
しまった。
さっと血の気が引いた。無意識に、クジャを抱えた左腕に力がこもる。次に来る衝撃が何かは分かったが、それでもコイツは離すまいと思った。
――どうして?
誰かの声が聞こえた気がした。それは、周りで響く轟音からしてみれば、不自然なくらいはっきりとしている。
そして、衝撃が来た。
「っあ…!」
反射的に身体が震えた。それから、骨が折れる嫌な音がした。まるで小鳥の羽を手折るような、身体の中から響く、呆気ない音。
激痛にジタンの身体はゆっくりと傾ぎ、しかし、それでも目指した場所へと倒れていった。
薄れていく意識の中で、さっきの「どうして」の続きが聞こえる。それは、自分自身の声だ。
…どうして自分は、そこまでしてクジャを守ろうとするのだろう。自分の仲間を傷つけ、自分の世界を傷つけ、故郷すら破壊し尽くしたこの男を。
どうして自分は助けようと?
***
目を覚ましたのは、数分後か、それとも数秒後か。そんなことすらわからない。気が付くと、ジタンはぼやける視界に、薄暗い樹の内部を映していた。どうにか、目的の場所には飛び込めたらしい。
「っつ…!」
目を覚ますのと同時に、激しい痛みに目を見開く。恐る恐る痛みの原因を見てみると、左足は本来曲がってはならない方向へと曲がっていた。
ぞわ、と背中を悪寒が走る。見なきゃ良かった。心の底からそう思って、すぐさま目をそらした。
そして逸らした視線の先には…絹糸のような銀髪が散らばっている。
クジャ。ジタンが意識を手放した時に、抱えていた腕の力も抜けてしまったのか。相当強い力で叩き付けられただろうに、彼が目を覚ます様子はなかった。それだけ深く眠っているのか。
それとも、もう。
「…そんなの、駄目だ…」
ジタンは呟く。そして自らの拳を地面に叩き付け、草を掴みながら、自分の身体を前へ引きずっていく。
前へ、前へ、クジャの方へ。
樹の根に力任せに折られた左足は、熱と痛みでもう感覚が無い。右足の力と腕の力で引きずっても、何か余計なものがくっついているみたいで不快だった。
けれどそれでも、ジタンは前へ進まなければならなかった。クジャを、助けなければならなかった。
どうして? どうして助けなければならないのか。
それは、二人が同じ、テラの者だからなのか。
イーファの樹へ飛び込む前の、スタイナーの問いかけが蘇る。
「ちがう」
ジタンは再び呟いた。そして、痛みに耐えるために歯を食いしばり、またボロボロの身体を引きずる。
ちがう、そうじゃない。それだけじゃないんだ。
オレがテラの人間だから。クジャもテラの人間だから。オレとアイツは近いから。それだけで、助けたいと思った訳じゃないんだ。
「生きていて欲しいんだ…!」
ただただ、生きていて欲しい。ただそれだけなんだ。
ジタンの掌が、やっとクジャの肩を掴む。そしてそのまま、クジャに覆い被さるように、血の気の失せた彼の顔を見た。
ジタンの身体は血と汗と土にまみれ、金髪は輝きを失い、そして、青い瞳は涙で濡れていた。クジャと同じように。
ぴくりとも動かないクジャの体を、ジタンの方へと向かせる。
…願うから届けと叫んだ。祈るから叶えろと叫んだ。理由なんてなかった。いや、理由はあったのかも知れない。しかしそれは、その確かな願いの前では、あまりにどうでもいいことだっただけだ。
「死ぬな」
生きてくれ。オレは、お前に、生きていて欲しいんだ。
こんな暗く狭く、そしてさびしい場所で、独りで死ぬなんてこと、しないでくれ。
クジャに覆い被さったまま、ジタンは涙声のまま、言う。
「オレの、分を」
オレの命の分を。
「奪ってでも構わないから」
…崩落の音が聞こえる。
星の記憶を堰き止めていた樹が、崩落していく。樹の根は全てを蹂躙し、壊し、沈めていく。
ガラガラと崩れ落ちる地面。壊れていく世界の破片。
その中で、願うように祈るように、そのキスは、彼の唇に落ちた。
***
ふ、と。目を開けた。
意識が覚醒すると同時に、頬には心地よい風の感触が。背中には、柔らかな芝生の感触があった。ジタンは上体を起こすと、思いっきり身体を伸ばす。
「…あー…よくねた」
ふう、と無意識に息を吐く。同時に、薄い笑みが漏れた。
世界は、今日も壊れず回っている。そして、自分はこうやって、それを愛でて生きていられる。それを、脳天気に「良かったなぁ」なんて今更思うのは、きっとあの時の夢を見たからだろう。
崩落の中で交わした、キス。
「何ニヤニヤしてるのさ」
不意に上から声が掛かった。ジタンは首をちょっと上に向けて、その声の主に笑いかける。
「んー? 今日も平和だなと思って」
あからさまな溜息が、上から降ってきた。
「何を言うかと思えば…まったく。水を汲みに行くって言ったきり帰ってこないから、迎えに来たのに」
「もしかして、心配して迎えに来てくれた?」
上目遣いで、嬉しさを堪えきれずにそう尋ねた。少し間があって、次にはふわりと優しく上から掌が下りてくる。
クジャが、困ったようにジタンを見下ろしていた。
「まあ、そういうことになるのかな」
そっと、掌が額に添えられる。温かい。そして相変わらず細く白く、女性の手のようになめらかだ。
さんきゅ、とジタンは軽い礼を返した。そして、何の前触れもなく口付ける。
重ねるだけのキス。あの時、崩落の中で交わしたような、どこまでも純粋なキスだった。
「…どうしたの」
「ん? いや、ちょっと思い出してたんだ。昔のことを」
ジタンはクジャの手をどけて、ひょいと立ち上がる。
「どうしてあの時、お前は助かったんだろうって」
そして、クジャの目を見て笑った。今も息をして、クジャはそこで生きている。それが無性に、嬉しかった。
イーファの樹が暴走してから、そして二人が生還してから、既に半年以上が過ぎていた。
二十四年と定められていたクジャの寿命だが、もうじきそれも越えてしまう気がする。それくらい、クジャの体調は奇跡的に回復していた。今や、日常生活に支障がないどころか、魔法だって以前のように使えるくらいに回復しているのだ。
理由は分からない。奇跡、と言う以外にはない。
しかし、ジタンの問いに、クジャは驚いたような顔をしていた。
「…どうしてって、それは」
…願うから届けと叫んだ声が、届いたからかも知れないし。
祈るから叶えろと叫んだ声が、届いたからかも知れないし。
あるいは、オレの分を奪ってでも、と言った君が、本当にそうしてくれたのかもしれない。
けれど、どれにしたって結果は同じだ。
「君が助けてくれたからだよ」
少し、ためらうような視線をジタンに向けて、クジャは言った。
FIN.