自宅主人公・日暮白夜。
鍵介×主人公。エンディング直前、終わっていくメビウスでの話。
* * * * *
世界が終わっていくさまを見ることになるなんて、思ってもみなかった。
世界がいつか終わるとしても、それは遥か未来のことで、鍵介にも白夜にも全く関係のないことのはずだった。「明日世界が終わったら」は、荒唐無稽な妄想でしかなく。それこそ、バーチャドールの少女が歌い上げる流行歌に出てくるような、陳腐なフレーズ……であるべきだった。
もうすぐ、メビウスという名前の世界は終わるらしい。
「……『泣かなくていいんだよ。俺たちこんな結末だったけど、君が思ってるほど悲しくないから』」
夕暮れの部室で、白夜がぽつりと呟いた。
思い出したように紙がこすれ、めくれる音がする。それを、鍵介が横目に見ていた。白夜の手には、真っ白な表紙の分厚い本が乗っている。それをめくりながら、白夜がぽつり、ぽつりと小さな声で、内容を読み上げているのだった。
その物語も、終わっていく世界と人々を描いた物語だった。本に出てくる男はそう言って、両手いっぱいに「恋人だったもの」を抱え、笑顔で海に溶けて消えていく。人がいくら苦しんで泣いて死んでいっても、世界には全く関係はなく、美しい景色は美しいまま、ただ終わっていく。そんな内容の、美しい終焉の物語だった。
現実であれば、あまりに悲惨な。だが空想であれば、よくある悲劇的な物語。
「そういうの、感傷的というんですかね。なんだかすっきりしません」
鍵介はため息交じりにそう言う。率直な感想だった。
だが、白夜は相変わらず本から目を離さず、じっとページを見つめたまま動かない。よっぽど話に入り込んでいるようだ。鍵介からしてみれば、なんだか無視されたようで面白くない。だから更に言葉を重ねる。
「二人ともこれから死ぬのに、『悲しくない』とか、負け惜しみみたいなもんじゃないですか。そんなの――」
「……違うよ」
唐突に、白夜が鍵介の言葉を遮り、顔を上げた。だからと言ってその目は鍵介を見ているわけではなく、未だに物語の中の風景を思い描いているのだろう。その絵に描いたような悲劇的な物語に――どこか、危うげな憧れのこもった眼差しを向けて。
「世界が終わらなければ、始まらない恋もある。絶対に報われないように出来てる世界だってある、ってこと」
灰色の瞳が、まっすぐに鍵介を見つめている。その目は冷めていて、どこか遠くを見ているように思えた。白夜がまた鍵介から視線を逸らし、その指が本のページをめくる。ぱらぱら、ぱらぱらと。
その横顔に、「鍵介にはわからないだろうけれど」と、突き放されているような気がした。それはもしかすると、これから勝てるかどうかわからない戦いへ赴く緊張から来る言葉だったのかも知れない。
「どんなに納得できなくても。諦めなきゃいけないことは、あるよ」
例えそれが世界の終わりでも、愛する人との永遠の別れでも。
ばらばら。ばらばらと。見えないところで、世界は刻一刻と崩れ落ちる。避けられない別れは必ずやって来る。
世界がひっくり返って。大事なものが全て崩れ落ちて、初めて大切だったと、恋に気付く。その時になって大切だったと気付いても遅い。遅いことを嘆き、でも、諦めなければならない。
でも、そんなのは。
「前から思ってたんですけど」
「…………?」
白夜の読んでいる本に影が差す。白夜が顔をあげると、鍵介が険しい顔をして目の前に立っていた。そして、白夜の持っている本を取り上げると、息がかかるほど近くで言う。
「僕、先輩のそういうとこ、嫌いですよ」
そのまま、白夜の反応も見ずに口付けた。ばさり、と手から本を落とし、そのまま空いた手で頭の後ろを押さえて口づけを深くする。
「っ……ん、」
うめき声とも、吐息ともつかないものを漏らしながら、白夜は苦しげに眉を寄せている。構わず、そのまま舌を唇の間に割り入れ、舌を絡めた。白夜の華奢な身体を抱き寄せ、決して逃げられないように抱えながら、角度を変えて口内を犯す。完全に不意をつかれたらしく、白夜はろくな抵抗もせずにそれを受け入れた。
「鍵介っ……」
どれくらいそうやって口付けていただろうか。ようやく解放された白夜が、抗議めいた表情で鍵介を睨み付ける。しかし、鍵介はそれくらい予想していた。うろたえる様子も後悔した様子も全くなく、眉一つ動かすことはない。
そして、そのまま白夜の肩を強く押し、覆いかぶさってソファに押し倒した。ぎしっ、と、スプリングの利いたソファが微かな悲鳴を上げ、揺れる。そうして鍵介を見上げる白夜の瞳は――少しだけ、怖れをはらんでいるように見えた。
「怖いですか?」
それを承知の上で、尋ねる。白夜は怖れと、戸惑いの入り混じった表情のままだ。
「僕が何考えてるかわからなくて? それとも、僕が怒ってるからですか?」
「………………」
白夜は答えない。それに、鍵介は苛立ってしまう。
「嘘、つかないでくださいよ」
もう諦めるのなんて無理なくせに。鍵介は小さく呟いた。白夜が、はっきりと、泣きだしそうに表情を歪めた。
「……今、世界が終わったら、どうするんですか」
それは決して、夢物語ではない。自分たち帰宅部がμに辿りつくのを待たず、この不安定な世界は、いつ終わってもおかしくないのだ。
「絶対に報われないように出来てる世界だってある」。それはきっと、物語の話ではなく、白夜自身が自分に言い聞かせ続けている言葉だ。
「もっと縋ってくださいよ。もっと「嫌だ」って、幸せになれなきゃ嫌だって、泣いてみせてくださいよ」
……明日世界が終わるとして。全て消えてしまうとして、それもしょうがないね、なんて言わないでほしい。
好きだったよ、でも間に合わなかったね、なんて。まして、「そういう恋だったんだね」なんて。そんなに綺麗に終わらせてしまうなんて、許せない。
格好悪くても足掻くのだ、と鍵介は決めたのだ。それなら、この人も同じ場所で足掻いてもらわなくてはいけない。
「ずっと一緒だって、言ったじゃないですか。あれも嘘なんですか」
現実でも会いたい、と鍵介が言ったとき、白夜は頷いてくれた。ありがとう、と微笑んでくれた。『鍵介との約束があれば、地獄にだって帰れるよ』と。
「ちがう……」
濡れた声が、鍵介の耳に響いてくる。鍵介の眼下で、白夜が顔を覆って、身を震わせていた。それは怯えているからではなく、泣いているからだった。白い頬に、一筋、また一筋と涙が筋を作っていく。
「あきらめたくない。ずっと、一緒にいたい」
「当たり前でしょう」
思わず、その小さな体をかき抱いた。
「勝手に諦めるのは止めてください。その前にもっと、嫌だとか、置いて行かないでとか、色々言うことあるはずじゃないですか。まだ現実にも帰ってないし、世界も終わってないのに」
世界が終わるよりも前に、気付けたのなら。いくらでも、みっともなく足掻く方法はきっとある。
明日世界が終わるなら、今からでも手を伸ばすのだ。
明日世界が終わっても、少しでもいいから幸せになるのだ。
悲しい結末が見えたからって、本を閉じないで。ページをめくり続けて――無いなら続きを書いて。
二人で幸せな未来を探しに、帰るのだ。
参考文献:「塩の街」有川浩著
