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片思いのはしっこ

Posted in Caligula-カリギュラ-, and テキスト

自宅主人公・神谷奏太。
主人公×鍵介。エンディング後、同棲している設定。

* * * * *

 朝起きて、枕元を見た。そこには自分のスマートフォンが転がっていて、目覚まし用にセットしたアラームが鳴っている。
 アラーム解除をタッチすると通知画面に変わり、メール受信を知らせる通知が一件。差出人を確かめてーー読まずに閉じた。
 「……どうしろっていうんだよ」
 自分でもふてくされたとわかる物言いでそのままロックをかけて、ベッドを出る。
 部屋を出て、ゆっくりと階段を降りていく。下から美味しそうな匂いが鼻をくすぐってきて、同居人の作る朝食がもうじき出来上がるのだとわかった。
 「おはよう鍵介」
 「……おはようございます」
 すっきりとした声が健介を呼ぶ。キッチンに立つ奏太がこちらを振り返って火を止めたところだった。
 ぼんやりとその姿を眺めていたら、奏太が何かに気づいた顔で、頬を緩め鍵介に歩み寄ってきた。なんだろう、と思っていると、奏太の手が鍵介の頭を何度か撫でる。
 「寝癖。ついてるよ」
 「え。あ……」
 言われて思わず頭に手をやると、奏太の手に重なる。また奏太が嬉しそうに微笑んだ。気恥ずかしさに頬が熱くなる。いくら同じ家に住んでいるとはいえ、無防備な姿を見られるのはまだ少し抵抗があった。
 「かわいいよ。他の人には見せない方がいいけどね」
 「わ、わかってます」
 普段なら「恥ずかしくないんですか」などと憎まれ口を返すところだが、寝起きを狙われるとうっかり忘れてしまう。
 「それ直して、顔も洗っておいで。それまでには食べられるようにしておくよ」
 頷いて、逃げるように洗面台の方へ移動した。
 神谷奏太は超人である。それは身内、つまり鍵介から見ても、外からの評価もそうだ。
 人好きのする性格。頼まれごとはよっぽどのことが無い限り断らず、いつも朗らかな笑顔で対応している。家事一切が得意で、料理、洗濯、掃除と、全てそつなくこなしてしまい、少なくとも両親のやることを見よう見まねでやってきた鍵介が出る幕ではない。
 唯一、学校でやるような勉強は苦手らしいが、「鍵介がいてくれるから大丈夫だね」とさらりと言ってのけるので、マイナス要素と思わせてもらえない。運動面は言うまでもなし、だ。
 鍵介の前で奏太が感情を大きく揺らしたのは、メビウスの中でだけ。そのときの奏太は、もう少し鍵介と近い存在のように感じた。
 一回目は、奏太の「力」が暴走したとき。そして二回目は、メビウスを出るその瞬間。
 薄いガラスの向こうで、鏡像の鍵介が指で唇に触れた。
 「(あのときはーー)」
 崩壊する世界の中では、最初で最後になったキスをして。少し心細そうに奏太は笑った。そして、助けてほしいと鍵介に言ったのだ。
 あのときは、本当に奏太が近く感じた。むしろ、奏太を守らなければと思ったくらいだったのに。今では鍵介が助けられてばかり、守られてばかりだ。鍵介が奏太に出来ることはあまりない。もしかしたら、何もないかもしれない。
 「不公平だなぁ」
 何が、何に対してそう思うのかもわからないまま、呟いた。

 「今日はアルバイト休みだから、一日家にいるよ。何か必要なものがあったらWIREして。「仕事」が入ったらごめん。その時はその時で連絡するから」
 いただきます、と二人で声を揃えて朝食が始まり、今日の予定について奏太が話すのも、もう日課になりつつある。はい、といちいち頷きながら、鍵介がそれに相槌を打つのもだ。
 奏太の予定はいつも流動的だ。ときおり入る「任務」と折り合いをつけるために、これはしょうがないことなのだという。たまに夜通し帰ってこない彼を待つ時は苦しいが、最近はその回数も徐々に減ってきた気がする。
 そんな光景が、少しずつ鍵介の日常になって自分の中に溶け込んでいく。
 だからこそ思う。これでいいのだろうか、と。
 「(先輩、どうして、僕と一緒にいるんだろう)」
 自分の箸が完全に止まっていることにもしばらく気付かず、考える。
 ああだめだ。寝ぼけているのか落ち込んでいるのか。奏太が何か心配そうな顔をして話しかけているのに、言葉が頭に入ってこない。
 「鍵介、具合悪いんじゃ」
 「大丈夫です。ごちそうさまでした。いってきます」
 後ろで何か言っているらしい奏太を半ば無視して、顔を見られないまま、玄関を出て歩き出す。
 今日は五限目まで講義が詰まっている。次に奏太に合うのはもう夜も更けた頃だ。その時までに気持ちを落ち着けておかなくては……と、思ったのに。
 「最悪……」
 大学鞄を開けたまま、鍵介は長机に突っ伏した。
 午後の講義に必須の教科書を家に忘れてきたらしい。何度探しても、鞄の中には見当たらない。今から昼休みだ。しかも四限には講義を入れていないので、家に取りに戻る時間は十分ある、が。
 「(帰りづらい)」
 朝あんな調子で出てきてしまったのが仇になった。スマートフォンのWIREにも連絡はないので、奏太は家にいるだろう。ますます帰りづらい。
 それでも教科書がないことには授業にならないので、諦めて立ち上がったそのときである。
 「やっほーぅイケメン眼鏡くん!」
 がば、と、妙齢の女性が鍵介の前に躍り出た。思わず「うわっ」と声を上げて後ずさるが、見知った顔だったのですぐに胸をなで下ろす。
 「またあなたですか」
 「またわたしでーす! 神谷奏太とただならぬ仲の調達屋、四方田まみこだよ♥」
 「もう冗談はいいです、騙されませんから」
 四方田は気持ちよく笑い「つまんないねえ」と悪びれる様子もない。
 「これ、キミの忘れ物。神谷くんが『調達』してくれって」
 続いて四方田が取り出したのは、今朝忘れて出た教科書だった。奏太はそんなこともお見通しらしい。正直助かったと思うところだが、手放しで喜ぶのもしゃくに障るので、「ありがとうございます」とだけ言って受け取った。
 四方田まみこ。奏太と「任務」でたびたび協力関係になった女性だとかで、何かと奏太にちょっかいを出している女性らしい。鍵介とも、「一応」顔見知りではある。
 「恋人の忘れ物届けてくれって『調達屋』に頼むやつは初めてだったわ~。いやー愛されてるねぇ眼鏡くん」
 「ちょっ」
 決して小さくない声で言われて、思わず抗議の声を上げた。しかし四方田はけろりとしている。
 「っていうか、朝送ったメール見てないでしょ。昨日は言い過ぎたって謝罪メールだったんだよ~。ごめんね。もっかい言うけど、私は二人を応援してるんだからね。神谷くんには、仲間として幸せになってほしいわけですよ」
 「いや、もうそれは本当にいいです、気にしてませんから」

 それは昨日のことだ。買い物を終えて家に帰ったら、見知らぬ女性が上がり込んでいた。
 なぜ。鍵かけたよな? というか誰だ?
 ここで彼女がタンスでも漁っているのなら即通報していたところなのだが、やけに堂々とダイニングの椅子に座り、勝手にお茶まで煎れて飲んでいたものだから、さらに混乱した。
 奏太が特殊な事情持ちなので、「仕事」関係の人かもしれない、どうしたものかと固まっていたら、女性の方から鍵介に近寄って来たのだ。
 「あらやだイケメン。眼鏡くんか~いいねえ」
 「……どちらさまです?」
 息がかかるほど近くで顔を見られて、たじたじになりながらそう言った。すると、女性はにやりと人の悪そうな笑みを浮かべる。
 「神谷くんとただならぬ仲の、四方田まみこです」
 そのとき確かにびしり、と、鍵介の中で何かがひび割れる音がした。少なくとも、手に持っていた買い物袋をどさりと床に落とすほどには衝撃的だった。
 「ちょっ、四方田さん! 適当なこと言わないでください!」
 「あら神谷くん、適当とはごあいさつねー。ただの友達じゃないのはほんとでしょ」
 「誤解を招くんです、その言い方は!」
 慌てた奏太が後ろから飛び出して、仕事の同僚だと事情を説明しなければ、驚きのあまりどうなったかわからない。
 四方田はそのあと夕飯まで一緒に食べてから帰ったのだが、問題はその帰り際だった。
 「最初にいうけど、私はキミと神谷くんのこと応援してるんだよね」
 彼女はいい加減な言動が目についたが、その時だけは真剣そのものだった。その目はどこか、奏太にも似ていた。鍵介が「遠い」と感じるときの奏太の目だ。
 「キミは、あの子とずっと一緒に居るつもりあるの?」
 それは、なぜだかとても重たい言葉に思えた。胸の底にずしりと落ちていくような、鉛の重量感。
 「私たちと一緒に居続けるのは、大変だよ。この間の会議に出てたんなら、わかるでしょ。キミ頭良さそうだしね」
 それはもう確認だった。わかっていないのならば困る、というような。
 「神谷君からキミへの絆はちゃんとある。それはわかるよ。キミは間違いなく、彼の命綱だ。キミがいるから、神谷君はいつもここに帰ってくるんだよ」
 私たちはそれがないと生きていけないから、と彼女はどこか遠いところを見ながら言う。そういう彼女にも、同じような絆があるのだろうか。
 「キミから彼へは、ある?」
 その質問に鍵介は、即答することができなかった。だから四方田はそのまま続ける。
 「キミは人間だから、無いなら無いで、別にいいんだけどさ。彼からキミへの一方通行でも。でもほら、やっぱ片思いは寂しいじゃない」
 片思い。その言葉にどきりとした。
 「僕は……そんなのは」
 わからない、と正直に続けることもまた、奏太に対する裏切りになるだろうか。それを察したように、四方田はそれ以上何も言わなかった。
 その話をした昨日の夜から、ずっとあの重みが取れないままだ。

 「それじゃ、忘れ物はちゃんと『調達』したからね~! いろいろ頑張って!」
 話を切り上げると、彼女はまた屈託のない笑顔を浮かべて大学を去って行った。
 「頑張れって言ったって」
 僕に何が出来る。いつも待つだけの、与えられるだけの自分に。
 現実に帰っても何が変わるわけでもない。むしろ、楽士だった頃のような力も影響力もない。ただ、才能も力もない人間がひとりいるだけだ。
 いや、メビウスに居た頃だって、最後の最後、奏太に「助けて」と言われるまで、彼を助けることは出来なかったのだ。
 今、ちゃんと奏太を助けられているのかどうか。奏太が望む絆を築けているのかどうか。そんなことをどうやって確かめればいいのだろう。
 すべての授業を終えて校門を出ると、もう空はすっかり暗くなっている。こんな時間まで授業を入れている人間は少ない。校門を出ていく人もまばらだ。
 だから、すぐにわかった。
 「なんでいるんですか」
 「迎えに来ちゃった」
 照れ隠しに茶化しながら、分厚いコートと真っ白いマフラーに身を包んで、奏太は校門前に立っていた。
 「今日は一日家にいるって言っただろ? 鍵介、朝元気なかったし。心配だったから」
 白い息を吐きながら、鍵介に歩み寄る奏太。そして、言葉の通り、酷く心配そうな表情で続けるのだ。
 「ごめん、また何か不安にさせた?」
 鍵介の喉の奥で息が詰まる。
 そんな顔をしないでほしい。不安になったのは本当だが、それは奏太のせいなどではなく、自分が弱いからだ。奏太がそんな顔をする必要はないのに。
 「四方田さんがまた何か言ったんだろうなって思ったんだけど。本当にあの人とは何もないから。あんな感じで会っちゃったから信じろっていうのも難しいかもしれないけど、ほんとに」
 「先輩」
 言葉が終わるのを遮って、奏太の手を取る。奏太が驚いた顔をして、鍵介の顔と握られた自分の手を見比べた。
 「どうして、先輩は僕と一緒に居てくれるんですか」
 しばらく重い沈黙が落ちたあと、奏太が困ったように小首を傾げて言った。
 「……えーと、惚れてるから?」
 さらり、と。放たれたそのストレートに衝撃的な言葉は、鍵介を一瞬でフリーズさせる。
 「ま、真顔で言わないでください」
 自分で聞いたのに、思わず照れが勝って視線を逸らしそうになってしまった。
 「でも、ふざけて言うことじゃないから」
 「そうですけど。いつも先輩はそういうことをさらっと言うから……その、慣れてそうというか、僕ばかり意識していそうで、なんか……」
 いつもそうだ。奏太はこういうことをあっさりと言う。あっさりと言い過ぎて、重さを感じない。
 鍵介に奏太の背負うものの「重み」を悟られないように。だから不安になるのかも知れない。忘れるつもりはないのに、つい忘れさせられそうで怖いのかもしれない。
 「僕はあの人と違って普通の人間ですし、僕なんかが先輩のそばに居なくても……先輩を繋ぎ止めなくても、僕以外にもたくさん、きっと、先輩を「ここ」に繋ぎ止めてくれる人もいるだろうし」
 四方田まみこも。それ以外にも、メビウスから現実へ戻って来てから今まで、たくさんの人が彼を訪ねてきた。意識を取り戻したことを泣いて喜ぶ者もいた。あの会議で、帰宅部以外にも、何人もの人間が彼のために立ち、彼の命を守ろうとしていた。
 彼らは奏太と「同じ」で、鍵介の知らない奏太を知っていて、そして、奏太と同じく才能に恵まれ、奏太の力になれる人たちだ。
 そんな中で、響鍵介という名前の人間は、奏太にとってどれくらい価値のある、意味のある人間なのだろう、なんて。いつも考えてしまうのだ。
 四方田はああ言ったが、奏太が鍵介に「片思い」なんてとんでもない。鍵介にしてみれば、自分の方が奏太に片思いだ。
 「……あのね鍵介」
 困り切った様子で唸る奏太。鍵介は憂鬱な気分でなんとか「はい」と相づちを打つ。
 「実は僕、本当はものすごく強いんだよ。あとすごい」
 「知ってます」
 「そりゃもう、一部で都市伝説扱いされてるくらい」
 ……それはちょっと盛ってるのでは。そう思いながらも頷く。
 「だから鍵介は誇っていいよ」
 唐突な話の完結に、鍵介は眉をひそめる。
 「……話が見えません」
 言う鍵介に、奏太はやっと困り顔を解いて微笑んだ。
 「惚れた方が負けっていう言葉があるだろ。つまり、鍵介は僕を負かしてるんだよ。だから、鍵介は凄いってこと。僕を負かした人なんて、世界に何人もいないんだから」
 ね、と言い聞かせるように繰り返す。固まったままの鍵介に、さらに甘い顔で笑う。
 真っ赤になっているだろう顔を隠すように、咄嗟に手のひらで口元を隠すと、くすくすと、その向こうから奏太が笑う声がする。
 「ねえ鍵介、僕はこれからもいっぱい鍵介を不安にさせると思う。いっぱい心配もかけるし、いっぱい苦労もかけそうだ」
 ごめんね、と、未来を先取りして、奏太は苦笑する。鍵介に向かって、そうやって許しを請う。いつもそうだ。奏太が許しを請う必要なんてどこにもないのに。
 「僕はどうやっても、鍵介と同じにはなれない。だから、一緒に生きていくのは凄く難しいと思う。実際、そうやって人間と一緒に生きるのを諦めてきた仲間を、僕はたくさん知ってる。でも、僕は諦めたくない。……僕をそういう気持ちにさせてくれたのは、鍵介だよ」
 奏太が異能に目覚めたときから、少しずつ、長い間降り積もってきた不信感、孤独感。それらを、鍵介の手を取ることで払い始めたところなんだと奏太は続ける。
 「だから、ずっと一緒に居てほしい。僕をここに繋ぎ止めてくれるのは、いつだって鍵介がいい」
 プロポーズみたいだ、と唐突に思った。再び、喉の奥で息が詰まる。先ほどとは全く逆の感情が、吐息を押し込める。
 「……僕も、先輩と、ずっと一緒に居たいんです」
 その気持ちを絆と呼べるかはわからないけれども。奏太をこの場所に繋ぎ止めるだけの力があるかは、わからないけれども。
 「僕は先輩よりずっともろいし、弱い人間です。でも、来年も、再来年も、これからもずっと、一緒に居てもいいですか?」
 言い終わるかどうか、というタイミングで、衝撃が来た。奏太が鍵介を抱きすくめているのだとすぐわかる。
 「一緒に居てよ」
 それは、メビウスを出る時に聞いた、「助けて」と同じ声だったから、鍵介は思わず抱きしめ返した。
 脳裏に、キミは彼の命綱なんだよと言った四方田の言葉が翻る。ああ、そうなんだ。あれは比喩でもなんでもなく。
 奏太は鍵介を辿ってここへ帰ってくるのだ。鍵介だって、奏太にそうあって欲しい。片思いなんかじゃない。両端がちゃんと繋がった両思いだ。
 「はい」
 だから、そう答えた声にもう迷いはなかった。