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涙のあと(花村×千枝)

Posted in Persona4, and テキスト

小説版・キリノアムネジア準拠。
花村×千枝。

* * * * *

 時刻は夕暮れも終わりかけ、早く帰らないと夕ご飯に間に合わないくらいの時間だった。
 「あれ」
 なんか変だな、と思った。
 ジュネスからの帰り道。千枝はふと、自分の頬に手を当てて立ち止まる。
 指先に触れる頬の感触は、少しだけ不自然に乾いているような気がした。瞼に残る倦怠感と、相反するようなすっきりとした感覚には覚えがある。
 「あたし、泣いたっけ」
 変な話だった。
 里中千枝という少女は、ちょっとやそっとのことでは涙を流さない、強い少女のはずだ。それは自他共に認めていることでもあるし、何より本人が気付かないうちに泣いていた、なんてことがあるのだろうか。
 でも触れた頬の感触も、この感覚も、自分がついさっき泣いたかのように思わせるのだった。

 泣いた、ような気がする。酷く悲しいことも、怖いことも、あった気がする。でも、思い出せない。
 今日したことと言えば、テレビの中に行こうということになったけれど、リーダーの彼が来られなかったので中止になって。試しに違うテレビから入ってみようか、なんてアブナイ提案が出たりもしたけれど、結局怖いから止めようって話になって。で、今まさにジュネスから帰ろうとしているところだ。
 泣くようなことなんて何もなかったはずなのに。
 変な話、ともう一度そう思った瞬間、ずきりと胸が急に痛んだ。

 『花村』
 声が聞こえた。いや、正確には違う。いつだったか自分が言った言葉を、唐突に思い出したのだった。
 しかしそれは、千枝自身には全く覚えのない記憶だった。
 『花村。可哀想すぎるよ……』
 確かにそう言った気がする。本当につい最近。多分今日。でも、憶えていない。
 『花村ぁっ!』
 そう、とても、怖いことがあった。それはたとえばテレビの中でシャドウに襲われるとか、そういう怖さではなく、大事な人を失って一生後悔することになる、というような怖いこと。
 自分はかばわれて、代わりに花村が死にそうになった。そこだけが、スライドショーのようにぱっと浮かんだ。

 「……そうだ」
 その時泣いたのだ。たぶん、いや、確かに。繋がっていない記憶の断片だけだが、自分は確かにそう言って泣いた。
 何故泣いたのか、何故そんな話になったのか、その辺りは全く思い出せない。思い出そうとすると、思い出さないでという声が聞こえる気がする。
 でも、花村のような思いをする人を、大事な人を失って胸が潰れるような思いをする人を、もう絶対に増やしてはいけないと思ったことは憶えている。
 ふいに歩いていた足が止まった。そして、自動的にくるりと踵を返していた。
 夕暮れの深い赤を一瞬だけ見つめて、千枝は走り出す。考えるよりも先に動く自慢の足は、今日も好調のようだった。

 こつん、と、何かが窓硝子を叩く音がした。
 「……? なんだ?」
 それはとても微かな物音で、たまたまヘッドフォンを外している今でなければ、気づけなかったくらいの音だった。
 気付いたからには気になって、花村陽介はカーテンを開け、窓の外を覗き込む。
 「里中?」
 窓の外、家の前に、里中千枝がきゅっと唇を結んだ、何とも言えない表情で佇んでいた。どうやら小石でも投げたらしい。
 昼間に別れたばかりの彼女が、一体どうしたのだろうか。急用でも思い出したのか。とりあえず話を聞きに行こうと、陽介は部屋を出て、そっと玄関を出た。

 外へ出て、千枝の目の前まで行くが、やはり彼女の表情は固い。
 「なんだよ、どうかしたか? ってか呼ぶならふつーに呼べっての、人ん家の硝子割る気か!」
 いつにない真剣な表情の千枝に、陽介は反射的に憎まれ口を叩いていた。いつもなら、向こうからも憎まれ口が返ってくるタイミングである。
 しかし、そうはならなかった。
 「ねえ花村」
 千枝はふいに、嫌に真剣な声色で言う。まっすぐに陽介を見つめていた。
 「……絶対、犯人捕まえようね」
 陽介は何も言えず、押し黙るしかできなかった。
 なんだよ急に、変なもんでも食ったのか、といつもなら言い返す。でも、それをさせないほど真剣な声だったので、一瞬どうしようかと思った。
 「あたし、頑張るから。小西先輩みたいな人、もう絶対、出さないように。絶対、あんたみたいな……」
 そしてふいに、千枝の声が詰まって止まる。語尾が鼻に掛かったような声になり、千枝自身が驚いたような顔をしたすぐ後、目尻からすうっと一筋、滴が零れた。
 千枝は一瞬悔しそうに表情を歪めた後、ぐっと涙声になるのを堪えて、なんとか先を続ける。
 「あんたみたいなっ、思いする人……もうぜったい、ふやさないから! あと、あんたがもう無茶とかしないよーに……もっと強くなるっ!」
 新しい涙を一筋、もう一筋と流しながら、しかし力強い言葉で千枝は言った。
 小西先輩。その名前に心が大きく揺れるのを感じながら、しかし何よりも目の前の千枝の言葉に、心が動いた。
 何を急に、と思わないわけではなかった。けれど、今日ジュネスから帰宅して、ずっと心に引っかかっている何かが関係しているような気がする。
 こうして千枝が泣くのは、とても自然なことのような気がして、口を挟むことは出来なかった。
 「わかんないけど、なんか急にそう思って……思い出せないけど、あんたにそう言いたかったの! 以上!」
 ぐい、と千枝が強引に涙を拭って、強引にそう締めくくる。
 泣いているのは千枝の方なのに、必死でそれを押し殺して強がる様子に、思わず笑みがこぼれた。
 「なんだそれ」
 いや、らしいと言えば彼女らしいのか。悲しいときや苦しいとき、必死に強がって無理矢理にでも前を向こうとするのが、里中千枝という女の子なのだから。
 はは、と少し声を上げて笑って、陽介はそっと、その頭に手を乗せる。
 「ありがとな。頑張ろうな、みんなで。だから、お前も自分ばっか頑張んなよ」
 一瞬、千枝が息を呑んだのがわかった。
 それから耐えかねたように、乗せた手のひらの下で、うん、と涙声が返事をした。