自宅主人公・日暮白夜。
鍵介×主人公
スイートP前後くらいの小話。
白夜と会話をするのはなかなか難しい。
白夜は、元々自分から積極的に話しかけにくるタイプではないし、こちらから話しかけても、返って来る答えは必要最低限で、直線的だ。最初は、振った話題に興味を持ってくれたかどうかさえ、良く分からなかった。
「そういえば、先輩って好きな動物とかいるんですか」
「好きな動物」
鍵介の質問を噛みしめるように、白夜は繰り返した。
どうしてそんな話になったかは、よく覚えていない。しかしその時、白夜がいつになく興味を引かれているように感じたのは、よく覚えていた。
「……猫、とか?」
「案外、普通ですね」
少し意外で、思わずそう返す。すると、白夜は少しだけ眉を動かして鍵介を見た。
「案外って、なに」
この「なに」は、「どういう意味?」の「なに」だ。頭の中で、直線的な言葉を変換しながら、鍵介は笑う。
「いえ、先輩って、日ごろから本をたくさん読んでるみたいですから。こう、マイナーな動物とかの名前が出てくるんじゃないかと思って」
そういうと、白夜は黙り込んでしまった。怒ったのだろうかと一瞬考えるが、これは違う。単に考え込んでいるだけだ。
最初の頃は鍵介を「不良だ」とのたまい避けていた白夜だが、とあるきっかけを経て、少し態度を軟化させてくれた。それ以降、徐々にこういった会話や関わりも増え、鍵介にも白夜の反応の意味が少しずつ分かってきた。
変わり映えのない白夜の表情にも、ちゃんと喜怒哀楽があること。よく見ていれば、日常のちょっとした変化や驚きにも、彼が心を動かしていること。
そして自分は、そんな淡く繊細に変化するそんな白夜の表情が、わりと好きだということ。
……もっとも、それをあえて口にする勇気はないが。
とにかく。少しずつ、じりじりと歩み寄るように。二人の距離が変わってきたのは確かだった。
「それは、見るだけなら、スナメリとか」
鍵介の期待に応えようとしてくれたのだろうか。ちょっとマイナーな動物の名前も出てきた。しかし、白夜は少し寂しそうに微笑んでこう続ける。
「でも、猫なら、部屋で飼えるから。もし毎日一緒に過ごせたら……寂しくないかなあ、って」
犬だと、俺の部屋じゃ、狭くて可哀想かも知れないし。そうとも付け足して、白夜はそこで言葉を切った。
どこか意味深な答えに、鍵介は何か言おうとしたが。次の言葉が続かなかった。白夜が思った以上に寂しそうにしていたからだろうか。
傷つけた、とまでは行かない。だがなんとなく、白夜の心の柔らかい部分に、そうとは知らずに触れてしまっていたような気がした。
* * *
そんなことがあったから。次の日から、鍵介はいつもより少しだけ、白夜のことを気にかけるようになった。罪悪感のような、心配のような。鍵介が勝手に感じている、身勝手な気がかりだ。だから、その日は、校舎裏に駆けていく白夜に気付いたのだろう。
「(先輩? どうしてあんなところに)」
一応、カギPだった頃は新校舎一帯をテリトリーとしていた鍵介だ。学校に限定すれば、だいたいの地理は頭に入っている。部室とは反対方向だし、校門とも方向が違う。というか、そもそもあちらは行き止まりだ。
そう思ったら、足がそちらに向いていた。一人で、そんな袋小路に行く理由はわからない。が、もしもそんな場所でデジヘッドに襲われでもしたら、まずいことになる。
後者の角を曲がり、人気の少なくなる方へ、白夜の足音を辿っていく。
「先輩!」
「…………!」
そうして、ようやく止まった足音に追いつき声をかける。呼ばれた白夜は、完全に鍵介に気付いていなかった様子だった。心底驚いた表情で鍵介を振り返る。
「鍵介? なんで」
「なんでって、先輩が走っていくのが見えたもんですから。こんなところでデジヘッドに襲われでもしたら、大変ですよ」
何してるんですか、と少し咎めるような声で言いかけて、白夜の後ろに小さな影があることに気付いた。
「……それ。どうしたんですか」
鍵介が「それ」に気付いたのを察したのだろう。白夜がびくりと身体を震わせ、「それ」を鍵介から隠すように身体をずらした。
それは、猫だった。たぶん、白と黒の模様をした子猫だ。
たぶん、というのは、その姿がときおりノイズがかり、輪郭をぐしゃりとゆがめるからだ。まるで壊れかけたテレビの映像が、思い出したように正常に戻るように。一瞬、その光景にうすら寒い何かを感じて、目を逸らしかける。
しかし、それだけだ。今更声を上げて驚くことでもない。動物も含め、メビウスに存在する魂のないもの……NPCは、こういう姿をしている。鍵介が毎日帰宅する自宅にだって、「こういう顔」をした両親がいるのだ。
メビウスを未だに現実と信じて暮らす生徒たちには、正常に見えるだろう。しかし、白夜や鍵介のように、メビウスが現実ではないと気付いた生徒たちには、こうやって、NPCはノイズがかって見えるようになる。だから、この猫もきっとNPCなのだろう。
「この子、たぶん、野良猫で……俺が『卒業』する前から、ここで餌をあげてた」
白夜は俯きながら、「猫」を振り返って、その頭をそうっと撫でているようだった。
メビウスに野良猫がいるかは果たしてわからないが……誰かが望めば、そういう存在も確かに生まれるだろう。例えば、誰かが「猫を飼いたい」と望んで生まれ、その後何か心境の変化で不要になれば、こんなNPCも生まれるかも知れない。
「ずっと、餌あげてるんですか」
そんなこと無意味だ、と思いながら、それを口にすることは出来ず。代わりにそう尋ねた。
NPCは、ただのデータだ。メビウスに堕ちた住人が望み、μが作ったまがいもの。そこに魂はなく、意思もない。人も、猫も、他の動物も、同じだ。だから、餌をあげなくても生きていけるし、死ぬわけでもない。
「『卒業』したあと、こんな風になっちゃって。ちょっとショックだったけど……でも、やめられなかった」
ごめん、と白夜は、鍵介に背を向けたまま、謝った。
この猫に固執することも、こうやって一人になることも、よくないことだということは、鍵介に指摘されるまでもなく、白夜は分かっているのだろう。
NPCは、堕ちた人間をメビウスに繋ぎ止めるためのものだ。NPC自体に悪意が無くても、どちらかと言えば、彼らは楽士やデジヘッドに近い。それに固執し続ければ、メビウスの浸食率を上げることになるかも知れない。
「その。気持ちはわかりますけど。止めた方が、いいですよ」
「……そう、だね」
それでも、放っておけなかったんだ、と白夜は言う。
「この子、俺が餌あげなくなったら、消えちゃうのかな」
ぽつり、と。鍵介にやっと聞こえるくらいの声で、白夜は呟く。その手が、ノイズにまみれた猫を撫でる。その手には、ちゃんと柔らかい毛並みが感じられるのだろうか。
役目が無くなったNPCは、余計なエネルギーとして判断され、いずれは消える。そして、また別のNPCとして再構成されるのだという。この猫も、たぶんそうなるのだろう。
白夜の言う通り。まだ消えていないのは、白夜がこの猫を自分が世話をする動物として認識して、必要としているからかもしれない。
白夜はまだ猫を撫でている。ノイズにまみれた猫は、ごろごろと愛らしく喉を鳴らしていた。白夜の手に顔を寄せる猫のノイズが、ときどき白夜の手の輪郭も歪ませる。
「先輩」
その光景は、とても危うく見えて。思わず、強めに白夜を呼んだ。
「ごめん。わかってる。もうやめなきゃ」
びくり、ともう一度身体を震わせてから。白夜の掌が、やっと子猫から離れた。猫はどんな表情をしているのだろう。ノイズがかったその表情を見ることは出来ない。
しかし、白夜にはそれが見えているかのように、悲しそうな顔をしていた。
「やめなきゃ、ね……」
ごめんね、と呟いたその言葉は、猫に向けたものなのか、それともまた、鍵介に謝ったのだろうか。
やめなくてはと言いながら、名残惜しそうに猫に向かって泳ぐ白夜の手。その手を、取ってしまいたい衝動に駆られる。そのまま引き寄せてしまいたい。
……そんなことが出来るほど、まだ近しい二人ではないことが。鍵介の心を波立たせる。
二人の距離はじりじりと、確かに近づいているはずなのに、まだ足りない。
どうしようもないまま、ただ、鍵介は白夜の背中を見つめていた。