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彼と僕との相違性

Posted in Caligula-カリギュラ-, and テキスト

自宅主人公・日暮白夜。
鍵介×主人公前提 +維弦
シーパライソ直後、パピコ直前くらいの小話。

 「部長はアンタが苦手らしい」
 唐突にそう告げられて、思考が数秒間、停止した。
 まさかそんなことを言われるとは思わなかった、という驚きと、まさかこの人に言われるとは思わなかった、という驚きの二種類が同時に襲ってきたせいだ。
 「……いきなり何ですか、峯沢先輩」
 頬のあたりがぴくりと動いたのが、自分でもわかった。今自分はどんな顔をしているだろう。平静を装えているだろうか。しかし峯沢維弦は普段通り、何を考えているのか読めない無表情で繰り返した。
 「部長が、響と一緒にいるのは辛いと言っていた」
 何回も言わなくても聞こえてましたよ。
 思わずそう毒づきそうになった。しかしなんとか抑えて、鍵介は笑顔を浮かべようと頬を上げる。そうですか、と乾いた自分の声が、まるで他人の声のように耳に入って来た。
 「で、何です? それがどうかしました?」
 じわり、とお腹の底の方から熱が這いあがってくる。気持ちの悪い熱だ。どろどろしていて、内側から自分を焼く熱。多分これは、苛立ちだ。
 「僕はどうもしないが。あの部長があそこまで避けるのには、何か理由があるのかと思った」
 維弦はやはり表情一つ変えないまま、更に続ける。
 白夜は維弦に、鍵介のことを何か喋ったらしい。まだ入部して間もないのに、ずいぶんと仲がよくなったものだ。
 鍵介が入部してすぐのときなど、あからさまに避けて避けて避けまくって……いや、今も、頻度は下がったしあからさまでなくなっただけで、たぶん、他の部員たちより避けられている。
 自分といるときより鈴奈と本の話をしているときの方が。美笛の食べ歩きに付き合っているときのほうが。笙悟と相談しているときの方が。琴乃とカフェにいるのもこの間見た。鼓太郎の「人助け」がこじれたときも、一目散に駆けつけていた。鳴子に取材に連れまわされているのも、なんだかんだ楽しそうで。
 最初の「不良扱い」こそ謝ってくれ、それからぽつぽつと話してくれるようにはなったが、親密さは全然違う。
 それでも前に進んではいるのだと、思っていた。それなのに――
 「(峯沢先輩とは、愚痴が言えるほど仲良くなったってわけですか)」
 気持ちの悪い熱が、心臓を炙る。気持ちが悪い。気持ちが悪い。吐き出してしまいたい。こんなもの。
 どうして。どうしてこの人にそんなことを言われなくちゃいけないんだ。
 そんなことは――彼に自分が好かれるはずがないことは、とっくに知っている。好かれるなんて許されるはずがないことは、誰よりも鍵介自身が。
 それなのに、どうして何も知らないこの人に、わざわざこんなことを言われなくちゃいけない。
 そう、何も知らないくせに。
 「知ってますよ、そんなことは」
 ぴしゃり、と頬を打つような静かさと激しさをにじませて、鍵介は言った。維弦は、表情を変えない。
 彼はいつもこうだ。いつもこうだが、今はそれにさえ苛立つ。
 「でも、先輩と僕のことなんて峯沢先輩には関係ないでしょう。それとも、部員として忠告しに来たんですか。部長が嫌がっているから近づくなって? それならさっきも言いましたけど、僕自身が一番わかってますから。言われなくても、必要最低限しか近づきません」
 言い過ぎだ。というか、ムキになりすぎている。こんなのはダメだ。なんというか、みっともない。
 それはわかっているが、頭が熱くなって自制がきかない。維弦は相変わらず、美しい顔に表情を浮かべないまま、じっと鍵介を見つめているだけだ。
 「わざわざそんなことを言いに来るなんて、峯沢先輩も暇ですね」
 「……………………」
 やはり、維弦は黙って鍵介を見つめているだけだ。
 いい加減いたたまれなくなって、目線をそらす。もちろん、いたたまれないのは、鍵介の方だ。一方的に激昂してみっともない姿を晒している、自分の方だ。
 こんな風だから、先輩は自分を避けるのだろうか。維弦には頼れて、自分には頼ってくれないのだろうか。
 「そう、か。関係ないか……それも、そうかもしれない」
 ふと、維弦が口を開く。それは鍵介に言ったというよりは、本当に独り言のようだった。そしてそのまま踵を返し、鍵介の前から立ち去る。
 まるで嵐のような出来事に、鍵介は、胸のうちの熱を燻らせたまま、吐き捨てた。
 「なんなんだよ、あれ」

***

 それは、放課後の部室でのことだった。
 今日は部員の集まりが悪かった。皆、やりたいことや体調不良が重なり、結局部室に集まったのは、部長の白夜と維弦の二人だけ。
 白夜はWIREを確認した後、維弦を見て「今日は、中止にしようか」と短く告げた。維弦も「わかった」と答えただけだ。
 「維弦は帰ってもいいよ。俺は、もう少し本を読んでいくから」
 言うなり、白夜は椅子に腰かけて鞄を開けた。中には文庫本がしまってある。表紙をそっと開き、彼の宣言通り読書に没頭しようとした白夜だったが、その日は珍しいことに、維弦がそれを引き留めたのだった。
 「部長は響を避けているのか」
 ストレート……普段は白夜の方がよくやる、直線的で必要最低限の問いかけに、今日は白夜自身が固まった。
 白夜は本から目を離し、維弦をまん丸い目で見つめている。そして、明らかに震える声で、答える。
 「そ、んなことは……ない」
 「なら、どうして響が通るのが見えると、わざわざ回り道をするんだ。この間も、部室に響がいるからと図書館にいた。あそこはデジヘッドもいるから危険だと思う。今日は僕がいても部室で本を読めるのだから、響がここにいても同じようにできるんじゃないか」
 まるで、完成したパズルのように精緻な質問に、白夜は再び驚いたように維弦を見つめた。そして、明らかに困っているような表情で、眉を下げる。どう答えていいのかわからない。そういう感じだった。
 「僕は、何か難しい質問をしたか?」
 維弦にとって、それは素朴な疑問にすぎなかった。白夜がそこまで、返答に悩む質問だとは思っていなかった。
 しかし白夜は、とても返答に困っているようで……視線は不自然に動いているし、言いにくそうに何度も口を開いては閉ざすのを繰り返している。
 「いや……どう、だろう……難しい、かもしれない」
 しまいには持っていた本を開いて、顔を半分隠してしまった。
 「よくないのは、わかっているんだけど。鍵介の傍にいると、その、苦しいから」
 「苦しい? 具合が悪くなるのか」
 「少しだけ」
 顔を隠したまま、ぼそぼそと白夜は答える。
 「鍵介の傍にいると、冷静で、いられなくなる、というか。緊張する、というか。普段はちゃんと考えられることも、考えられなくなって。失敗してしまいそうで、怖いんだ」
 ぽつり、ぽつりと。小さな声で白夜が語るものだから、維弦は自然と耳を澄ませた。
 この部長は、話をするのが苦手らしい。人の話は何時間でも聞いているのにだ。だから、こうやって彼が彼自身を語るのは珍しいことだった。
 「鍵介は、俺よりも、ずっとしっかりしているから……そうなったら、きっとがっかりしてしまう。せっかく帰宅部に入ってくれたのに、部長がこんなだったら、辞めてしまうかもしれない……それも、怖くて」
 口元を隠しているからよくわからないが、まなじりはどんどん下がっていく。不安、緊張、そういうものがゆるゆると維弦にも伝わってきた。
 どうやら、本当に部長は響が苦手らしい。
 白夜があまりに不安そうな、怯えたような表情と声でそう言ったものだから。維弦の中でその印象が決定づけられてしまったのだった。

***

 「(関係ない、か)」
 歩きながら、維弦は考えていた。
 『先輩と僕のことなんて峯沢先輩には関係ないでしょう』。そう言った鍵介の声が、脳裏で翻る。確かに、その通りだ。
 「(響の言葉は正しい。僕には関係のない話だ。しかし――)」
 ふと立ち止まる。頭の中で何かが引っかかる。あの日、部室で不安そうに眉を下げ、「怖い」と呟いた白夜の表情と声が思い起こされた。
 ざわり、と何かが記憶の向こうで波立つ気配がした。