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有機生命体進化論04

Posted in Caligula-カリギュラ-, and テキスト

第4話。蒔苗実理に踏み込みますか?

 

 

 

 

 それ以上踏み込めば、戻れないとわかっていた。
 けれど、と本能が囁きかける。
 秘密は神秘の隠語だと誰かが言ったように。
 人間は、見てはいけないものほど見たくなる生き物なのだから。

 

「先輩、見つけましたよっ!」
「!」
 背後でそう呼び止められて、蒔苗実理は振り返った。
「やっほー。蒔苗くん。元気ー?」
 さらに別の声がそれに続く。視界に飛び込んできたのはふたりの少女だった。
 篠原美笛と守田鳴子。茶髪で快活そうな少女が美笛で、黒髪をツインテールに結い上げ、眼鏡をかけた少女が鳴子だ。
 どちらも帰宅部きっての元気印といったところで、その声は聞いているだけで思わず顔がほころんでしまう。
「どうしたんだ、ふたり揃って」
 話が断ち切られたことを察して、蒔苗の会話相手であった元部長の佐竹笙悟も振り返った。
 今日は帰宅部がその活動を休む日……いわゆる『オフの日』だった。
 数週間前、美笛によって提案されたこの日は、あれからも部員達の息抜きの時間として定期的に設けるようになっていた。
 最初こそ『現実に一刻も早く帰らないといけないのに』と渋っていた部長の実理も、今ではそれなりにこの時間を有効活用するようになっている。
 この日になるとだいたい部員達はそれぞれ個人の時間を過ごそうとするのだが、たまに部員同士で遊びに行ったりすることもあるようだ。
「今日は先輩にリベンジしにきたんですよ」
 そう言われた実理は、リベンジ、と美笛の言葉をオウム返しに呟いて、ゆっくりと瞬きした。
「俺は美笛になにか復讐されるようなことしたのかな」
「ふくしゅ……!? い、いやいや、確かに意味はそうですけど、違いますよ! ホラ、こないだチョココロネ食べたでしょう」
 チョココロネ、といわれて思い浮かべたのは、一番はじめの『オフ』の日のことだった。
 実理がなぜか制服のままやってくるなど予想外のこともあったが、おおむね楽しい思い出になったことを覚えている。
 その中でも衝撃的だったことといえば、やはり普段なににも執着などしない実理が、美笛の買い物に興味を示したことだろう。
 部長に対して『仏頂面』『ロボみたい』などの感想を抱いていた帰宅部員たちにとって、それは十分に一大事だった。
「チョココロネ食べた。甘かった。美味しかったけど、甘すぎたかも」
「……って言ってましたよね。ちょうどいい甘さだと思うんだけどなあ」
 結局、美笛お気に入りのチョココロネは、どうやら実理には後一押し足りなかったようだった。
「ごめんね。美笛の好きなものなのに」
 残念そうな彼女の表情に、実理は目尻を下げて俯く。しょんぼり、という擬態語が聞こえてきそうなほどだった。
 美笛はそれを慌てて制する。
「わわ、謝らないでくださいよ! 先輩が悪いわけじゃないですし、好き嫌いっていうのは人それぞれですから」
 ね? とまた花が咲いたような笑顔を見せる後輩に、実理もその朝焼け色の目を和ませる。
「そうなの?」
「そうです! 私が好きなものだからって、先輩が無理して好きになる必要はないんですよ」
 励ますように美笛が言うと、ようやく実理はホッとしたように小さく息をついた。
「だからね、今日はアタシが誘ったんだよー。蒔苗くんにちょうどいいものを見つけちゃってさ!」
 そこへ割り込んできたのは、美笛の隣にいた鳴子だった。オレンジ縁の眼鏡の向こうで、その目は不敵に笑っている。
「ねえねえ、蒔苗くんは和スイーツとか、興味ない?」
 ずい、と突きつけられたのは、彼女がいつも肌身離さず持ち歩いている最新型のスマートフォンだ。
 不必要だと思うくらい画質の高いそのディスプレイには、いかにも女の子が好みそうな可愛らしいブログが表示されている。
 笙悟がそれをのぞき込んで、あからさまに眉をひそめた。
「『隠れ家風カフェでいただく、季節の和スイーツ』……お前、季節もなにもメビウスは万年春だろうが……」
「いーでしょ別に! 万年春なのに花粉はなし! それで季節限定スイーツはいつでも食べ放題なんだから、こんなの楽しまなきゃ損だって」
 女子好きする華やかなそのうたい文句も、笙悟にとってはそれだけで既にお腹いっぱいだ。やれやれといったふうに視線を逸らすと、その先にはじっとスマートフォンの画面に見入る実理の姿があった。
「…………これ」
「「「ん?」」」
 珍しくうわずったような声の実理に、3人が興味を惹かれ一緒に画面を見つめる。
 そこには、かなり大きめの器にこれでもかというほどの生クリームと、色とりどりのフルーツが盛られた和風のパフェが映っていた。
「これを、食べにいけるの?」
 実理の声は平坦だ。しかしそれは、興奮を無理矢理押さえつけた結果のものに思えた。
 もしこれが、あの帰宅部全員で行ったショッピングより前のできごとだったなら、誰もその変化には気付かなかっただろう。
 けれど今の3人には、その朝焼け色の目がきらきらという効果音を発しそうなほど輝いているのがわかった。
「……ええ、行っちゃいましょう! 先輩の好きなもの、今日はきっと見つかりますよ!」
 部長の心を掴めた。そう確信した美笛は、善は急げと言わんばかりにその手を握る。
 実理のほうも戸惑ってはいるものの、抵抗はしなかった。
 そのまま、はにかむように笑って、美笛と鳴子に連れられるまま歩き出した。

 

***

 

「で、なんで笙悟先輩まで一緒なんですか?」
「そーですよ。乗り気じゃなかったんじゃないのー?」
 スマートフォンでみた画像の印象とはうらはらに、お目当てのカフェは質素な雰囲気の店だった。
 和風の甘味を売りにしているからか、内装は渋めの色でまとまっているし、メニューも抹茶から軽和食まで幅広い。
 客層のほうもさすがに女子生徒がやや多めではあるが、ちらほらと男子の姿もある。だから、3人に付いてきた笙悟が特別浮いているというわけではない。
 それなら、彼がこの店に来ても何らおかしくない甘味好きの男子なのかというと、それには残念ながら疑問符を付けざるを得なかった。女子ふたりの視線が居たたまれないのはそういう理屈だ。
 笙悟は耐えかねたように目を逸らした。
「いや別にいいだろ。他に用もなかったし」
「まぁいっか。そういえば笙悟先輩も、部長の好きなモノ探し、手伝ってましたもんね!」
 そうかそれでかあ、と、ひとりで納得した美笛はそれ以上を追求しなかった。
「あ、ああ……まあな」
 それを肯定し、頷いてみせる。
 しかし、なんとなく心がざわついた。
 理由はわからない。わからないが、何となく、自分がここに来た理由は少し違うような気がしたのだ。
 ふと、隣に座る実理を見る。
 不思議なあの朝焼け色の瞳は、今日もまるで硝子球のように無機質で美しい。
 ここ最近、彼もずいぶんと帰宅部の仲間や校内の生徒とうち解け、態度が柔らかくなってきたように思う。
 それでもまだこの蒔苗実理という少年の謎は多い。笙悟は、彼が活動のあとどこへ帰ってなにをしているのかも知らない。
(いや……そんなこと言ったら、帰宅部の連中なんて全員そうなんだがな)
 そう。だから、このままでなんの問題もないはずなのだ。
 必要以上に、互いの心には踏み込まない。それが、元部長である笙悟の口癖だった。
 なのにどうして、今になって自分はこんなに彼のことばかり気にしているのだろう。
 知る必要はない。もしかしたら、知って後悔するかもしれないのに。
「わあ、美味しそう!」
 その思考は、美笛と鳴子の黄色い悲鳴にいったん中断させられることとなった。
 気が付けば、テーブルには実理が頼んだらしいあの大きなパフェが乗せられている。
 ひとりで食べるにはあまりにも……と思ったら、どうやら数人で食べることが前提のものらしい。でなければ困ると心の中で悪態をついた。
「まて、ってことは、俺も食うのか?」
「……笙悟は食べないの?」
 耳に飛び込んできたのは、これまでずっと黙ってパフェに見入っていた実理の声だった。
 あの朝焼け色の瞳がじっと自分を見つめている。なぜか心臓がどくりと大きく脈打った。
「あー、もしかして、間接キスとか思っちゃってますー? やだなあ。でもま、アタシは気にしないよ~?」
「え……ええぇっ!? そうなんですか笙悟先輩っ!?」
「ち、ちがう!」
「?」
 わいわいと騒がれ、半ばやけくそで手に握ったスプーンをパフェに突き刺した。
 柔らかい感触と共に生クリームとアイス、白玉が乗り、淡い照明を反射してきらりと光った。
「おいしそう」
 それを見て、隣で実理がまた呟く。
 そして、釣られるように彼もスプーンでそっとパフェを掬い上げた。それを数秒のあいだうっとりと眺める姿はなんだかほほえましい。
 ちゃっかりとフルーツを多めに選んで乗せたスプーンが、やがてゆっくりと口の中へ吸い込まれていく。
 ぱく、と音をたてそうなほどあっさりと、実理はそれを口にした。
「……どう?どう??」
 鳴子が身を乗り出して感想をせがむ。
 こくん、と細い喉が鳴ったあと、実理は目を大きく見開いて……そして、はっきりと笑って見せた。
「おいしい。凄く美味しい。もっと食べたい」
 肩をすくめ、はにかむように、目を細めて、どこか恥ずかしそうに笑う。それは、蒔苗実理という少年が初めて見せた人間らしい顔だったかも知れない。
「やったー!好きなモノ発見ですね先輩!」
 美笛はそれをまるで自分のことのように喜んでいる。それはきっと鳴子も同じだろう。
 ぽた、と、何かが落ちる小さな音と共に、冷たい感触が笙悟の左手に広がった。
 はっとして見ると、食べ忘れたパフェのアイスが溶けて落ちてしまっている。
 慌てて食べた。
 甘い。きっと、これは笙悟には甘すぎる味なんだろう。
「……美味い」
 それでも、口から出た言葉はそれだった。
 嘘と呼べるほど罪深いものではない。
 それでもそれを聞いた実理が、嬉しそうにまた笑う。
 たぶん、自分はそれが見たかったのかも知れない。

 

***

 

「それじゃあ先輩! また明日、活動頑張りましょうね!」
「ばいばーい」
 メビウスはそろそろ、夕刻を迎えようとしていた。
 つくりものであるはずの空は現実と全く同じように紅く染まり、肌寒い空気が街を取り囲む。
 油断をすれば、今にもここが現実ではないという認識を失いそうだった。今日のように、和やかな時間を過ごしたのならなおさらだ。思わず笙悟は自嘲するように苦笑いを浮かべた。
「……なあ。お前、家どこなんだ?」
「えっ」
 そんな浮ついた気分だっただろうか。無意識のうちに問いかけていた。
 自分は、毎日部室を去る彼がその後どこへ帰り、なにをして夜を過ごすのかも知らない。
 その空白を埋めたい。彼の秘密を明らかにしたいと笙悟は思っていた。もう、思い始めてしまっていた。
「いや、同じ方向なら途中まで一緒に帰れば良いと思って……ただそれだけだ」
 言い訳がましい言葉で濁しながらも、ここまでくればもうやけだ、と言うようにハッキリと言い切る。
 心配しなくても、こんなの踏み込んだうちには入らない。ノーカンだ。きっとそうだ。そう言うことにしておこう。
 言い訳を心の中で大量生産しながら、愛想笑いのなりそこないを浮かべた。
 しかし、その笑顔を向けた先……実理は、なぜか戸惑いの表情で視線を彷徨わせている。
「別方向、か?」
「いや、そうじゃなくて……」
 どうも歯切れが悪い。答えを待ってみても、彼はただただ言葉を探しているようにそわそわとするだけだ。心なしか、顔が青いようにすら思える。
「どうした。具合でも悪いのか?」
 悪いことを聞いたのかも知れない。そのときにはもう、そんな確信を笙悟は持っていた。
 けれど、家の場所を訪ねる程度のことがそんなにもまずいことだったのだろうか。メビウスでの住所など大した意味もない気がするし、別に家まで押しかけようというわけでもないはずなのに。
「ごめん」
 結局、実理の口から零れた返事は、要領を得ないただの謝罪だった。
 それがいたって冷静な様子での返事なら、『必要以上に踏み込まない』を信条とする笙悟はそれ以上詮索しなかっただろう。しかし、実理の表情は硬く、戸惑い、あきらかになにかに怯えていた。
 まるで、今この瞬間にも誰かの目を気にしているように。
「おい……」
 大丈夫か? そう問いかけて、微かに震えている肩を掴む。
 それと同時に、鋭い痛みが指に走った。
『無駄なことを』
 そして、それと同じくらい鋭く、冷たい実理の声が聞こえた。じんじんと指先が痛むのは、どうやら彼に強く振り払われたかららしいと理解する。
 けれど、なぜ?
「……蒔苗?」
 たぶん今、自分は酷く間抜けな顔で彼の前に立っているのだろうなと笙悟は思った。それを、実理はただただ冷たい目でにらみ返していた。
 それは昼間、あんなに柔らかく微笑んでいたのを忘れてしまいそうなくらい、氷のように冷たいまなざしだった。
『なぜ貴重な時間を無為に過ごす? 君達の目的は現実へ帰還することのはずだ。少々自覚が足りないのではないか』
 カツン、と固いアスファルトを実理の靴が音を立てて踏みしめる。それだけで、彼の雰囲気ががらりと変わったことがわかった。
 仕草というのは、思った以上にその人間の印象のほとんどを決めてしまう要素だ。蒔苗実理という少年は、物静かで、表情の乏しい大人しい人間だった。だからいつも受ける印象は小さく儚い。
 だがいま笙悟の目の前にいる少年は違う。胸を張り、歩幅も大きく、自分より背の高いはずの笙悟のことも物怖じせず睨み付ける。心の中では見下ろしてすらいるかも知れない。それだけで、体格すらいつもより一回りも二回りも大きく見えるのだから不思議だった。

「お前は……誰だ」

 思わず、直感がそのまま口から出た。
 これは蒔苗実理ではない。なぜか笙悟にはそれが確信できた。
 すると、『実理』は一瞬だけ驚いたように目を見開くと、にやりと面白そうに笑ってみせる。
『私は蒔苗実理だ。君たちを現実へ導く、帰宅部部長のな』
 その笑みに、昼間の実理の笑顔が重なった。
 どちらも同じ顔。同じ少年から浮かんだ表情だ。そのはずだった。
 違う、という言葉が浮かび、その瞬間、何故か笙悟の中を、炎が灯るように強い怒りが一瞬で支配した。
「ふざけるのも大概にしろ」
 思わず、そう叫んでいた。
 とにかく、この状況はおかしい。なんとかしなくてはいけない。
 なんのためにとか、そんな必要があるのかとか、そもそもどうやってとか、そんな考えは全く浮かんでこなかった。
 もう一度、実理の肩を強く掴む。その後どうすればいいかはわからなかったが、とにかく捕まえておかなければいけないと強く感じたのだった。
『今後、この子に余計なことは学習させなくて良い。君たちは現実へ帰ることだけを考えたまえ』
 そんな風に詰め寄られても、彼は動じない。まるで可哀相なものをみるような目で笙悟を見つめ返すだけだ。
「この子? 学習? なんだそれは、どういう……」
「笙悟……痛い……」
 ふと不安そうな声が聞こえて、あ……と思わず笙悟の方も声が零れた。
 ほんの少し、戸惑って瞬きをしただけだ。
 その数瞬とも呼ぶべき間に、蒔苗実理は『帰って』きていた。
「蒔苗、か……?」
 手の力がゆるみ、実理は解放された肩をさする。思った以上に強く掴んでしまっていたようだった。
「悪い」
 謝罪するが、実理の方はやはり酷く怯えているようにふるふると首を横に振るだけだ。
 やはり、このまま放っておくのは良くない。焦燥感のようなものが笙悟の心の中をぐるぐると渦巻いている。
 捨て置くにはもう、きっと自分はあまりに多くのものを見過ぎてしまったと、もう笙悟は気付いていた。
「まか、」
「俺、家には帰らないんだ、探さなくちゃいけない人がいるから、だから、笙悟と一緒にはいけない」
 名前をもう一度呼ぼうとして、ぴしゃりとその先を制された。
 もう一度掴もうと手を伸ばしたが、もう実理は捕まらなかった。
 その怯えた表情のまま、笙悟に背を向け、「ごめん」とまた小さく言い捨てて、逃げるように走り去る。
 実理を放っておいてはいけない。確かにそう思ったはずだった。そして今でもそう思っている。
 なのに、笙悟にはそれを追いかけることができなかった。
 彼の小さな背中が見えなくなって、ようやく息が出来るようになったかのように、深いため息を吐く。
 そのまま俯くと、妙に力の入った足が僅かに震えていたのにようやく気づいた。
 追いかけたいという心と、追いかけてどうすると問う心がぶつかり合う。結局、その場にはどうしようもなく中途半端な結果だけが残った。
「……馬鹿か、俺は」
 気が付けば、夕焼けは遠い空に消え、長く深い夜の闇が、メビウスに降りようとしていた。